感想
ものすごい文章量だった。
でもなぜか、それがクセになって読んでしまう。
特にモノローグの文章量が多くなっている。
モノローグの中にはノイズのような情報も紛れており、難解さに拍車をかけている。
その分、継承戦前のチードルとビヨンドの会話のような、含みのある難しさは抑えられている気がする。(それでも難しい!全てを理解したとは言えない!ハルケンブルグのモノローグとか!)
キャラクターの意図を説明するために、モノローグが増え、その結果活字が多くなっているという印象を受けた。
モノローグがなかったら、各キャラクターの意図が説明されず、さらに難解になっていたと思う。
また、モノローグを減らすために、モノローグで説明している内容を全てドラマで見せようとしたら、いたずらにコマが増えて物語が進まなくなってしまう。
それに、文章が長いおかげで、たまに来る「ちょっとしたキャラクターの表情」や「スケールの大きいコマ」が映えて、感動する。
さらに、高IQ合戦をしているからこそ、理屈ではないところで行動するキャラクターの美しさが映えて、胸が熱くなるのである。
継承戦の序盤で読むのを止めてしまった人にも、是非読んで欲しい。
序盤で慣れてしまえば、継承戦の楽しさを味わえるようになると思う。
継承戦の楽しさというのは2つあると思う。
1つ目は、群像劇である。
これほどのスケールと質量で描かれる群像劇は見たことがない。
配信者サーバーを複タブ開いて視聴しているような、不思議な気分にさせてくれる作品だ。
2つ目は、推理である。
各所に「違和感」が配置されていて、考察をしたくなる作品だ。
読者が探偵役として物語を紐解いていく快感がある。
HUNTER×HUNTERという作品は、常に新しい試みに挑戦している作品だと思う。
その最前線が、王位継承戦である。
是非、読んでみて欲しい!
予想
ここからは、自分なりに予想を立ててみる。
メモ代わりに、思いついたまま書いているので、特に後半は読みづらいかもしれない。
妄想の上に妄想を塗りかためながら書いたので、「考察」ではなく「予想」とした。
では予想を書いていく。
1.子育て論
HUNTER×HUNTERという作品は、
各編の中盤で必ず「ゲーム」パートが存在する。
その「ゲーム」が、編全体の鍵になっていることが多い。
39巻で出て来た「交渉ゲーム」は「ゲーム」パートだと思う。
結論を先に書くと、「交渉ゲーム」は「親子関係」そのものであると思う。

「交渉ゲーム」では、親は7枚、子は5枚のカードを持っている。
親に与えられるのは、「目的」「能力」「QA」「QB」「Yes?」「No?」「D」の7枚。
「目的」「能力」は親の情報である。
「Yes?」「No?」はこのゲームのルールに関わる情報である。
「QA」「QB」はそれ以外の情報である。フリー雑談カードである。
「D」は親と子の取引が出来るカードである。
「おつかいに行くなら、余ったお金でアイスを買ってきてもいいよ」「テストで良い点が取れたら、ゲーム機を買ってあげるよ」みたいなカードである。
「D」以外の親のカードは「情報」であり、親はそれらを全て開示している。
しかし、親のカードは枚数が多いため、子が全てのカードを選択することはできない。
子に与えられたのは、「Yes」「No」「J」「R」「X」の5枚。
「Yes」なら親に従い、「No」なら親に従わない。
「J」はいつか「Yes」か「No」を選択しなければならない。
「R」は自分の欲するカードを墓地から戻すことができる。
「X」はこのゲーム自体を無効化する。
これらのカードの全てが裏になっており、親が一枚ずつ指定して墓地に捨てる。
最後に残ったカードが子の「未来」となる。
このゲームに近いものでいうと、「ドキドキ二択クイズ」「クロックタワーの多数決ゲーム」「ゴトーのコインゲーム」があげられると思う。
「ドキドキ二択クイズ」では、理不尽な二択が出題される。ゲームに参加するかの選択は、「回答者に委ねられる」。回答の中で、それぞれの人となりを見る試験である。クイズの回答は「自分の意思で行える」。クイズの選択肢は二択だが、その選択肢を選ばなくても良い。クイズに対して、「どう反応するのか」「どう行動するのか」自体が回答となる。ただし、その回答による責任とリスクは自分で負わなければならない。いわば、全員がはじめから「R」を持った状態の「交渉ゲーム」みたいなものである。はじめから「R」を持っていること、ゲームへの参加は自分の意思で行えること、ゲームの回答に選択肢がないことが、「交渉ゲーム」とは異なる。それぞれが極限の状態で何を選択するのかという、「キャラクター性」を説明するゲームになっている。
