無職転生23話「目覚め、一歩、」感想~23話で描かれたもの~

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23話「目覚め、一歩、」を視聴しました。

「転生者である」ということに、ここまで丁寧に向き合った作品は、

後にも先にも『無職転生』だけでしょう。

こんな作品は滅多に無いですよ。

 

 

目次です→

 

公式サイト→

TVアニメ「無職転生 ~異世界行ったら本気だす」公式サイト

 

ネタバレなし感想

 

23話要約

それぞれのの「目覚め、一歩、」が描かれた。

どのキャラクターもルディーのおかげで一歩を踏み出せた。

ルディーを認め、感謝していた。

しかし、その声はルディーには届かない。

 

挫折して、「ユメ」の世界に浸るルディーは過去を回想する。

今までは環境のせいで上手く行かなかったのだと思っていた。

しかし、前世には厳しさと同じくらい優しさがあったのではないか。

立ち直れなかったのは自分のせいだったんじゃないのか?

怠惰な自分が異世界に来ても上手く行くはずがなかったのだ。

人は簡単には変われないのだ。自分は結局変われなかった。

だから、本気で生きることを諦めよう。

自己否定に陥るルディー。

 

ルディーは自分の意識の中に深く潜っていく。

その過程で母の夢を見る。

母の目からルディーが肯定されて、自己否定から脱却する。

自分のルーツを見つけて、強く自分を認識し、身体と精神が一体となる。

ルディーは「異世界」という「現実」で本気で生きる決心を固めて旅立つのであった。

 

 

OP

22話は喪失の物語、23話は再生の物語であった。

対比が面白かった。

 

前回のOPでは、空が厚い雲に覆われていく所から始まった。

これから起こる喪失の物語を象徴しているかのようである。

今回のOPは、雲間から一筋の光が差し込む所から始まった。

これから起こる再生の物語を象徴しているかのようである。

対比的に描かれている。

 

同じOPである。

にもかかわらず、印象が全く違うのが面白い。

 

 

23話OPでは、再生に奮起する村人達を描いた。

みな、汗をかいて必死に働いている。

汗がポタっと落ちる表現がある。

これは、第1話冒頭や第23話ラストに繋がる描写である。

滴が落ちるというのは、誕生、生きている証、身体性、立ち直ることなど、

様々ことを表していると思う。

ノローグの変化とも、関わってくる。

詳しい説明は、「沈んでゆく。記憶を遡る。」という章で語る。

 

 

天幕の外側には「現実」を乗り越えようと、

「身体」を動かして必死に生きている人間たちがいた。

対して、天幕の内側は「ユメ」の世界のまま。

時間が止まったままである。

エリスの髪の毛は散乱したまま。

食べ物は手つかず。

杯はからっぽ。

「現実」に嫌気がさして、

腐っているルディーが映し出される。

 

天幕の隙間から、強い光が差し込んでいる。

寝転がって、隙間から外側を覗いていた。

外側にある「現実」は希望に満ち溢れ、活気が蘇りつつある。

しかし、ルディーは眩い光を避けるように、

光の当たらない暗闇に戻ってしまう。

ここで、OP終了。

 

 

濃いよなー。OP。

OPだけで永遠語れる。

 

 

止まった時計。止まった部屋。

引きこもってしまった原因が回想された。

声優さんの演技も相まって、物凄く辛い……

 

 

引きこもった直後、両親が励ましに来た。

彼にとって、部屋の中は現実から唯一逃れられる、

自分のためだけの場所だった。

だから、他人が入ってこようとしたことに拒絶反応を示した。

両親が部屋に入ってくるのを拒絶し、時計を投げつける。

時計は、壁に当たった衝撃で壊れてしまう。

それ以来、彼の部屋の時間は止まったままだ。

 

 

現実は待ってくれない

時計が止まり、前世の男の部屋も止まってしまう。

しかし、現実は待ってくれない。

両親が死んで追い出されてから、やり直そうと思っても、

取り返しがつかないこともある。

 

 

OPでは、天幕の内側の時間が止まったという表現であった。

しかし、やはり現実は決して待ってくれない。

時間は常に流れ続ける。

時間と共に現状がコロコロ変わっていることが描写される。

果物は時間とともに腐り落ちていた。

アルフォンスにも、そろそろ働いてくれと言われてしまう。

ルディーは言葉や態度では反発している。

それは、心の中ではこのままじゃダメだと思っていることの裏返しである。

アルフォンスは、ルディーを停滞から救うために、発破をかけた。

現実と折り合いをつけて、自分から立ち直るように仕向けたのである。

 

アルフォンスに発破をかけられたおかげで、

ルディーは、天幕の隙間から差し込む光に戻る。

彼は過去を回想して葛藤する。

停滞していた時間が動き始める。

 

 

またこのシーンでは、部屋に入れず、どう接して良いか分からなかった両親と、

天幕の中に入って、ルディーと向き合ったアルフォンスという対比も興味深い。

 

 

沈んでゆく。記憶を遡る。

途中何度か、ぽこぽこと泡が出る描写があった。

泡の表現には色々な解釈があると思う。

思いついた解釈は大きく二つある。

 

 

一つ目は、心の内面に沈んでいったという解釈である。

彼は自身の記憶やトラウマと向き合う。

 

今回はそれぞれのキャラクターの「目覚め、一歩、」が描かれる。

描かれた順番に注目して欲しい。

 

エリス→ルイジェルド→

ザノバ→ギース→獣族の村人→魔族の少年→

ロキシー→(家族)→ゼニス

 

※家族だけちょっと、セオリーに合ってないかもしれないので()にしておいた。

 

キャラクターが、別れた順番と真逆に描写されている。

上手いなーと思った所である。

ルディーの記憶を辿るように、キャラクターが描写されている。

視聴者が記憶を辿っていくことで、

ルディーの内面に深く落ちて行く。

内面に落ちていくことで、ルディーの精神と身体の根源を探る。

23話は「ルーデウス・グレイラッド」という人間の根源を探る旅なのである。

その終着点には、母の愛があったというのもとても良い落としどころだと思った。

今まで、ルディーはゼニスに対してひどく無関心であった。

しかし、顔などの身体的特徴はよく似ている。

彼は根源を探ることで初めて、母という自分のルーツを見つける。

ゼニスを母親だと強く認識したのかもしれない。

ルディー以外の視点で、ルディーの生を肯定してくれた。

そこから、自分の二度目の生を肯定できたかどうか分からないが、

心の内面から浮上して行き、現実と折り合いはつけられたようである。

 

 

二つ目は、母のお腹の中という解釈である。

彼は母を回想することで、折り合いをつける。

ノローグが前世の男からルディーに変わり、口調は僕から俺になる。

ノローグの声はルディーの身体と同じである。

口調は精神と同じである。

身体と精神は一体となったということだと思う。

そして、「ユメ」から「現実」に羽ばたく。

これは、ルディーにとって、二度目の誕生を意味する。

 

ここで、滴の表現についてまとめる。

ルディーが一歩を踏み出すシーンで、滴がポタっと落ちる描写がある。

第一話の冒頭も似たように水滴が落ちる描写がある。

死にかけた前世の男が、ゼニスが出産するときの声を聴くシーンである。

つまり、これは誕生を象徴するものである。

同時に、第一話における水滴は生と死のはざま、

つまり、喪失と再生をわかつものでもあった。

立ち直ったことの象徴でもある。

これは、23話OPの汗が滴り落ちる描写にも言えることである。

故郷を失ったが、何とか未来に向けて再生しようとする村人達を描いている。

同時に、この汗は現実と向き合い、「身体」を使って、

必死に生きている村人を表している。

 

つまり、雫が落ちる描写は「生」や「身体」などの象徴でもある。

よって、23話ラストの滴が落ちる描写は、

立ち直ったことを示すと同時に、

精神と身体が一体となったルディーの二度目の誕生を示している。

 

