TVアニメ版「進撃の巨人」復習 5〜8話 ~「現実」と「強い肯定」とその否定~

2021年冬、TVアニメ「進撃の巨人 The Final Season」の後半戦がスタートします。

 

shingeki.tv

 

 冬に、「進撃の巨人」を見るにあたって、1話から見返そうと思った次第です。

 

切り所がありませんでした。

滅茶苦茶長いです。

 

今回の内容はかなり重たいです。

特に後半は毒です。

注意して見てください。

 

※注意 

・原作未読

・アニメ版75話までのネタバレ要素があり。

 

 

①「絶望」

未来永劫語り継がれるであろう、衝撃の第五話。

 

「今の人類ならやれる!」と理想を掲げるエレン。

 

「俺たちもやれるかも知れない」と希望を持つ104期メンバー。

 

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

 

エレン含め104期34班は、アルミンを残して壊滅。

 

原因はエレンが感情に飲まれて単独行動をとったからだと思います。

 

トーマスを喰われ感情に飲まれて単騎で行動した結果、

 

エレンは片足と両腕を嚙みちぎられます。

 

これ以降は、私の妄想なんで興味ない人は②に飛んでください。

 

自由を掴むために頑張っていたエレンの両腕が、

 

噛み千切られるというのも皮肉が効いていると思いました。

 

自由を奪われるメタファーにも見えます。

 

視聴者はこれをアルミン視点で見ることになります。

 

アルミンと共にどん底に叩き落され、

 

アルミンの視点を借りて自分の無力感に絶望します。

 

アルミンを視聴者側とすると、アルミンの身代わりになって、

 

主役であるエレンが喰われるというのも皮肉が効いていると思いました。

 

視聴者は主役に共感しながらアニメや映画を見ます。

 

主役は数々の逆境を跳ね除けて成長します。

 

視聴者は逆境を経ずに、まるで自分たちも成長したかのように感じます。

 

その結果、視聴者はカタルシスを感じます。

 

主役を人柱にして、初めて感動できるわけです。

 

アルミンの代わりにエレンが喰われるシーンは同じ構図に見えました。

 

エレンが口の中にいるシーン、完全に我々視点に助けを乞うてますよね。

 

まるで、シアターの向こうから手を伸ばしているように見えます。

 

そして、腕を噛み千切られ完全に自由を奪われる。

 

「お前たちがやってることは、つまりはそういう事だぞ」

 

とエレンに言われているように感じました。

 

「主人公の視点を追っかけて行けば、感動できると思った?ざまぁwwwwwww」

 

と作者に言われたような気がします。

 

強烈なメタファーです。

 

以上、こじつけでした。

 

 ②「現実」

「人類は巨人に勝てる」という言葉に夢を持っていた104期メンバーたち。

 

しかし、この世界は力あるものが力無きものから奪う理不尽で残酷な世界でした。

 

エレンの班は壊滅、ガスも残り少なく、補給兵は籠城。

 

このまま巨人に喰われて死ぬんだ、と意気消沈する104期メンバーたち。

 

そこに「ミカサ」が現れます。

 

「世界は残酷である」ということを本能的に理解していたミカサは

 

他の104期ほど動揺することなく、104期達に向けて演説を始めます。

 

③吠える兵士たち

私は強いから巨人に立ち向かう。

お前たちは「力」が無いからと言い訳して、

巨人に立ち向かう事すらしない腰抜けだ。

 

私はミカサの演説をこのように解釈しました。

 

ミカサに呼応して、ジャンがさらに104期達に向けて発破をかけます。

 

それに、答えるようにして104期達が次々と奮起し始めます。

 

ミカサではなくジャンによって兵士たちが奮起するのが良いですよね。

 

ジャンの「弱者に言葉が届く」という長所がよく表れていますね。

 

(ジャンについては別の記事で語ります。)

 

ミカサは感情や理性よりも先に体が動いてしまうタイプです。

 

(ミカサのキャラクター性に関しては⑤「ミカサ」と「安楽死計画」という章で詳しく語ります。)

 

「この世界は残酷だ」ということの意味は理解していましたが、

 

感情ではまだ理解できていなかったのでしょう。

 

よって、冷静な判断ができなくなります。

 

ガス切れを起こして、墜落してしまいます。

 

巨人に囲まれて絶体絶命のピンチです。

 

④「強い肯定」

 この世界は残酷だが美しい

 

私たちは残酷な世界に生きている。

 

されど、それも悪くない。

 

強者が弱者から奪う世界を受け入れます。

 

ここで死んで、美しい食物連鎖の一部になるならそれも良いだろう。

 

「いい人生だった」と諦めかけます。

 

しかし、巨人の腕がミカサを掴もうとした刹那、なぜか体が勝手に反撃してしまう。

 

諦めているのに…。なぜ、体が動くのか?