ちなみに、レオリオは「No」を、クラピカは「X」を、ゴンは「J」を選んでいる。それぞれのキャラクター性がよく表れていると思う。(出題者のゲームに乗ることを「Yes」、出題者のゲームに乗らないことを「No」とした場合。)ゴンは存在自体が「J」みたいなやつで、ゼパイルにも危ういと言われている。ただ、ジンには危うさをあまり感じない。どちらかというと、ゴンの二択を超える発想の方に、ジンの血を感じる。存在自体が「J」なのは母親の血筋なのではないかと思う。実はモレナがゴンの母親ではないかと思ったこともある。クラピカが中庸な選択をするのも、レオリオが「No」を即決するのも、後の解釈と全くずれておらず、凄い。レオリオのこういう気質を見て、ジンはレオリオを買っているんだろう。継承戦にレオリオも絡んできたら、どうなるだろう。少しわき道にそれた。
「クロックタワーの多数決ゲーム」は、5人が多数決で道を選択していき、クロックタワーからの脱出を目指すゲームである。「ドキドキ二択クイズ」と違って、必ずしも決断の責任を自分だけが追わなくて良い反面、多数決ゆえの難しさもある。「仲間関係」の本質をえぐりとるようなゲームである。回答の責任を回答者が負わなくても良いという部分が、「交渉ゲーム」とは異なる。「交渉ゲーム」は、そもそも参加を強制され、運の要素もあるくせに、その結果の責任を自分で負わなくてはならないゲームである。
「ゴトーのコインゲーム」では、「ドキドキ二択クイズ」でのリスクを背負った選択(間違えれば殺されてしまうというリスク)と、「クロックタワーの多数決ゲーム」でのリスクの分散(コインが見えずに、クラピカとゴンでリスクを分散)の両方が出たうえで、それをさらに超える展開となる。ゴンに対して、ゴトーがトリックを見せるが、これはゴトーの行動そのものを説明するゲームである。ゴトーの気迫が、演技だったのか本心だったのか、分からない。もし、ゴンがろくでもない奴だったら、そのまま殺すつもりだったのかもしれない。ゲームの中でゴンを見定めて、キルアを任せるに足ると判断したから、「演技だ」ということにした。そうやって、2択どちらも選べるようにしていたというのを、最後のトリックで示したのだと思う。また、これは「執事」というものの本質でもある。主君が何を選択してもいいように行動し、主君の意見を自分の本音とすることで生き残る「主従の関係」を表していると思う。このゲームは、コインをどちらに持つかを出題者側が決められる点で、「交渉ゲーム」と異なっている。
では、いよいよ「交渉ゲーム」について。
「交渉ゲーム」は親側と子側で見え方の異なるゲームである。
親側から見ると、こんな理不尽なゲームはないのである。
子の未来は全て裏になっていて、何が選ばれるかは運である。
しかし、必ず選ばなくちゃいけない。
選んだカードは墓地に捨て、子の未来の可能性は絞られていく。
結局は運ゲーなのに、子側から恨まれるリスクを孕んだゲームである。
恨まれるリスクを背負ってでも、ゲームに参加しなければならない。
不信感を払しょくするためにも、親側の情報は全て開示していなければならない。
子側から見ても、こんな理不尽なゲームはないのである。
ゲームに参加するのは自分の意思では決められない。
5枚の未来も、ルールも、親が用意したものである。
その選択も自分の意思では決められず、親が指定する。
「R」が残ったとしても、選べるのは5枚の内のどれかである。
親のルールに参加せず、ズルをすると、強制的に「Yes」か「No」を選ばされる。
実際はただの運ゲーなのに、「親のせいで」「子のせいで」という不満があらわれる「やるせなさ」を再現した、「親子関係」の「しがらみ」そのものを表現したゲームだと思う。
カーミラやロンギ、ベンジャミン、サイレントマジョリティーさんの使う能力の名前は、そのキャラクターの「親子関係」を示していると思う。
例えば、カーミラの「100万回生きた猫」は、佐野洋子さんの名作「100万回生きた猫」からとっている。
この作品は、親子関係にある「非対称なヒエラルキー」への愛憎をテーマとした作品だと思う。
実際、佐野洋子さんも自身のエッセイなどで、母への複雑な心境を語っている。
この作品にも、母への愛憎が込められている感じがする。
そう考えると、カーミラも母子関係で悩んでいるのかもしれない。
カーミラの母子関係でのごたごたが、社会的なコミュニケーションスタイルに出ているのだろう。
母への怒りから、何かに頼ること自体に怒りを覚えるようになったのではないか。
実は、甘えん坊で母に依存しているが、それと同じくらい母に支配されたくないと思っているのではないか。反抗期を激しくしたような状態だ。