泡の表現はゼニスのお腹の中を表しているとも解釈できる。

母の夢の後に、たくさんの泡が溢れる。

ルディーがお腹から取り上げられ、再び誕生したことを象徴しているのかもしれない。

もしくは、母のお腹の中で優しく抱き留められていたルディーが呼吸をする、

つまり、母のお腹の中と言う優しい「ユメ」の世界ではなく、

外の「現実」で生きなければならないと考えたことを意味しているのかもしれない。

 

母のお腹から出るという表現は、大人になったということも示している。

母に守って貰うのではなく助けようと考えるのは、少年時代からの脱却を示す。

 

こじつけかな(笑)

 

以上、泡の表現に対する私の解釈を二つ紹介した。

 

それぞれの「目覚め、一歩、」

それぞれの「目覚め、一歩、」が描かれた。

これを、ルディーに見せたいよ。

ルディーは、周りに助けられるばかりだと考えているのかもしれないが。

 

「見てごらんよ!君のおかげで一歩を踏み出せた人たちがこんなにいるんだよ!」

「転生者だろうが関係ないよ!」

「あなたの必死の行いを見て、評価し、信頼してくれているんだよ!」

「我々だって、あなたを応援しているよ!」

 

そうルディーに言ってやりたかった。

しかし、ルディーには届かない。

 

「周りは手を差し伸べていたのに、俺は踏み出せなかった。」

「俺がこうなったのは俺のせいだ。」

自己評価が低く、卑屈になってしまっている。

私の声はルディーには届かない。悲しい……。

 

 

繋ぎが自然

それぞれの「目覚め、一歩、」を描く時の繋ぎが自然だった。

それぞれのキャラクターを描写する。

同時に、ルディーは記憶を辿り、内面に落ちて行くことも描写する。

複雑なお話を自然に見せている。見やすい。

脚本力のなせる業である。23話は原作者が脚本を担当していた。

原作も滅茶苦茶読みやすい。

原作者はお話を整理する能力が高いのかなーと思う。

私もお話を整理する能力欲しいよー。

 

 

また、アニメ制作陣も凄い。

例えば、ギースが水が欲しいという話をする。

その後で、ごくごくと水を飲むテルセナや、海を見る魔族の少年を描く。

断片的なシーンなのに繋がっているように見える。

他にも、キシリカが魔眼で見ることで、家族を描写するのも自然だった。

見る→見たものという動線がはっきりとしていて自然である。

脚本の意図を理解して、

見やすいようにシーンを構築したアニメ制作陣もさすがである。

 

 

オンリー

エリスの「目覚め、一歩、」にグッと来た。

まず、早起きするだけで感動する笑

 

エリスの影を見せて、自分への自信の無さを示していると思う。

エリスの汚れた足元を見せることで、努力する気概を示していると思う。

そして、風でフートが外れ、エリスの顔の全貌があらわになる。

可愛かった印象だったエリスが、覚悟と共に髪を切り、

かっこいい印象に変わった!

 

 

第一クールED「オンリー」をもう一度聞いて欲しい。

エリスの為の歌詞である。

 

 

魔族の少年と巡礼者(?)を対比

第11話で、ルイジェルドは魔族の少年を助ける。

にもかかわらず、スペルド族だと分かると魔族の少年に恐れられてしまう。

 

 

第23話で、ルイジェルドは巡礼者を助ける。

今度は、スペルド族だと言っても感謝された。

呪いが消えかかっていることが分かる。

また、自分から勇気をもってスペルド族だと名乗った。

自分の力で一歩目を踏み出した所にグッと来るね!

 

 

我々に語りかけてくるザノバ

「またお会いできると信じておりますぞー!」

ザノバが画面の奥の我々に向かって宣言している。メタい。

二期やりたいというアニメ制作陣の意志を示しているのだろうか。

 

 

ちょっとたくましくなったテルセナ

テルセナちょっと逞しくなってない?気のせいかな。

毎日素振りをして、筋肉がついたのかもしれない。

エリスやルディーのおかげで、

しっかりと鍛錬をするようになったミニトーナとテルセナが描かれる。

 

 

エリスの描き方、ロキシーの描き方

今までエリスは、子供を描く感じで描かれてきた。

エリスを性的に描くのは、ルディー視点のときだけだと思う。

無職転生における性的描写の殆どはルディー視点の時だけである。

この性的描写はルディーを批判的に見て欲しいから、敢えて強調しているのだと思う。

 

23話のエリスは、かっこいい感じで描かれた。

エリスの覚悟が伝わってくる。

 

 

私は絵描きじゃないから詳しくは分からないが、

全編通してロキシーは性的な描かれ方をされている気がする。

なぜ、このような描かれ方をしているのか?

今後の布石だと思う。

 

 

アイシャが怖いよー

アイシャ&リーリャとパウロの再会が描かれた。

アイシャは迷わず、パウロの胸に飛び込んだ。

リーリャはパウロの顔を見ると涙を流す。

 

 

アイシャは「感動の再会を演出してやったぜ!」という顔でリーリャを見ている。

ルディーが迷った末に出した解を、瞬時に導き出し、再会を演出する。

アイシャの行動が合理的すぎて怖い。

 

 

自己否定

今までの無職転生では、前世の男にとって、

外の世界がいかに苦しい場所であったのかを描いてきた。

第2話では、この部分が散々描かれた。

 

「環境が悪かったから、俺はダメだったんだ。」

表面上はそう思っている。

そう考えるしか自分の心を守るすべがなかったから。

しかし、心のどこかで自分のせいだと考える自分がいる。

 

周りは手を差し伸べようとしてくれていた。

母親も、父親も、兄弟も、兄弟の娘も。

方法は間違っていたかもしれないが、自分を慮ってくれていたのに。

下の階からは、優しげな一家団欒の声が聞こえる。

外の世界には、厳しさと同じくらいの優しさがあったかもしれない。

なのに、俺は一歩を踏み出すことができなかったんだ。

そう考えてしまう。

 

ルディーの自己評価が低い理由はここにあったのである。

自己評価が低いからこそ、ルディーは必死に頑張るのかもしれない。

 

 

母の目によって、ルディーの生が肯定された。

これによって、ルディーは一つとなってもう一度誕生し、

再び立ち上がるのであった。

 

 

第1話を見たとき、不自然な所で切れているなーと思った。

実は、第1話ラストのモノローグが第一期全体への謎かけになっていた。

このモノローグへの回答を、23話において示した。

第一期だけで一つの物語になっていて、凄いと思った。

 

 

雪の中を必死に歩くルーデウスの後ろ姿

ラストシーンで、雪の中を必死に歩くルディーの後ろ姿が描写される。

自分の力で必死に生きている様が伝わってくる。グッと来た。

我々を置いて行って、どこかへ行ってしまうようで悲しかった。

いつまでも、ユメの世界に浸ってはいられない。

我々も「現実」と向き合わねばなるまい。

 

 

ネタバレあり感想

ここからは、ネタバレあり。

アニメのみ視聴勢はここまで。

ここまで読んでくれてありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作勢が涎を垂らして喜ぶ描写

ゼニス周りの表現は、原作勢に向けた描写だった。

ゼニスは『転位迷宮』の奥底で眠り続けている。

この夢は、ルディーの夢であると同時に、ゼニスの夢でもある。

ゼニスが見ている夢を、

ルディーの無意識に送ったのかもしれない。

夢と夢が繋がったという描写だった。

 

「指に紡錘が刺さって、姫は死ぬ代わりに、百年間眠り続ける。」

指を裁縫針で刺す描写は、『眠り姫』のオマージュであった。

コメントで気づいた。気づいた人凄い!

