2月になった。
2月になってしまった……。
2022年1月にアップした記事は一個だけ。
12月でアニメブログがひと段落ついて、燃え尽きてしまった。
「まあ、12月は頑張ったんだから良いだろう……。」
という甘えた根性のもと、一か月サボってしまった。
結果、ブログを書いてアップする習慣が無くなってしまった。
このままだとマズい。
なんとか、習慣を戻さねば!
まあ、何もやっていなかった訳じゃない。
暇な時間は読書していた。
1月はインプットの時期であった。
それを、今後の雑記ブログでは、アウトプットして行きたい。
まあ、これは言い訳である。
読書をしていたから、ブログが出来なかったのではなく、
ブログをやらない口実を読書に求めただけである。
本当の理由は別の所にある。
本当の理由は、
書いている内に不安になって書くのを止めたり、
書いたけど怖くて投稿できなかったり、
書いた後に恥ずかしくて消したりしているからである。
「私なんかが偉そうに語って良いのか?」
「私に語る権利があるのか?」
「知識が曖昧なのに語って良いのか?」
「間違っていたら恥ずかしい……。」
「つまらないと思われないだろうか……。」
「拙い文章だと思われないだろうか……。」
恥ずかしい。恐ろしい。不安。
そんな感情がブレーキとなって、
私が記事を投稿することを妨げる。
恥ずかしさや恐ろしさを越えなければならない。
そもそも、ネットに文章を投稿するというのは、
私の場合は「普通」の状態ではできない。
アニメブログをアップする時はいつも、
熱病に浮かされたような、ちょっと異常な状態だったし、
雑記ブログを書いている時も、
深夜のハイな時間帯や、徹夜明けのよく分からないテンション、
ちょっと酔っぱらっている時だけである。
ブログなどの創作物を人に見せるのは、恥ずかしく、恐ろしい。
恥ずかしさや恐ろしさを超えるためには、
「適度な頭のおかしさ」が必要だと思う。
「適度な頭のおかしさ」とは「馬鹿と利口のバランス」が良い状態である。
「馬鹿」とは、良く言えば「豪傑」、悪く言えば「考えなし」である。
「強すぎる使命感」も「馬鹿」に内包されると思う。
「利口」とは、良く言えば「慎重」、悪く言えば「臆病」である。
『Hunter x Hunter』という漫画の中で、とても好きなセリフがある。
プーハントというキャラクターのセリフである。
「馬鹿と利口を兼ね備えていないと、前に進めなくなる。」
馬鹿でないと行動を起こせない。利口でないと道をあやまる。
大事なのはそのバランスなのかもしれない。
この言葉の大切さを改めて実感した。
私は利口ではないと思うが、臆病すぎる。
後先考えず、取り合えず書いたら何も考えずに投稿すれば良い。
「推敲や内容の精査なんて、投稿した後に編集すれば良い!」
私には、豪傑な魂が必要なのだろうと思う。
なぜ、私は馬鹿になってまで、ブログを書き続けなければならないのだろう。
いや、冷静になってはいけない。
きっとブログを書き続けることにこそ意味があるんだろう。
進み続けるんだ!どうせなら進むことを楽しもう!
私たちは、進むことを楽しむことでしか生きることができないという、
呪いをかけられた哀れな生き物なのだから……。
ならば、それを最大限利用してやろうじゃないか!
不安か?ドキドキする?
それを楽しめる人間に、今だけはなってやろう。
さあ、私よ!
「誰も私を見ていない。」
「失敗しても笑い話になる。」
目をつむって三回唱えるのだ!
そして、この記事を投稿するんだ!