何かに依存する自分自身に対しても怒りを感じ、何かに頼ろうとする人間にも怒りを感じるような強い自立心が、彼女の苛烈な性格の本質だと思う。
カーミラの能力自体にも、その性質は表れている。
どうしたって、子は、血のつながりや親からの教育の中で、親の性質を受け継ぐ。
親に怒りを覚えるということは、同時に自分自身に怒りを覚えるということ。
行き場のない怒りは外に向かい、相手を刺した刃で自分も傷つけ、余計に怒りを激しくし、収拾がつかなくなる。
常に、相手に投影をして、鏡合わせに相手を傷つけると同時に自傷をしている。
この辺りが、カーミラの能力がカウンター型になった由来ではないかと思う。
また、その過剰な他者への愛憎から救われるために、「自分は母から生まれたのではない、親はおらず、一人でに生まれたのだ」と妄想することは、ないことでもないと思う。
この辺りが、カーミラの能力の生まれ変わりの由来になっていると思う。
ただしこうやって、自傷的な怒りを振り回していたら、周りから人はいなくなる。
そうすると余計に、関係性が貧しくなり、相対的に母との関係性が強くなる。
そして余計に、母をこの世の悪の象徴のように見てしまうようになる。
何故かずっとイライラしていて、被害妄想の激しい人間になってしまう。
ここから救われるには、母以外の関係性を見つけ出すしかない。
本当に大切に思える何かと出会わないと、この呪縛は薄まらない。
それも、対等な関係性でないといけない。
もしその何かに出会えたら、カーミラは成仏するだろう。
出会えなかったら、悲劇的な最期を迎えるのだろう。
他の能力名も、「親子関係」を想起させるものが多い。
能力名や能力の性質から逆算して考えると、その術者がどういう人間なのか分かってくる。
王位継承戦自体は、「軍蟻」に近い群像劇である。
しかし、そのプレイヤーは複数おり、それぞれ異なる「目的」を持った「親」である。
「親」は「子」をコマにして継承戦の盤面を使いながら別のゲームをしている。
さらに、必ずしも「子」は「親」のいう事を聞くわけじゃない。
毎ターン、「交渉ゲーム」を行いながら、継承戦の盤面を進めていく。
また、「親」というのは文字通りの親だけではなく、授受の関係性全てをさすのだとしたら、「子」に複数の親から「親の因子」が紛れていることになる。
「子」の中で「親の因子」どうしが争っているようにも見える。
表向きの継承戦は「軍蟻」のようであるが、それを使いながら、サイコロを使って「オセロ」をして、自らの目的のために影響力を行使している奴らがいるのではないかというのが、私の予想である。
「親」が誰なのか、「親」の「目的」は何なのか、どのような影響力を行使しているのか、「子」は誰なのか、「子」に入っている「親の因子」とは何なのか、「子」の葛藤するラインはどこなのか。
この辺りを考えながら読んでいくのが良いのかもしれない。
2.「神龍(シェンロン)」の奪い合い説
「ゲーム」パートが終わると、「ハンティング」パートが始まる。
主人公たちが、「ゲーム」の要素を使いながら、「大いなる脅威」と戦う、アクションパートである。

一番難しいのは、「大いなる脅威」を何とするか。
魅力的な脅威が多すぎるのだ。
もしかしたら、今回の「特殊戒厳令」がそれにあたるかもしれないが、別の可能性も探ってみよう。
脅威がありすぎるのが脅威とでも言えそうな王位継承戦だが、流石に脅威を一本化しなければ、風呂敷をたためないんじゃないかと不安である。(富樫さんは天才だからやりとげてしまうのかもしれないが)
何よりも、親の「目的」が違うとするならば厄介である。
どうにか、「脅威」や「目的」を一本化できないだろうか。
一本化する方法として考えたのが「神龍(シェンロン)召喚説」である。
14人の王子を棺に納めたら、超念獣「神龍(シェンロン)」が召喚されて、願いを叶えてくれるのではないか、という説である。
欠けたものを集めるイニシエーションと言われて、最初に思いついたのがドラゴンボールである。
富樫さんはドラゴンボールが好きらしいし、あり得るのではなかろうか。
思えば、ベンジャミンバトンの星のデザインは、どことなくドラゴンボールの星に似ている。
14人を贄として、「神龍」が召喚されるのではないか。
「神龍」は願いを叶えたら消えてしまうのだろうか。
しかし、ホイコーロ王には念獣がついている。
ナックルのポットクリンも、役割を終えて消えるのではなく姿を変えて居座る形になっているので、念獣も条件によって姿かたちが変わる可能性もある。
「ドラゴンボールGT」を正史とするかは微妙なところだと思うが、例えば、願いを叶えて役割を終えた「神龍」が「邪悪龍」に姿を変えて「祝福の一人御子」につくとすれば、ホイコーロ王に念獣がついているのも説明がつく。