 

 

「支度が出来たら起してくれると助かるわ。」

というセリフだけ、明らかに浮いていて怖い。

ゼニスもルディーも描かず、

まるで遠くから聞こえてくるかのような違和感がある。

 

 

ルディーがちょっと俯瞰した感じで描かれているのも、

ルディーとパウロのやり取り、ゼニスやアイシャがキラキラ光っているのも、

これが、ゼニスの夢だからである。

 

 

「大好きよ。」と言うとき、ゼニスの口が動いていない。

この夢がテレパシーかもしれないことを暗示している。

 

 

なぜ、この夢でルディーは「現実」と折り合いをつけられたのか。

ルディーは自分を転生者であり、生きる資格も気概もないと考えていた。

しかし、ゼニスが肯定してくれた。

ルディーの精神体にとっては、ゼニスはただの「ゼニス」である。

しかし、「ゼニス」にとっては、

ノルン、パウロ、アイシャ、リーリャと同列の大切な家族であった。

血の繋がった、愛おしい息子であった。

二人の顔が同時に映るカットがある。

あら、そっくり!

 

また、うたた寝していたゼニスを一瞬起こしたのは、

娘の存在と息子とパウロの声であった。

家族を心配する母の愛によって、

ゼニスが落ち込んだルディーにメッセージを送る。

グッとくるね!

 

それまで、ルディーの内面に深く沈んでゆくという描写があった。

ルディーの心の深い所でゼニスの心と繋がっていた。

ルディーとゼニスがユメの中で邂逅する。

ルディー以外の目から、ルディーが肯定された。

これらによって、ルディーは自分自身を肯定できたか分からないが、

「現実」と折り合いをつけられたようである。

 

 

山脈の向こうでは

ED終了後。

赤竜山脈を超えた向こう側。

ラノア魔法大学では。

フィッツ、アリエル、ルークらがルディーについて話していた。

この人たちが出てくるってことは、二期がありそう。

 

 

ちなみに、ザノバはなにやら雪景色の中を進んでいる。

また、アリエル一行がいる地域も雪景色である。

さらに、ルディーも雪の中を進んでいる。

この三組がラノア魔法大学で再会することを暗示しているのかもしれない。

 

 

第二期(3,4クール)のテーマについて考える

ここまで読んでくれてありがとう!

ここからは、第二期について考えていることをグダグダ語る。

引き続き、原作のネタバレあり。

アニメしか見ていない方はお気を付けください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無職転生』で語るべきことを、もうほとんど描かれてしまったんじゃないの?

いやいや、描かれていない部分がまだあるよ。

 

 

 

ルディーの居場所

ルディーは、すれ違いに定評がある。

これを調律してくれるのが、フィッツという存在だと思う。

学園篇ですれ違いがピークを迎える。

フィッツが勇気をもって、

通り過ぎようとするルディーの手を掴んでくれる。

これによって、ルディーはすれ違いから解放される。

 

フィッツは、ルディーの傍らに立って支えてくれる存在だ。

ルディーと背中を合わせて戦いたいと思っているエリスとは対照的な存在だ。

ルディーの相談に乗ってくれる、頼れる先輩だ。

ルディーがこの世界にもう一度居場所を作る手伝いをしてくれる。

 

 

 

転生者としての歪み1

ルディーは、この世界で本気で生きて行こうと決心する。

これは、異常ではないか?

自分に置き換えて考えてみて欲しい。

転生したら、初めは楽しいだろう。

しかし、だんだんと寂しくなり、

帰りたいと考えるのではなかろうか?

異世界を「ユメ」だと考えて、「現実」に帰りたいと思うだろう。

異世界を「現実」だと考えて、本気で生きて行こうとは思わないだろう。

ナナホシと対比することで、この部分が描かれると思う。

 

21話が布石になってくると思う。

ルディーとナナホシの背丈が同じくらいであることが示される。

ナナホシの小ささを強調していた。

この世界に転生して、成長し、「現実」を本気で生きようとするルディーと、

この世界に転位して、身体の成長が止まり、「ユメ」から逃げようとするナナホシ

この二人の対比が描かれるだろう。

 

 

 

ルディーと兄弟たち

ルディーは、23話時点では、自分視点でのみ前世を思い出している。

前世の両親や兄弟の気持ちを追体験する展開が来るだろう。

 

どうして良いか分からず、ドアを開けられなかった両親や、

天幕に入って来て、ルディーと向き合ってくれたアルフォンスなどが、

布石になってきそうな気がする。

 

原作は、ルディー視点とノルン視点を完全に分けて詳しく描写していた。

しかし、アニメ版はそういう描き方をしない。

同時に、両方の視点が見えるように作っている。

第一期16話、17話のような視線マジック使ってきそう。

マスターが顔を見ろと言ったときのパウロの顔と

ノルンの部屋に忍び寄るときのルディーの顔を比較できるように、

作ってくれるのではなかと妄想している。

どのような描写になるのか。必見である。

 

 

 

転生者としての歪み2

ルディーは転生者としての歪みを自覚していない。

ルディーの肉体は確かにパウロとゼニスの子である。

今回、それを自覚することでこの世界で生きる決心がついた。

しかし、実際は転生者である。この事実は変わらない。

今回は、自分という存在への強い肯定となったが、

場合によっては、強い否定にもなり得る。

「母親が自分を愛してくれたから、生きていいんだ。」

という肯定ではなく、

「息子だから母親と父親は愛さずには居られなかった。」

「でも、自分は本当の息子じゃない。」

「この喜びは『ルーデウス・グレイラッド』が享受すべきものだった。」

「自分が割って入るべきものでは無かった。」

という強い否定にもなり得る。

この辺は、第二期のクライマックスで描きそうだ。

23話はそのための布石にもなっていた。

23話で親子の血の繋がりを自覚させておいて、

それを粉々に粉砕するという鬼畜の所業である。

 

パウロの死という喪失を描く。

その後、ロキシーに前世の話をすることで、前世の男が救われる。

ロキシーが汚れた等身大の女性だからこそ、

汚れた前世の男を許せるのかもしれない。

「汚れた手と手で触り合って形が分かる」

バンプの歌詞になりそうである。

その後、子供の誕生という再生を描く。

『ルーデウス・グレイラッド』として、

父の子に恥じない生き方をしようと決心する。

このような流れになるのではないかと思う。

 

 

 

第二期で描かれる内容はこの辺になると思う。

 

 

 

 

第二期(3,4クール)についてダラダラ語る(2022/10/29追記)

ここからは、以下の作品のネタバレあり↓

無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

無職転生 - 蛇足編 -

(・アイシャ編)

・ジョブレス・オブリージュ

 

アニメしか見てない方、原作本編しか読んでない方はお気を付けください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二期の第1話が気になる

第一期では、第1話のモノローグが大事だった。

第1話のラストが違和感のある所で切れていたのは、

第1話のモノローグが第一期全体への謎かけになっていたからである。

第二期の第1話では何が描かれるのだろうか? 楽しみ!