 

ーそれは、エレンを忘れないためだ!

 

その瞬間、自らの「生」を強く肯定して、自らの生きる目的を見出し、

 

小さな刃を構えます。

 

 

ここまでのトロスト区攻防戦の話を見ると分かる通り

 

ニーチェっぽいストーリですよね。

 

実存主義と言えるのでしょうか?

 

哲学にわかなので、そんなに詳しいわけではありません。

 

もし、詳しい人がいたら教えてください。

 

 にわかなりの説明です。ご容赦ください。

 

哲学的にまとめるのであれば、

 

巨人に立ち向かうのを諦めて、

 

怒りの矛先を補給兵に向けていた104期達は

 

ルサンチマン」に陥った人間ではないでしょうか。

 

美しい世界に同化して、死んでもいいじゃないと考えたミカサは

 

ニヒリズム」に陥った人間ではないでしょうか。

 

ニヒリズム」を乗り越えて、自らの生きる意味をみつけて生を肯定することで

 

ミカサは「超人」になったのです。

 

「力」や「力の行使」がどうのこうのと言う話は

 

全てこのシーンを見せるための前振りだったわけですね。

 

しかし、このシーンもまた前振りでしかありません。

 

今の説明はこのシーンの表面的な理解に過ぎません。

 

より詳しく説明するには、

「ミカサ」というキャラクターを説明しなければならないでしょう。

 

 ⑤「ミカサ」と「安楽死計画」

ここから先は私の思想ではないと先に断っておきます。

 

ただ、このシーンを見ての個人的な解釈を述べているまでです。

 

人によっては毒になる話なので、⑥に飛んでもらって構いません。

 

「ミカサ」は感情よりも先に体が動いてしまうタイプです。

 

これは、アッカーマンの血によるかもしれないと後に分かる訳です。

 

アッカーマン家の人間は宿主に服従するそうです。

 

「ミカサ」は「エレン」を宿主としていると説明されました。

 

ここでは、まだ自由意志がどうこうという話はしません。

 

この辺はまた、別の記事で説明することにします。

 

問題なのは、体が先に動いた=アッカーマンの血による本能ということです。

 

このことを念頭に置いて、④を見返してみると、このシーンの恐ろしさが分かります。

 

ミカサは感情としても理性としても諦めているわけです。

 

にもかかわらず、体が動いてしまう。

 

なぜ、体が動いたのか?

 

それは、エレンがまだ生きていたからです。

 

宿主であるエレンが生きていたから、

 

アッカーマンの本能が「ミカサ」を殺させなかったのです。

 

にも関わらず、ミカサはそれを自身の意思とらえます。

 

もう死んでもいいと思っているはずなのに、なぜ動くのか?と自身に問います。

 

そして、エレンを思い出す事が生きる目的であると「勘違い」するわけです。

 

「生きる目的」は生を肯定するための切なる願いです。

 

しかし、残酷な世界によって培われた「生きる目的」は生者の哲学です。

 

もし、残酷な世界から超越した存在がいると仮定したら、

 

その存在に「生きる目的」はあるのでしょうか?

 

無いでしょうね。

 

「生きる苦しみ」が「生きる目的」のスパイスであるという考えは生者の言い訳です。

 

自らの意志によって「生きる目的」を持ち「生きる苦しみ」を肯定しているのか?

 

そうではない、、、、

 

「生きる苦しみ」が「生きる目的」を生み出して、それを自らの意志と勘違いしている

 

とも言える!!

 

と、このシーンでは言っている訳です。

 

この部分が「安楽死計画」に繋がっていく訳です。

 

安楽死計画」とは

 

生きる喜びと悲しみは祝福ではなく、

 

生まれてこなければ感じなくて済んだはずの、

 

人類に課せられた原罪とか業みたいなものです。

 

だから、人間が生まれてこないようにしようという考えです。

 

キリスト教的な救済とか仏教の解脱の思想に近いんじゃないでしょうか。

 

 

ここがシーズン4後半の争点になるのかなと思います。

 

しかし、どんなに虚無に捕らわれそうになっても、

 

生を肯定し続けるために戦うのが、ニーチェの哲学だと思います。

 

「戦え」と言い続けていたのはエレンです。

 

シーズン4のエレンは生を無意味にしないために戦っているのかもしれません。

 

しかし、もしこの考えが正しいとするならば、

 

エレンが「安楽死計画」に加担している真意が分かりません。

 

アニメ版のみを追っているので何とも言えませんが。 

 

⑥「人類の怒りを体現した存在」

アニメの本筋に戻ります。

 

帰って来てください皆さん!