もし、「神龍」が召喚されるとして、その「神龍」をどう扱うのだろうか。
「神龍」は「人間性」の結集した「亡霊」であり、それを「人間」たちが協力して立ち向かって鎮めるという展開も面白そうだ。
レイザーとのドッヂボールみたいに、一人で強いボールを放つレイザーに対し、全員で合体して立ち向かうみたいな展開なら熱い。
また、「神龍」を奪い合うという展開も面白いと思う。
その「神龍」の奪い合いこそが、本当の継承戦ではないか。
そもそも、生き残った王子が王位を継承するとは、どこにも書かれていない。
ただ「祝福の一人御子」となるまで殺し合えとしか書かれていない。
「神龍」を継承したものが「祝福の一人御子」であり、その「神龍」を継承したものに王位が与えられるのではないか。
思えば、この船には「操作系」「具現化系」「特質系」の能力者が大量に乗っている。
この三者こそ、「神龍」によって願望を叶える可能性がある。
「操作系」は「祝福の一人御子」を操ることで、
「具現化系」は「祝福の一人御子」にルールを与えて従わせることで、
「特質系」は「神龍」そのものを奪うことで、
願望を叶えられる。
クロロの能力がアップデートする可能性があるのも、
ボークセンが特質系能力であることも、
クラピカの薬指の能力も、
念獣の能力を奪わせる展開のためではないかと予想している。
つまりこの王位継承戦とは、念獣の奪い合いが前提となった、「えげつねぇ」ゲームなのではないかと考える。
奪い合いを見据えて布石をうっているのが、親の策略ではないかと思う。
親は最終的に自分の息のかかった「子」に、「神龍」を奪取させて、自分の目的を叶えさせようとしていると考えると、すっきりと整理された構図になると思う。
誰が「親」なのかは、まだはっきりとしない。
また、「親」の「目的」も全然分からない。
少なくとも、ビヨンドは関わってきそうだ。
各王子の肉親の親が関わってくるのだろうか。
赤子の入れ替えがあったり、実はマフィアのボスが実の父親だったりと、いたるところに複雑な血縁関係があるようだ。
さらにそこに、モレナ、ジン、パリストン辺りが絡んできたら面白そうだと思う。
モレナの目的ははっきりとしない。もしかしたら、本当にこの世を終わらせたいのかもしれない。
「この世」を終わらせて、全員が暗黒大陸という真実と向かい合う世の中を作りたいとか?逆シャアのシャアみたいに、内側の世界をぶっ壊して、無理にでも暗黒大陸に行かなければならないように仕向けるのが目的なのではないか。
うーん分からない。
ビヨンドとジンの目的は、結局は「暗黒大陸の制覇」だと思う。
しかし、性格と手段が異なるのではないか。
ビヨンドは一度失敗している。
執念深くカキンの中枢まで入り込み、ここまでこぎつけた。
「待つさ いくらでもな」という言葉は、ビヨンドの執念深さを表しているように思う。
今回は失敗せずに大陸制覇ができるように、成功率をアップする方法を考えた。
それが、王位継承戦による神龍召喚ではないか。
神龍によって、暗黒大陸を制覇できるまで無理やり自分の能力を向上させようとしているのではないか。
ジンは初挑戦である。
それに、どこかカラッとした性格である。
目的よりも目的にいたる過程を重視するところに、ビヨンドとの違いがあると思う。
神龍を得たとしても、暗黒大陸に関係する願いを口にしないのではないか。
暗黒大陸という難関のハードルを、わざわざ下げるようなことをしないはずだ。
そんな、攻略本を読んだり、改造してクリアする真似は絶対しないと思う。
それよりも、失敗してもいいから、仲間たちと大陸制覇を目指したいと考えるはず。
パリストンはよく分からないが、こいつも存在自体が「J」なやつである。
神龍を手にしたら、それを面白おかしく使おうとするのではないか。
ビヨンドがもし神龍に超能力をお願いしたら、パリストンも冷めるかもしれない。
パリストンの野望をジンが止めるという構図になったら面白そう。
これらを前提としたうえで、
どのようにクライマックスに持っていくことが可能だろうか。
例えば、完全な妄想だが
⑴ジンは「念獣の力を使って暗黒大陸を制覇したって面白くねぇだろ」と言いながら、ウーロンみたいに台無しな願望を口にして神龍は姿を消す
⑵「邪悪龍」を宝剣によって能力アップしたクロロが盗む
⑶誰かしらが御神体を発見し、破壊して船から脱出できるようにする
⑷クラピカがクロロから「邪悪龍」を奪いワブルに継承する。
⑸小舟にワブルとあと一人誰か、例えばボークセンを乗せて逃がす
⑹ボークセンがクジラ島の波打ち際に漂着し、それをゴンが発見する
⑺ゴンはミトさんと共に、言葉の通じないボークセンを介抱する