 

 

 

門番二人

19話〜20話に登場した門番二人がどういう扱いになるのか気になる。

23話において、ザノバと一緒にラノアに向かっている描写が描かれている。

ジンジャーと共に、ザノバに仕えるというアニオリ展開も考えられる。

 

 

 

新たな大地の文化や風俗

中央大陸北部の雰囲気がどんな感じになるのか気になる。

リカリスはアフリカみたいだった。

ウェンポートはイスタンブールっぽいなーと思った。

同時に、ウェンポートはアレクサンドリアっぽいなーとも思った。

ザンポートは中世ヨーロッパにおける地中海の港って感じ。

大森林は熱帯雨林っぽい。

ミリシオンは中世のミラノとかそんなイメージなのかなーと思った。

ウェストポートも同様に中世ヨーロッパにおける地中海の港。

イーストポートは中国の港だよな。

ウェンポート〜ザンポートに行く海に比べて、

ウェストポート〜イーストポートに向かう海の方が荒れている。

これは、ウェンポート〜ザンポートは地中海のイメージで、

ウェストポート〜イーストポートはインド洋や太平洋などの外海の

イメージだからなのかなーと思った。

イーストポートからシーローンまでの街道の風俗はシルクロードっぽい。

シーローンは現在は中国の西部に位置するカシュガルなどの雰囲気と、

東南アジアやインドのテイストが混ざり合って、不思議な異国感があった。

アスラ王国は正直よく分からない。

神聖ローマ帝国や、フランス、スペイン辺りじゃないかなーと思った。

 

では、中央大陸北部の風俗はどんな感じになるんだろうか。

豪雪地帯であるようだ。

おそらく、赤竜山脈の影響なのだろう。

日本の北陸が豪雪地帯になるのと似たような原理だろう。

じゃあ、中央大陸北部全体を北陸っぽくすりゃ良いんじゃないかとも思った。

しかし、原作を読む限り、中央大陸北部の中で、

ビヘィリル王国と鬼ヶ島は日本のイメージだが、

それ以外は西洋風のイメージである。

ラノアはミリスの街並みを似せて作っているらしい。

どんな感じになるのやら。さっぱり見当がつかない。

 

中央大陸北部に四季の概念ってあるのか気になる。

万年雪景色なのか。

それとも、冬には雪が降るんだけど、

春になると雪が解けて緑が見え始めるのか。

後者の方が魅力的かなーと思う。

これから、ラノア魔法大学がルディーの本拠地になる。

今後も何度も出てくる街である。

もし、前者のように万年雪景色だと、

ずっと同じ絵になって飽きちゃうと思う。

後者ならば、季節によって雰囲気が一新されるので、

飽きずに楽しめると思う。

四季がある設定ならおいしい米が作れることにも頷ける。

 

雪が降るからこそ面白い表現が飛び出してくるかもしれない。

雪が降るということは屋根に負担がかかる。

雪に耐えられるように、屋根の斜面を急にするという工夫が考えられる。

この部分は原作でも描写があった気がする。

 

雪がたくさん降るならば、雪を使った色々な遊びが描写されるかもしれない。

かまくら作ったり、あの世界における雪だるまに当たるものを作ったり、

雪合戦やスケートで遊んだり。

湖があったら、寒中水泳やってみたり、氷上で釣りしてみたり。

 

雪が降るということは寒いはず。

原作ではラノア魔法大学はレンガ造りみたいなこと書いてあったけど、

レンガ造りって寒くないのかな。

暖房設備を作ってみるとか。

パイプ+温水にしてみるとか。

魔法があるんだからできると思う。

暖かい外気が外に逃げないように、ドアを二重にしてみたりとか。

こういう手法を、ナナホシが発明して学校に導入したという設定にして、

アニメの中に入れても良いんじゃないかと思った。

ということで、中央大陸北部の風俗について考察してみた。

 

SFやファンタジー作品を読むとどうしても、

経済とか思想よりも、

暮らしている人のリアリティーが気になってしまう。

 

どこで寝るんだろう?

朝何時に起きるんだろう?

寝起きは私のように悪かったりするのだろうか?

歯磨きはするのだろうか?

どこで用を足すんだろうか?

おならとかゲップもするんだろうか?

どんなもの食べてるんだろうか?

どんな服を着ているのだろうか?

どんな遊びが流行っているんだろうか?

街はどんな匂いがするだろうか?

天候によって街の雰囲気はどう変わるのだろうか?

どうやって生計を立てているんだろうか?

雨が降ったらどうするんだろう? 傘とかさすのかな?

その世界で恋愛や家族とはどのようなものなのか?

何人を養って生きているんだろうか?

何を生きがいにして生きているんだろうか?

 

生理的な欲求も含めて、

暮らしている人のリアリティーが分かってはじめて、

その世界の経済の仕組みとか思想が理解できると思うである。

私の我儘な需要を満たしてくれたのが、

無職転生という作品だった。

原作者もアニメ関係者も本当にありがとう。

さて、第二期ではどんな感じで描かれるんだろうか。楽しみだ。

 

 

 

 

冒険者以外の生き方

前の章で、暮らしている人のリアリティーという話が出てきた。

私が気になっているのは冒険者や商人以外の仕事である。

皆が皆、冒険者や傭兵になれるほど腕っぷしがあったり、

商人になれるほど目端が利く訳ではない。

みな、あの手この手で生計を立てているはずだ。

江戸時代には水屋なんてものがあったり、

橋なんてないのが当たり前だから、川を舟で渡す職業があったり。

街道沿いに宿を経営している人が居たり。

そういう感じで、思い思いの仕事をして日銭を稼いでいると思うのだ。

 

例えば、冒険者にならずに旅をする方法を考える。

冒険者ギルドが各地にあるということは、

冒険者ギルドがあることによる副次的な仕事があるはずだと考える。

冒険者ギルドで給仕をやって稼ぐとか。

冒険者ギルドでは特有の賭博が流行っていて、その賭博で稼ぐとか。

冒険者に必要な物資を運んで稼ぐとか。

交通手段の馬とか舟とかを使って稼ぐとか?

想像力が貧困でここまでしか出て来なかった。

 

そういったものを描写するにはどうしたら良いのだろうか。

ノルンとアイシャがイーストポートからラノアまで、

旅する様子を描写したら良いのではないかと思った。

ノルンもアイシャも冒険者ではなく隊商を乗り継いで旅をする。

冒険者や商人とは違った視点で世界を描けるのではないかと思った。

そういうアニオリもありなのかなーと思った。

しかし、絶対にこういった込み入った物語は長くなる。

もっと大事な、他のお話に使う話数がなくなってしまう。

このアイディアはダメだ。

せめて、OPでさらっと描写するぐらいになるのだろうか。

 

 

 

 

余談:原作の続編に関する考察

完全に余談なのだが、アイシャが隊商を乗り継いで旅をしたのは、

物語の中で大事な要素だと思う。

それぞれの商人が思い思いの取引をするために、

思い思いの場所に物を運んで売る。

隊商は行く時間も場所もランダムで、

アイシャとしては計算しづらかったはずだ。

隊商が売ろうとしているものも一貫性がなく様々。

物を買い取ってお店に出す側としては、

もっと安定して同じものを買って、値段を安定させたいはずだ。

経営者気質のアイシャは不合理さに気がついたのではないかと思う。

定期的で安定した流通システムを作れないだろうかと考えたのではないか。

発注や管理を行う人、物を運ぶ人、作業する人に分けて、

より合理的なビジネスを行いたいはずだ。

それが、転位魔方陣やルード傭兵団、ザノバ商会なのではないかと思う。

転位魔方陣を使えば、安定して同じ材料を運べる。

また、転位魔方陣を使えば、関税をとられず、値段が安く抑えられる。

ルード傭兵団を使って、作業をさせる。

ザノバ商会を使って、マジックアーマーを大量生産する。

絵本によって、識字率が上がっているので、広告により効果があると思う。

七代列強の石碑を改造した携帯もどきで、広告をうつ。

そして、色々な人に買ってもらう。

こういう形になるのではないか。

 

ただ、アイシャが撒いた種って、凄い危険だなーと思った。

原作では、転位魔方陣は軍事的に危険とか、

ミリスが関税かけられなくなるので渋っているぐらいしか描かれていない。

でも、これらの変化はもっと凄まじい影響を与えずには済まないと思う。

 

想像してみて欲しい。

無職転生の世界に転位魔方陣が出来るというのは、

現実世界において、

中世の社会にいきなり新幹線が開通したのと同じようなことである。

一気に文明のレベルが上がるはずだ。

産業革命みたいなもんだ。

近代や、下手したら現代のような文明レベルになると思うのだ。

その代わり、大量の失業者が出る。

 