 

では、再開します!

 

小さな刃を構えて叫ぶ「ミカサ」

 

その瞬間、巨人が巨人に襲い掛かります。

 

ミカサはその巨人が「人類の怒りを体現している存在」に見えます。

 

この巨人、本当はエレンでした。

 

エレンを見て「人類の怒りを体現している存在」とは言い得て妙です。

 

エレンはミカサに比べて弱いです。

 

しかし、自分より大きくて強い人間にいつも歯向かっている存在でした。

 

エレンとミカサの出会いにしてもそうです。

 

一回り大きい、人攫いに向かって真正面から殺しに行きました。

 

エレンの本質は「理不尽への怒り」です。

 

この「理不尽への怒り」が「自由を阻害するものへの怒り」や「巨人への怒り」に

 

置き換わって行くというわけです。

 

 

⑦その他ピックアップシーン

・フランツの下半身

アルミンが絶望して、生きている人はいないかと周囲を探索します。

 

104期メンバーのハンナが恋人のフランツに人工呼吸している所に出くわします。

 

フランツが息をしていないのとアルミンに助けを求めます。

 

しかし、フランツには下半身がありません。

 

それでも、フランツの人工呼吸を続けるハンナ。

 

ハンナの目に涙が浮かびます。

 

ハンナも分かってて続けているんですよね…。

 

余計つらいです…。

 

アルミンとの会話シーンではずっと

 

アルミンとハンナ、そしてフランツの上半身だけが写されます。

 

下半身がないと示すカットも、切断面がハンナに隠れて見えないようになっています。

 

隠れているからこそ、我々は想像でその部分を補います。

 

しっかりと死を見せるよりも残酷な描写の仕方ですよね。

 

・「主人公」の異常性

ミカサの回想シーンをピックアップしてみました。

 

1〜4話まではとても主人公していましたよね。

 

エレンは「正義の味方」でとてもアニメ的なキャラクターです。

 

そのようなキャラクターの異常性が垣間見えるシーンです。

 

「お前たちの憧れている様なキャラクターは異常な奴らなんだぜwwww」

 

と作者に嘲笑われているような感覚に陥ります。

 

おのれ、作者め!!!!

 

 

⑧まとめ

進撃の巨人はやはり恐ろしいです。

 

グロや絶望展開が恐ろしいのも勿論ありますが、、、

 

裏に隠された毒みたいなものが恐ろしいです。

 

視聴者を毒によって蝕んでいく恐ろしさがあります。

 

しかし、この毒が魅力でもあるとます。

 

なぜ、このような毒が生ずるのか?

 

それは、人の内面の深い部分に干渉するからだと思います。

 

なぜ、人の内面の深いところに干渉するのか?

 

それは、作者が絶えず問い続ける人だからではないでしょうか。

 

自身の考えを否定して、疑問を投げかけて、

 

 どんどんと、深い内面の闇に向かって行く。

 

 これこそが「進み続ける」ことだ

 

と、作者は言いたいのかもしれません。

 

⑨余談

もう一つ恐ろしいのが作者です。

 

諌山先生、、、、あんた恐ろしいよ(笑)

 

何が恐ろしいって、描写を見るに

 

この時点で、「ミカサ」のキャラクター設定は決めていたってことですよ。

 

つまり、あのシーンの意味もすでに考えていたということになりますよね。

 

後付けじゃないんですよ。

 

さらに、恐ろしいことに感動的なシーンに昇華しているんですよ。

 

普通にエンタメとしても面白いです。

 

 

私も、今からでも凄い漫画が描けるかも!!!

 

いや、これ見せられたら絶望しちまいますよ(笑)

 

私は漫画家でも何でもないですが、すごい敗北感を感じています。

 

落ち込んだら、カラオケに行ってたんですけど、、、

 

このご時世ではそうも行きません。

 

取り合えず、私は寝ることにします。

 

寝ることが一番の薬になるはずです。

 

 

 

 次回はトロスト区攻防戦の後半戦をお届けします。

 

 

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