⑻例えば、追手のモレナの放った刺客が「邪悪龍」を追ってクジラ島にやってくる。なぜなら、モレナにはボークセンの位置が分かるから。
⑼その結果、ゴン、ボークセン、「邪悪龍」とワブルとともに、モレナの追手をかわしながら、暗黒大陸を目指すことになる
となるのはどうだろう。
その場合、モレナが「邪悪龍」を欲しがる理由が必要になる。
また、ボークセンに戻りたい理由を与えなくてはならない。
「王立軍の同期がどうなったか気になる」とか。
これが私の「未来少年コナン説」である。
ちなみに何の根拠もない。
また、さらに
一方、実は船に乗っていたキルア&アルカは、イルミ&カルトと追いかけっこをしていた、とする。現状、イルミ&カルトが蚊帳の外すぎるから、キルアと絡めるのではないかと思った。これも根拠はない。
ジャイロはどうだろう。もう出てこなくても不思議じゃないが、
このBW号に乗って、新天地を目指していても不思議じゃない。
一方で、クラピカ一行、レオリオ、ジン、パリストン、十二支ん、ビヨンドも新大陸に到着し、暗黒大陸制覇のための準備をしている。
こうすれば、重要なキャラクターを全員暗黒大陸に集められる。
あるいは、BW号が座礁したとして、近くの島にいくつかのグループに分けて漂着させるのはどうだろう。
クジラ島は実はとんでもなく広いという設定にして、クジラ島に漂着するのも面白い。
ゴンがやって来て呪いを解いていく。
これが私のシェイクスピア「テンペスト説」である。
これにも全く根拠はない。
妄想だから絶対当たることはないだろうが、こうやって勝手に妄想を広げて行くのも、連載中の漫画の楽しみ方の一つではないかと思う。
漫画の予想を立てていると、人間が陰謀論にハマっていく理由がよく分かる。
そのエネルギーを漫画で発散しているのだから、悪いことばかりでもない。
3.「利」「義理」「人情」
クライマックスで描かれるドラマについて考えてみる。
クライマックスでは、理屈を超えた「何か」が描かれることが多い。
テーゼ(A)とアンチテーゼ(B)を戦わせて、ジンテーゼ(AB)を描く。
表裏一体の回答を見せて終幕となる。

今回、各キャラクターには「利」「義理」「人情」の3つが必ず与えられている。
「利」とは、その名の通り、自らの目的や快楽のために行動すること。
「義理」とは、道理や役割に沿った責任ある行動のこと。自らの利益に反することも多い。「したい」からするのではなく、「すべき」だからするのである。忠臣蔵などは、自らの「義理」に従って仇討ちをする話になっている。
「人情」とは、目の前の人間にたいして立ち現れる、自然な親愛や恋慕のことである。例えば、許嫁のいるお侍が花魁に恋をして駆け落ちをするなど。花魁に恋しても「利」にはならないし、自分の親や許嫁の親に「義理」を果たせないが、それでもどうしようもなく好きになってしまったということである。
「利」「義理」は、ロジカルかつ言語化可能なものであるのに対して、「人情」というのは、ロジカルな世界から抜け出すための抜け道だ。
「利」「義理」などのロジカルな世界観で閉じた物語は、必ず「悲劇」となる。
今までの、HUNTER×HUNTERが、人が死にながらも、「悲劇」と呼べないのは、必ずそれを超えた「人情」で物語をしめるからだ。
例えば、ヨークシン編では、「旅団」の「義理」を捨て、自らの命を守るという「利」も捨てて、同じ仲間たちへの愛という「人情」のために、パクノダがメモリーボムを打ち込むことで、物語が完結する。職場恋愛みたいな話だなと思った。
キメラアント編では、コムギは「王」という肩書にも、蟻と人という種族の違いに目もくれず、命を投げうって、一人の「メルエム」と軍蟻をうちながら看取る。結婚、子育てなどの紆余曲折を経た熟年夫婦の最期みたいだった。
HUNTER×HUNTERを考察する人は、わたしも含めて、どうしても「利」や「義理」の織り成すロジックが好きな人だと思う。
しかし、HUNTER×HUNTERという作品は「利」と「義理」を前提としたうえで、「利」と「義理」の間にある「人情」を描く作品だと思う。
「利」や「義理」はそのための舞台装置だ。
また、「理屈じゃないもの」を描くための「理屈」を道中として楽しむ作品でもある。
各キャラクターに「利」「義理」「人情」が配置され、それがどう転ぶのか全く予想がつかない。そこが、王位継承戦の面白さだと思う。
例えば、もし第五王子のツベッパがビヨンドの息子だったら、ロンギはどうなってしまうのか。自らが忠誠をつくしているツベッパ(義理)が、実は自分の復讐相手(利)だと知ったら、彼女はどう転ぶのか全く分からない。