19世紀アメリカでは、大陸横断鉄道が出来てしまった結果、

カウボーイが大量に失業したという例がある。

19世紀イギリスでは、産業革命により機械が普及した結果、

失業を恐れた職人などが機械打ち壊すラッダイト運動が起こったという例がある。

最近では、AIが普及したら大量の失業者が出るのではないかと騒がれている。

 

テクノロジーが発達すればするほど、我々の生活は便利になる。

その一方で、テクノロジーが発達すればするほど、人間の食い扶持が無くなって行く。

中二くさく言うのなら、創造と破壊は表裏一体というやつだ。

 

無職転生のような世界においては、

川を渡す仕事とか宿屋も危ない。

配達屋さんとか飛脚みたいな仕事もあるだろうが、それも怪しい。

馬関係の仕事とか、隊商で儲けている商人も怪しい。

そういった、失業した人達は、

アリエルのもと公共事業に従事したり、

ルード傭兵団やザノバ人形商会に、

勧誘したりする形になるのだと思う。

より自由な経済になり。新しいビジネスが生まれる。

そうやって、六面世界に新しい時代が到来する。

それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが。

 

そこで気になるのが、二つの事柄。

一つ目は、冒険者ギルドの動きだ。

冒険者ギルドとルード傭兵団って対立しそうじゃない?

冒険者ギルドって、隊商の護衛、街の用心棒、迷宮からの報酬の、

三つの市場を独占しているんじゃないかと思う。

この中で、隊商の護衛という仕事はなくなるだろう。

 

また、迷宮からの報酬は不安定である。

迷宮からの報酬よりも、

迷宮近くの街に根付いて、その街で用心棒する方が安定すると思う。

迷宮を求めてやって来る冒険者たちが街を作って、

その街の中で迷宮を探索する冒険者を後援するための副業がたくさん生まれる。

そういった人たちの用心棒をする方が儲かると思う。

となると、村や街の用心棒が大事になってくるのでは無いか。

 

ルード傭兵団も同じようなことをしている。

したがって、冒険者ギルドとルード傭兵団は対立するのではないかと思った。

ちょっと強引すぎるかな。

 

二つ目は、ミリス教の動きである。

魔法によって通信手段や交通手段が生まれ、

マジックアーマーなどにより工業は発展する。

人々は(一見)合理的である魔法を信じるようになり、

ミリス教が衰退して行くのではないか?

特に通信手段の発達が決定的だなと思った。

原作において、ルーデウスは七代列強の石碑を応用して、携帯もどきを作った。

これによって、世界に網目状に情報が伝わるようになったら、

人々の価値観がより均一になるのではないかと思う。

そうやって、どんどん宗教が衰退して行くと思う。

また、転位魔方陣の開通により関税がとれなくなるというのも、

ボディーブローのように効いてくるのではないかと思う。

 

ジョブレスオブリージュの最終章を読んで気になったのが、

数十年後の未来において、

鬼神帝国とアスラと王竜が三つ巴の戦争を始めそうだという描写があった。

その描写において、ミリスの名前が全く出て来ない。

ジョブレスオブリージュでの描かれたかはこんな感じ。

 

  北部全土を手中に収めた新興国家、鬼神帝国。

 古来より西部全土を支配するアスラ王国。

 そして南部の約半分を手にし、二国の動向を見守る王竜王国。

 騎士団領は、この三国の丁度中心にいる。

"ジョブレス・オブリージュ - 最終話 未来の英雄", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - (syosetu.com), (2022年10月28日閲覧)

 

鬼神帝国とアスラ王国、王竜王国が今にも戦争を始めそうであるらしい。

ミリス神聖国の名前が出てきこないのだ。

もしかして、衰退してしまって、

どこかの属国状態になってしまっているのかもと妄想してみた。

 

ちなみに、ビヘィリル&鬼ヶ島=日本とすると、

鬼神帝国=日本(大日本帝国?)だと思う。

アスラ王国をロシア、王竜王国を中国とする。

日露戦争日清戦争に似ているな―とも思った。

 

アスラと鬼神帝国ってどうやって戦争するのだろう。

山脈一つ挟んで戦争するの大変じゃない?

海で戦争するのかな。海神族が関わってきそうで面白い。

もしかしたら、マジックアーマーが進化していて、

航空兵器が出来ているのかもしれない。

そうすると、赤竜山脈のドラゴンたちが邪魔になるなー。

 

しかし、一個一個がルーデウスの魔導鎧なみの性能を持つ航空兵器が出来たら、

ドラゴンなんて空飛んでるトカゲでしかなくなるのかもしれない。

巨大輸送機にたくさんの人間が乗り込んで、

神級魔術みたいに大人数で巨大輸送機を制御する。

攻撃する街の上空についたら、

魔導鎧を着こんだ兵士たちがいっせいに降下して行く、

というのはどうだろう。

 

空から爆撃するというのも考えたが、

魔法文明において、爆撃は簡単にレジストされちゃう気がする。

乱魔とか前竜門なんていう魔法もあるくらいだし。

それなら、物理で攻めるしかない。

降下兵という設定が良いのではないかと考えた。

なんか、FF零式のOPみたいになりそう。

 

この辺が次回作では描かれるのではないかと予想している。

完全に妄想なので、あまり真に受けないで欲しい。

 

 

 

余談:「お約束」について

外野の素人が本当に好き勝手に言ってしまってすみません。

私はこういう細かい所が気になってしまう。

異世界転生ものではお約束のように「冒険者ギルド」なるものが出てくる。

冒険者ギルド」がどのように維持されている組織なのか気になっちゃう。

収入源はどこなんだろう? と考えちゃう

あと、A級とかB級とかって何だろうって思っちゃったりもする。

「誰が各仕事のフェーズを判断しているのか? 」とか

「別に、優良可でも、壱弐参でも、いーあーるさんとかでも良いじゃん。」

「なぜ、ABCにこだわるのか」とか。

 

「お約束だからつっこまないでね! 」

「お約束こそが面白いんじゃないか! 」

という気持ちも分かる。

そういう作品はそういう作品で面白い。

最近は、異世界転生ものに限らず、

どのジャンルにおいても、

「お約束」を楽しむ作品が多い気がする。

しかし、異世界転生ものというジャンルでは、

「お約束を壊していった方が面白いものが出来るんじゃないか? 」

と思ってしまう。

同時に、異世界転生ものというジャンルは二次創作文化でもあると思うから、

「お約束があるからこそ、爆発的に異世界ものを書く人が増えたのではないか。」

とも思ってしまう。

 

「お約束こそが面白いんじゃないか!」という考えと、

「お約束を壊していった方が面白いものが出来るんじゃないか?」という考えの、

バランスによって異世界転生ものという文化は保たれているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

理系三人組

私はザノバ、クリフ、ナナホシの理系三人組が好きである。

ザノバは機械系、クリフは情報系、ナナホシは理論系という雰囲気がある。

魔法大学の特別生の雰囲気も、理系大学の研究室にちょっと似ている気がする。

無職転生の作者は、電子回路とかプログラミングに詳しい感じがする。

魔法の理論は全体的にプログラミングに近いと思った。

魔法陣の概念は電子回路っぽかった。

文殊の知恵』という回で出てくる、

魔法陣を重ねるという発想は、

PCやスマホに使われている三次元集積回路の概念に似ている。

それを使って人形の腕を制御しているというのも理にかなっている気がする。

第二期ではザノバ、クリフ、ナナホシの理系三人組が登場する。

また、ナナホシが組む魔法陣も登場するはず。

どんな感じで描かれるのか楽しみだ。

 

 

 

 
原作で分からなかった所

ジュリとの出会いをより詳しく描写するアニオリがあっても良いかも。

原作を読んでいる時に、ジュリとナナホシの不思議な関係性が気になった。

私には読解力が無いので、この二者にどういう関連があるのか分からなかった。

分からないからこそ、楽しい。

もっと、原作を読み込みたい。

アニメ版ではどのように描かれか楽しみである。

 

 

 

 

"彼女"の内面をどう描くのか

シルフィエットの内面をどう描いて行くのか気になる。

 

原作において、学園編の序盤では、

シルフィーの内面は描かれず、ルディー視点で物語が進む。

シルフィー=フィッツであると、読者が気づけるような状況証拠を散りばめ、

ルディーよりも先に読者に真相を理解させるという書き方をしている。

読者は、シルフィー=フィッツだと気がつかないルディーにやきもきする。

シルフィー=フィッツであることが誰の目にも明らかになったタイミングで、

シルフィエット篇に入る。

シルフィエット篇では、シルフィーとルディーの両方の内面を描く。

読者を俯瞰視点にして、キャラクター達を滑稽に描く。

「この二人は一体どうなるのだろう」と読者の注意を引く。

「とにかく幸せになって欲しい」と読者の応援する気持ちを引き出し、

落としどころまで持って行く。

あまり見たことない書き方をしている。

ミステリー調だと言う友人がいたが、

それは最初のほんの数話だけで、

全体的には喜劇っぽい造りをしていると思う。

読者には穴がどこにあるのか分かっていて、

キャラクター達はそれを知らずにその穴に落ちて行く。

その穴に落ちて行く過程をニヤニヤしながら楽しむ構造なので、

コメディーかなーと思った。

それも、元祖って感じがする。

コメディーというよりは喜劇って感じ。

高級感があった。

ノリやキャラは雑多な印象を受けるのに、

構造はお上品な所が、無職転生の良い所だと思う。

逆に、ノリとかキャラを保ったまま、

いかに、本格的に見えるものを創るのか、

という発想で作っているのかもしれない。

 

さて、アニメではどのように描かれるのかなー。

アニメではミステリ仕立ては絶対に無理だ。

アニメで描写してしまったら、シルフィー=フィッツだとすぐ視聴者にばれてしまう。

 

そこで気になるのが、シルフィーの内面描写だ。

ミステリー仕立てでないなら、シルフィーのモノローグも同時に入れつつ、

初めからコメディーのような形にできるんじゃないだろうか。

 

そもそも、シルフィーのモノローグを入れる必要もないのかもしれない。

できれば、私はシルフィーのモノローグによるセリフ無しで、

アニメの描写だけで見せきって欲しいなーと思う。

アニメならそれが出来るんじゃないかと思うのだ。

 

ルディー視点で物語が進む。

相も変わらず、ルディーはモノローグでべらべら喋るが、全く的を射ない。

シルフィーの内面をモノローグではなくちょっとした仕草やセリフで語らせる。

視聴者は初めからフィッツ=シルフィーだと気づいている。

視聴者はコメディーとして二人の行く末を応援する。

こういった形に収まるのが一番良いと思う。

 

主人公のモノローグとセリフを分けたのは、

この辺りの描写を見据えてのことだと思う。

 

このような表現をアニメにするのは大変だということを理解しているつもりだ。

それでも、無職転生にはこういうニッチな表現を続けて欲しいと思ってしまう。

厄介なファンで本当にすみません……。

 

 

 

 

不思議な関係性

アリエル、ルーク、フィッツの三人の不思議な関係性が好きである。

友人関係でもないし、恋人関係でもない。

何だろう。家族のような関係性?

とにかく不思議な関係性である。

この三人がどう描かれて行くのか気になっている。

それで、気になっているのがアリエルがフィッツを襲うシーン。

 

私が原作を読んだ時は、

静かな部屋でシーツの擦れる音やベッドがギシッと軋む音が響く、

アリエルは赤い唇をフィッツの耳に寄せて何かをささやき、

びっくりしてフィッツはアリエルに魔法をかける。

荒々しく扉が開いてフィッツが飛び出して行った。

何事かと思ってルークが飛び込んでくる。

ベッドのシーツはくしゃくしゃになり、ベッドからはがれて床に垂れている。

アリエルはベッドから落ちて、床にぺたんと女の子座りをしている。

松明の光に照らされて、顔の陰影が強調されている。

無表情で俯いている。

口元に影が差していて、笑っているようにも見える。

何とも言えない表情をしている。

しかし、眼は怪しい光で爛々と輝いている。

パチパチという松明の音だけが部屋に木霊していた。

こういうイメージが勝手に頭の中に出来上がっていた。

 

コメディーにせず、あえて、艶めかしい感じで描いた方が、

この三人の不思議な関係性を表現できるのではないかと思った。

アニメ版ではどういう描かれ方をするのか楽しみ。

 

 

 

『旅人の唄』がかかるタイミング考察

アリエル、ルーク、フィッツの三人でもう一つ気になるシーンは、

追手から逃げるシーンである。

アリエル一行が赤竜の上顎で追手と闘うシーンで、

『旅人の唄』が流れるんじゃないかと予想している。

 

恐れるなら 山を越えていけ

満ち足りぬ 心に

溢れ出す水が癒し与え


想像の上 誰も立てぬ場所

慈しみ一つ恋しさを持てば

手にする愛


静寂を知る 風の声は 止まり木をしならせ
二度として同じ空 見せぬと歌う


微睡の中 続くことを願い

夢なら 振り向かずに


想像の上 誰も立てぬ場所

指先に一つ交わす約束は 永遠


溢れ出す 祈り 癒し与え


さようなら さようなら

過ぐる日の私よ

さようなら さようなら

記憶は残せど


想像の上 誰も立てぬ場所

慈しみひとつ恋しさを持てば

手にする愛

(作詞作曲:大原ゆい子, 2021年 「旅人の唄」)

 

 

アリエル一行と、エリス&ルディーの関係を意識して書いた詞だと思う。

「想像の上 誰も立てぬ場所 慈しみ一つ恋しさを持てば 手にする愛」

この辺は、エリスの決心とアスラ王国篇を彷彿とさせる。

「想像の上 誰も立てぬ場所 指先に一つ交わす約束は 永遠」

この辺は、アリエルが王になろうと決心する動機に繋がってくると思う。

「さようならさようなら 過ぐる日の私よ さようならさようなら 記憶は残せど」

この辺は、フィットア領を去るエリスや、

王都を去るアリエルやフィッツの心境に似ている。

この曲はアリエル一行のための曲でもあると分かっていただけたと思う。

 

第二期では、フィッツの回想シーンがあると思う。

アスラ王国を回想するシーンでOPをかけると予想している。

どのタイミングでOPをかけるだろうかと考えた。

私は国境越えのシーンで流すのではないかと思う。

完全に妄想だが、自分ならどういうシーンでOPをかけるかについて考えてみた↓

 

 

 

 

(馬小屋に連れて来られて、遠くで暗殺者の声)

 

「お逃げください、アリエル様。ここにいては死を待つばかりです」

「逃げてどうするというのですか」

「私はダリウスとは懇意です、第一王子派の内部に入り込み、その力を削ぎます。アリエル様は異国の地にて力を蓄え、味方を揃え、機を見て戻ってきてくだされば、立て直しも出来ましょう」

"無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」 (syosetu.com) , (2022年閲覧)

 

(アリエルはピレモンからすっとフィッツに目を向ける)

(小さくて細いシルフィー)

(無表情でシルフィーを見るアリエル)

(目を閉じて、きゅっと唇を結ぶ)

 

「シルフィ、ごめんなさい」

"無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」 (syosetu.com) , (2022年閲覧)

 

 

(90度のお辞儀でシルフィーにお願いをするアリエル。長い髪がたれる)

 

「……こうなった以上、貴女を自由にすべきだとは思うのですが。お願いします、私の身を守ってください。貴女しか頼れる人がいないのです」

"無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」 (syosetu.com) , (2022年閲覧)