例えば、クラピカはどうだろう。ツェリ―ドリヒから緋の目を奪還するという「利」と、同胞を殺した旅団への報いという「義理」と、協会員としての立場という「義理」、そしてオイトやビルへの親愛という「人情」でクラピカというキャラクターは均衡が保たれている。しかし、緋の目あたりの設定がきな臭い。実はクラピカの全てをひっくり返すような「真実」が隠されているかもしれない。それをクロロから告げられたらどうだろう。どうなってしまうのか全く分からない。
旅団もゆれている。ヒリンギたちもゆれている。
彼らがどう転び、どう行動するのか、全く予想がつかないのが凄い。
私としては、「利」と「義理」を因子として与えているのが、実は「親」たちなのではないかと思っている。(親とは血縁上の親だけではない)
親たちは自らがまいた種が、どのように花開くのか分からない。
その「どう転ぶか分からないこと」を制約として、自らの大願を成就せしめようとしていると予想する。
旅団結成やクルタ族虐殺にまで「親」たちが関与しており、一本の線で繋がったら、それは凄いことだ。
最終的には「人情」で落とすのだろう…
………と思っていた。39巻を読むまでは。
39巻を読んでから、少し考え方が変わった。
「義理」や「利」は「人情」ではないなどと言ってしまったら、少し寂しくはないか。
例えば、人を好きになるのは「性欲」という「利」のためだと言ったら悲しくないか。
もちろん、突き詰めれば「性欲」なのだろう。
でも、全てが「性欲」と言ってしまっていいのだろうか。
この世の全てが「性関係」だとか「権力関係」だとすれば、フェミニズムのような論調になる。もちろん、つきつめて分析すればそうなのかもしれないが、我々は普段、そんなことを考えて過ごしていない。やっぱり、全てを「性」や「政治」に押し込めるのは違う気がする。
「この気持ち………まさか!恋!」みたいに、「恋」なのか何なのか分からない、あいまいなものに押し込めるから、その情熱は続いて行く。それが、「友達」「恋人」「結婚相手」というフォルダーに分けて、割り切ってしまった瞬間に、その情熱は消えてしまうのかもしれない。お互いの存在に興味があるような関係性ではいられない。でも、今度は肩を並べて同じ方向を目指すことができるはずだ。もちろん、肩書に縛られるが、そこに人情はないと言われたら、そんなことはないと言い返すはずだ。
では、「親子」はどうだろうか。「親子」は、お互いの馴れ合いのために必要だという「利」がある。そして、「親子」は、それぞれの肩書に従って、お互いを守るべきであるという「義理」がある。そしてお互いの存在への愛という「人情」がある。親子には「人情」があるにもかかわらず、ついついその感情を「利」と「義理」に変換して考えてしまう。そうやって、「利」や「義理」というしがらみとして考えること自体も愛の一部ではないのか。「人情」だけが正しいんだとしてしまったら、全てのしがらみを避けるために、「親子」はいらないということになってしまうではないか。
「利」と「義理」と「人情」を一体にして、その区別をつけない感情にこそ、答えはあると思う。
そこを見つけ出すのが、クライマックスまでの目標である。
各キャラクターに与えられた全ての因子の一致する所を見出すのだ。
キメラアント編までは、「義理」や「利」を超えた「人情」が描かれてきたと思う。
しかし、アルカ編からは違う。
アルカ編は、幼子の子育てに近いものだと思う。
アルカのルールに振り回されて、てんやわんやという感じである。
クライマックスでは「兄弟愛」という絶妙な所でおとした。
「兄弟」というのは「義理」とも「人情」とも判断できない。
非対称のヒエラルキーを前提とした愛である。
「親子」も同じである。
非対称なヒエラルキーを前提とした関係性の面白さを、作者は発見したのではないかと思う。
「利」なのか「義理」なのか「人情」なのか、
判断のつかない一致点を目指して、物語は進んで行くと予想する。
表裏一体の答えを出すというのは今までと一緒だが、「利」「義理」「人情」の一体となった感情を描くならば、全く違った展開となるかもしれない。
理屈を超えるのではない。
理屈と一体になったラストが見られるんではないか。
結局ラストがどうなるか、全く予想がつかなかった。
物語がどう転んでいくのか。楽しみである。
「交渉ゲーム」では、「X」を目指し、「R」が残るようにズルをした結果、「R」が残ったにもかかわらず、「J」に変化してしまった。
ここで描かれたことの意味が大事な気がするが、まだ分からない。
今後、考えていこうと思う。
4.「新しい念体系」と「クトゥルフ神話」
HUNTER×HUNTER各編の物語構造は共通していると話したが、実は作品全体にまたがる多重構造である。

↓↓↓

このまとめ方が正しいなら、物語は一度GI編で終わっていることになる。