 

 

(ちょっとだけ顔をあげて、縋るような目でシルフィーを見るアリエル)

 

「俺からも頼む、俺の剣は未熟だ。アリエル様を守り通せる自信がない」

"無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」 (syosetu.com) , (2022年閲覧)

 

 

「わかった。ボクがアリエル様を守るよ」

"無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」", 無職転生 - 異世界行ったら本気だす - - 第八十三話「王女と騎士と術師」 (syosetu.com) , (2022年閲覧)

 

 

(フィッツの決意の顔)

 

 

文章だと大袈裟だが、実際にはもっと自然な感じで、

このシーンの後、王都を後にするアリエル一行。

アリエルとルークは振り返らず歩いて行く。

フィッツだけがちょっと王都を振り返る。

(アリエルは振り返るかも。この時点でのアリエルの覚悟がどれくらいか分からん)

こっからOPスタート。

『旅人の唄』という曲は『恐れるなら山を越えて行け』という歌詞から始まる。

シーンと歌詞がとてもマッチしている気がする。

アリエル一行が苦楽を共にして旅をするシーンが流れる。

無職転生第一期の20話『ターニングポイント2』のOPのような感じ。

夜にアリエル一行が火を囲むシーンが入る。

その時点でのアリエル一行全員が映し出される。

ここで、サビに移行。サビはできれば二番が良い。

サビで赤竜の下顎での死闘が描かれる。

朝陽が差した。生き残ったのは五人だけ。

アリエルは泣きながら、あるいは呆然として味方の死者の手を取っている。

このタイミングで歌詞は『指先に一つ交わす約束は永遠』

王国篇において、アリエルは王に必要な資質を「遺志を継ぐこと」と説いた。

ここに繋がるように、シーンを描いておくと良いのかもと思った。

フィッツは赤黒い血を顔につけている。

白い肌、白い髪、白い雪原の中で血の色はやけに映えている。

しかし、フィッツは無表情で、じっと敵側の死者を見下ろしている。

その表情からは感情は読み取れない。

ルークや他の二人は当たり前のように剣にこびりついた血をふいている。

ルークたちにとっては政敵と殺し合うというのは当たり前のことなのかもしれない。

敵も味方も等しく岩で埋葬する。

夜にアリエル一行が火を囲んだ同じ場所の同じ方向から、

人数が減って、五人になってしまったアリエル一行が描かれる。

その場を後にする五人。

五人の目の前にラノア魔法大学が見えてくる所でOP終了。

私はこのようになるのではないかと勝手に妄想してみた。

シーンを素人が考えるのは難しい。

穴だらけになっちゃった。

もっと緻密にシーンを想像できたらなー。

 

 

 

 

打ち明けるシーンについて考察

雨の中、フィッツが「自分はシルフィーだ」と打ち明けるシーンが気になる。

原作を読んだ時、このシーンについて、

雨という舞台設定もあって、ロマンス映画っぽい高級感を感じた。

アニメではどういう形で描かれるのだろうか!楽しみである!

 

 

 

水を上手く使う

他のシーンでも、水や雨を上手く使った描写があるのではなかろうか!

と勝手に妄想しているのだが……。

原作において、シルフィーは風魔術のイメージの方が強いが、

アニメにおいて、シルフィーは水魔術のイメージの方が強い。

シルフィーがアニメに登場していたのは3話〜4話の間である。

その間、印象的なシーンでは、常に水の魔術を使っていた。

シルフィーが使っている初級用の杖は、

ロキシーがプレゼントして、ルーデウスが使っていたものだ。

ロキシーと言えば水王宮魔術師である。

ルーデウスがシルフィーに初めて使った魔術も、

水と火の混合魔術である。

 

また、ルディーのいない世界では、

ロキシーとシルフィーは子弟の関係であるらしい。

ルーデウスのいない世界でも、

ノルンとアイシャの家庭教師としてロキシーが雇われるんじゃなかろうか。

その世界では、ロキシーは村でシルフィーと出会い、弟子とする。

おそらく、こういう流れなのではないかと思う。

そういった、ロキシー→シルフィーの継承を強調させる意味で、

水の魔術を多く使っていたのだと思う。

もちろん、アニメでは風を描写するのは難しいという事情もあるのかもしれないが。

 

このような理由があって、

アニメ版では水に関連する表現が多くあるのかなーと予想したのだが。

しかし、ラノア魔法大学と言えば雪だからなー。

それ以外の描写が飛び出してくるのか。

うん!分からん!

楽しみである!

 

 

 

 

 

ルイジェルドとシルフィーが出会うシーンを詳しく描くかもしれない。

ルイジェルドもシルフィーも緑の髪に悩まされた二人だ。

ルイジェルドは髪を切り、

シルフィーは白い髪になり、最終的に髪を伸ばすようになる。

何か因縁めいたものを感じた。

自分で言っててよく分からなくなってきた。

これは無いな!

 

髪といえば、エリスとシルフィーの二人の髪へのアプローチの違いが興味深い。

エリスは髪を切って、ルディーの元を去る。

これは、女の覚悟であり、女を捨てるという記号でもある。

シルフィーは結婚して、髪を伸ばす。

これは、髪へのコンプレックスが無くなったという意味にも取れるが、

髪の伸ばすというのは、人の成長や、女になるという記号だと思う。

 

エリスはルディーと背中を合わせて、

一緒に戦うために、ひたむきに修行する。

シルフィーはルディーに歩調を合わせて、

家庭を作って、相談に乗り、ルディーに居場所を作ってあげる。

この二ヒロインの違いが髪をどうするのかに良く表れていると思う。

 

だから、シルフィーが髪を伸ばすことを決意をするシーンって大事だと思う。

髪がちょっとずづ伸びて行くのを細かに描くのはどうだろうか。

無理を言っているのは分かっている。ごめんなさい。言ってみただけです。

 

 

 

アイシャ=ホリエモン

妹たちも気になる。

原作では日常パートの少なくない紙面を削って、

ノルンとアイシャの二人の成長を描いている。

第二期で気になるのは、特にアイシャの方だ。

ノルンの方はしっかり描いてくれると信じてる。

 

よくよく原作を読み込んでみると、

妹たちの関係性が拗れたのは、

アニメでは第四話にあたる、『緊急家族会議』にて、

リーリャが自分の娘のアイシャを、

メイドとして育てようと決意したこと起因しているのではないかと思える。

アイシャは生まれたときからメイドとして育てられる。

リーリャが、自分のことをメイドの妾だと思って一歩ひいており、

アイシャにも、同様にメイドとして相応しい大人な態度を求める。

父やノルン、ゼニスに対して、常に下の存在であると教え込まされる。

アイシャは、自分は妾腹の子だから愛されないと思ってしまう。

したがって、アイシャは人一倍努力するようになる。

それは、自分に居場所が無いからだ。

実力を認められることによって、愛を勝ち取ろうとするのだ。

ここから、ノルンは実力主義的な考え方になる。

そうすると、当然ノルンが邪魔になってくる。

「私とノルンは同じ姉妹のはずだ。」

「私は頑張って居場所を作っている。」

「ノルンは両親に胡坐をかいて楽をしている。甘えている。」

「なのに、いつも私の方が下だと言われる。」

「母はノルンにちゃんと礼儀をつくさないとだめだと言う。」

「ノルンの祖母にはメイドとしての分をわきまえろと言う。」

「そんなの、おかしい!」

「実力もない、頑張ってもないノルンが、なぜ私より上なの! 」

「私の方が上だって、皆に認めさせてやる! 」

と、おそらくこうなって行ったのではなかろうか。

こうして、アイシャはノルンに張り合うようになるのだ。

この後は、原作で描かれた通りだ。

物語を経て、下のようなキャラクターに成長して行く。

 

アイシャ

・優秀

・愛想は良いが演技じみている

・どこか孤独で居場所がない

PDCAサイクルで考えがち

・実力

・合理的

・経営者気質

 

ノルン

・優秀ではない

・素朴で自然体

・皆に愛される

・挫折と成長で生きてる

・徳治

・感情的

・作家気質(?)

 

なぜ、アイシャが経営者気質だと思ったのか。

アイシャを見ていて、誰かに似ているな―とずっと思ってた。

たまたま、ネットでホリエモンの記事を読んで、

思わず、「これだー!」って叫んじゃった。

アイシャって、ホリエモンに似てない?

最近は、怒っているホリエモンの方が有名だけど、

興味がある人や物に対しては、ホリエモンって愛想が良いイメージがある。

ただ、興味のないことに関してはとことん冷たい。

合理的で、PDCAサイクルで生きている感じがする。

アイシャ=ホリエモンだと気がついたら、合点がいった。

偏見だが、歴史に名前が残っている女性は、そういう気質がある。

アイシャは、クレオパトラやシャネルと同じタイプだと思う。

このタイプは、劣等感を幼少期に植え付けられている人が多いという印象がある。

幼少期に、自分は人とは何か違う、自分には愛される権利がないんだと考える。

したがって、人よりも何倍も頑張らなきゃ、自分に居場所があると思えない。

このタイプは、自分が持っていないものを積極的に得ようとする傾向にある。

いつも、何かを情熱的に求めて、行動している印象がある。

目的意識を強く持っていて、目的のためには手段を選ばない。

目的を達成してしまうと、途端にその目的がどうでも良くなってしまう。

歴史を追って行くと、このタイプの女性は、恋愛によって身を滅ぼす傾向にある。

情熱的な部分と冷酷な部分をあわせもっている不思議なタイプ。

このような人たちに比べて、私には何かを切実に求める情熱がない。

両親に大事に育てられて、満ち足りた幼少期を過ごしたためである。

両親に感謝したい。

また、アイシャは自分にはないものを持っている。

自分にとっては不思議な存在だからこそ、魅力的に見える。

 

対して、ノルンはの気持ちは分かりすぎて、客観的に分析できない。

それは、他人事じゃないからだ。

私には、全てにおいて私の上位互換のような兄がいた。

自分より優秀な兄弟姉妹がいた人はみなノルンの気持ちが分かると思う。

何をやっても実績では勝てない。

「上手くできた!」と思っても、兄弟姉妹はそれ以上に上手にやる。

褒められるのは、いつも兄弟姉妹。

小学校で兄弟姉妹といつも比べられる。

 

上の子がいる場合、兄弟姉妹がやったことに対して、伸るか反るかしかない。

例えば、兄か姉が何かの委員長をやっていた場合は、

委員長になって直接勝負するか、

あえて、委員長にならないかしか、選択肢が無い。

例えば、兄か姉がバスケ部のエースだった場合、

バスケ部に入って意思を継ぐか、

バスケ部にあえて入らないで別の道に行くか。

例えば、兄か姉が進学校に行ったら、

同じく進学校に行くか、

あえて別の高校に行くかしかない。

例えば、兄か姉が理系に行った場合、

同じく理系に行って比べられる道を選ぶか、

あえて、文系に行って逃げるのかしかない。

兄と姉の存在が、何を選択するにしてもちらつくのだ。

この辺りの心理は、他人事じゃないからこそ上手に説明できない。

 

 

優秀な兄弟姉妹は、実績では絶対に上回れない、高い壁になってしまう。

自分を保つためには、

人間関係に価値を持ってくるか、

自分の内的成長に価値を持ってくるか、

兄弟姉妹がやらなかったことをコツコツとやって、

成功体験を積み上げて行くか、

世捨て人になって世間を斜めに見るかしか、

自分を保つ方法がない。

 

余談だが、私の中には、この4人が全員居る、

 

人間関係に絶望すると、内的成長モードになる。

私の中では、このモードが一番長いと思う。

大抵、私はこのモードの時にブログを書いている。

だから、「私はこう考える!」だけの、

自己完結しちゃってる記事が多いんだと思う。

「こういう発見をした」「こういう挑戦をした」

みたいな記事を書きたいんだけど、

なかなか書けない。

私が最も面白いと思っているブログの形は、

「●●のような挑戦をした。」

→「▼▼のような発見をした。」

→「考えが◆◆のように変わった。」

→「これからは、▲▲な行動をしてみようと思った。」

→「次は○○のような挑戦をしてみるつもりだ。

なのだが、なかなか難しい。

 

内的成長モードをしばらく続けているとだんだん虚しくなってくる。

何かしら、コツコツやってみるようとする。

小さいことでも、何かに挑戦してみようとする。

 

しばらくすると、コツコツやるのが馬鹿らしくなって、世捨て人状態になる。

このモードの時に、ブログで謎のポエムや寸劇を書いてしまう。

で、恥ずかしくなって後で消してしまう。

 

このままだとだめだと思い、再び人間関係に復帰する。

私はこの循環で生きている。

以上、自分語り終わり。

 

 

ちはやふる」という漫画で好きなセリフがある。

世の中には

結果より努力が大事って考え方もあるが

指導者にも生徒にも

それは本当は苦しいんだ

「がんばった」も「きつかった」も

風のように流れて行ってしまう

「結果」は石なんだ

「がんばった」を留めておいてくれる石

ちはやふる 20巻

 

幼い頃に、成功体験がない人間はどうなって行くのか。

努力を押さえつけてくれる「石」がなかった人間は、どうなって行くのか。

「結果」を価値としない生き方になるのではないだろうか。

その結果、ノルンは内向的な性格になったのだと思う。

 

このように、私はノルンの気持ちが凄い分かる。

逆に、アイシャの気持ちを知りたいなーと思った。

だから、アイシャをちゃんと描いて欲しいと思った。

 

また、アイシャとノルンの対比は興味深い。

この二人の気質の根本を描くためには、

まず、アイシャをちゃんと描かなくてはならない。

アイシャというのが大事なキャラクターだと分かっていただけると思う。

(アイシャ編って凄く大事だったんだろうなー。削除されててショック。)

 

メイドの娘として、第一夫人の娘と対等に扱われなかったアイシャと、

第二夫人の娘であるにもかかわらず、

他の子供たちと分け隔てなく育てられたララとの対比も興味深い。

 

ルーデウスが居ない世界ではこういう流れになっていると考察する。

アイシャはリーリャのつてをたどってアリエルの元に行く。

アリエル経由でベルギウスと出会い、召喚魔術を研究する。

数十年後、老年のアイシャが篠原秋人を異世界召喚する。

 

ルーデウスが居る世界ではこういう流れになると考察する。

ナナホシがペラギウスと出会い、召喚魔術を研究する。

アイシャがルード傭兵団をまとめ、転位魔方陣を根付かせる。

ララはアイシャはルード傭兵団や転位魔方陣を使って冒険し、

ナナホシの研究成果を用いて、篠原秋人を異世界召喚する。

 

ルーデウスがいない世界ではアイシャが篠原秋人を異世界召喚する。

ルーデウスがいる世界ではララが篠原秋人を異世界召喚する。

 

もし、本当にこの考察が正しいなら、

アイシャとララの間には妙な因縁があって面白い。

アイシャというのが大事なキャラクターだと分かっていただけると思う。

 

脱線がすぎた。ここからアニメ版の話を。

だから、私はノルンがどう描かれるのかより、

アイシャがどう描かれるかの方が気になる。

アイシャがメイドに固執するシーンとか、

礼儀をこだわるシーンとか、

どれも外せないシーンだと思ったので、

どう取捨選択されるのか楽しみである。

 

 

 

 

 

 

以上が、第二期で気になる部分である。

第二期も濃い展開になりそうだ。