GI編までを「第一章」とする。
⓪から出てくるキャラクターは、ゴン、クラピカ、レオリオの3人であった。
ゴンはジンを追う。
クラピカは幻影旅団を追う。
レオリオは医者になりたいと考える。
ゴンはアカンパニーを使ってジンの元へ向かう。
GI編からカイトに出会って以降は、ゴンにとって「ジンに会いたい」という目標は二の次になる。かわりに「これはジンの試練に違いない」として、成り行きに任せる展開に変わる。
クラピカは幻影旅団と戦って以降は、旅団への復讐よりも緋の目の捜索に重きを置くことになる。
レオリオはGI編のタイミングで、医者の資格をとるために別れる。
⓪でそれぞれのキャラクターの目的が示され、それを回収し終えたことで、第一章は終わっている。
第一章において、描かれる「大いなる脅威」は「幻影旅団」と「ジン」の存在であり、それも回収している。
第一章における「③ゲーム」は、「天空闘技場編」である。
つまり「念能力」というのが、第一章全体の一つの大事な要素となっていた。
では、第二章はどうなるのか。
第二章では、「暗黒大陸」というのが大事な要素らしい。
キメラアントもナニカも暗黒大陸出身であるらしい。
蟲虫卵の儀なども暗黒大陸から来たものだとするならば、全てが暗黒大陸につながる。
第二章の「③ゲーム」パートが今回の「王位継承戦」であるならば、第二章を貫くルールとは一体何なのだろうか。
第二章を順に見ていく。
まず、GI編について。
この編で驚かされたのは、除念師の存在である。
ここで初めて念獣という概念が出てきている。
また何よりも驚かされたのは、「大天使の息吹」の能力である。
怪我や病なら「何でも」直せるというのは、GIというゲーム上でしか使えないことや、カード化限度枚数の制約があってなお、強すぎやしないか、と思った。
また、GIではスペルカードという概念が出てくる。これも面白い。
ゲーム上なら誰でも能力を使えるというのがみそだ。
能力にはそれぞれ得意な系統があるが、能力をカードのような形で貸与できれば、メモリーの制限を超えられるということだ。
さらに、スペルカードの攻撃はスペルカードでしか防げない、という設定が出てくる。
スペルカードに似ているのは、操作系能力である。
条件型の操作系能力は、条件さえ満たしてしまえば避けることができないという怖さがある。
(具現化系でも、場にルールを設けることで、無理やり従わせることが可能である)
さらに、術者が死んだら、死後強まる念によって、さらに収集がつかなくなる。
王位継承戦では、このように回避できない能力を「呪い」と呼んでいると考える。
次に、キメラアント編である。
キメラアント編で驚いたのは、念系統の無視である。
ナックルは性格的には放出系っぽいのに、使ってくるのは具現化系能力である。
また、パームは強化系であるにもかかわらず、特質系のような能力を使っている。
よくよく考えれば当然だ。
強くなりたいのであれば、メモリーの無駄遣いをすべきではない。
しかし、実際は強くなるよりも、チームの中で有用な能力を選ぶ人間もいるだろう。
チーム戦を想定するならば、合理的である。
ノブがポータルを開き、モラウが攪乱、パームが情報収集、ナックルが相手を絶にして、シュートが相手を無力化するという風に役割分担が出来ていて、パーティー全体で協力しながら敵を倒すのである。
実践では全く上手く行かなかったのも含めてリアルである。
また、ネテロは、ちょっと分からないが、百式観音を具現化しているならば、具現化系と放出系の能力を同時に使っていることになる。
ネテロは強くなりたい人であるはずなのに、メモリーの無駄遣いをしている。
さらに、ゴンは強化系であるにもかかわらず、ゴンさんになる。
これは強化系能力と言えなくもないが、あまりにも常軌を逸している。
どういうことなのか。
ここに、我々の知らない新しいルールがあるのではないか。
さらに、アルカ編において、ナニカの能力が出てくるが、これが完全にぶっ壊れ能力になっている。
「何でも願いを叶える能力」そして「触れたものなら何でも治せる能力」。
「何でも切れる刀」は具現化不可能であるはずなのに。
制約と誓約というレベルを超えた、人智をはるかに超えた能力である。
また、ナニカの能力には、ジャパニーズホラー感がある。
「呪いのビデオ」を見ただけで殺されるとか、佐伯家に住んだだけで殺されてしまう理不尽さがある。
ナニカの能力は、「祟り」と呼ぶのがしっくりくる。
ナニカの本質は、祟り神や地縛霊に近いと思う。
そのナニカが、アルカに取り付いているということなのではないかと考える。
同時に、ナニカは触れることで治すという「癒し」の能力も持っている。
王位継承戦では、蟲虫卵の儀というのが行われている。
蟲虫卵の儀では、殺し合わなければ外に出られないという「制約」と、それを順守することで望む願いを叶えるというような「誓約」が働いていると思う。
そもそも「制約」と「誓約」は別のものだと考える。
「制約」とはルールであり、「誓約」とはルールを順守すること。
王位継承戦では、「制約」だけがポンと置かれている。
その「制約」に従わないものが、淘汰されていくことで、結果的に「誓約」しているという形態である。
ククル―マウンテンから脱出するときの、アルカへのお願いみたいに、条件をつけて、どう転んでも良いようにするという方法があり得る。
王位継承戦で、「制約」=ルールを作り出すもの、「誓約」=ルールを守らせるものというのは、実は別モノなのではないかと考えた。
場にルールを設けて、無理やりそれに従わせる中で、遵守したものだけが生き残り、力を手に入れていく、「イニシエーション」である。
そして、全てが暗黒大陸に通じている。
キメラアントも、ナニカも暗黒大陸出身らしい。
ネテロも一度は暗黒大陸に渡航したことがあるという。
例えば、蟲虫も暗黒大陸から来たものであり、ゴンも赤子の頃に暗黒大陸に行ったことがあるならばどうだろう。(ちなみにわたしは、ゴンがドンフリークスの生まれ変わりではないかと思っている。根拠はない)
そうすれば、暗黒大陸に全てのルールが集約される。
暗黒大陸に行くためには4つのものが必要だと言われている。
「許可」「手段」「資格」「契約」の4つだ。
「許可」というのは、V5の許可を得ることだと思う。
ビヨンドがカキンを引き入れたことで、V5の許可を得て、残るは3つ。
「手段」「資格」「契約」
「手段」というのは、暗黒大陸を攻略するための手段のことだと思う。
もし暗黒大陸を攻略するならば、チーム戦になる。
一番合理的なのは、戦闘系能力者にレア能力を貸与し、レア能力者は安全なキャンプに残って待機、放出系能力者がセーブポイントを作って、セーブポイントから戦闘系能力者が出発する方法である。
キメラアント編もこれに近い方法で、城に潜入している。
となると、レア能力者の出番は暗黒大陸では少なくなるから、出番を与えるために船で戦わせているのではないかと思う。
そう考えると、GIというゲームは暗黒大陸を見据えて、ジンがデザインしたものではないかと思えてくる。
王位継承戦では、暗黒大陸由来の能力と、その能力を克服する術を先鋭化しているのだと思う。
これがおそらく「手段」であると思われる。
「契約」とは、暗黒大陸由来の能力を手に入れることだと思う。
暗黒大陸由来の能力とは何だろう。
今まで、暗黒大陸出身者の念能力が強すぎると考えていた。
実はそれは逆なのでは。
つまり、「念能力」とは暗黒大陸からの祝福の一部なのではないか。
念能力を含むさらに大きなルールが暗黒大陸にはあると思う。
もしかしたら、人間そのものが暗黒大陸の出身かもしれない。
暗黒大陸に住まう上位種と契約した証として、「人間」が「人間としての能力」を賜ったという設定ではないか。
とんでも能力の上位種からその一部を貸与してもらってる、みたいな。
制約を使えば、限定的に上位種に近づけるみたいな設定ではないか。
また、「特質系」は他の系統に属さないその他の能力とされているが、実は暗黒大陸のルールでなら体系化できるのではないか。
もし念能力が暗黒大陸からの祝福だとするならば、クトゥルフっぽくてワクワクする。
暗黒大陸編では、富樫先生流の「信奉者vs邪神ハンター」が見られるかもしれない。
信奉者は暗黒大陸由来のとんでも能力を使い、それに非力な邪神ハンターが対抗していくという展開である。
パリストン=ニャルラトホテプ枠だったりして。
モレナはアイホートみたいだなと思った。
旅団は蜘蛛だし、アトラック=ナチャではないか。
ジンには人であって欲しいから、ランドルフカーター枠であって欲しい。
思えば、「交渉ゲーム」のルールもTRPGっぽいし、もしかしたら参考にしているのかもしれない。
プレイヤー同士の争いだと思っていたところに、秘匿情報が示されて、脱出ゲームに変わって行く。
このゲームチェンジしていく感じも、よく練られたTRPGのシナリオに似ている。
上位種と眷属にとっても、KPとPLにとっても、広義の意味で「親子」である。
別作品のネタバレになって申し訳ないが、「葬送のフリーレン」という作品に、「ユーベル」というキャラクターが出てくる。
こいつは、「大体なんでも切れる魔法」というのを使う。
切れると想像できるものは切れるという設定である。
「ユーベル」は何でも大体切れる感じがするから強いのである。
この作品では、想像することさえできれば、魔法で何でもできるのである。
しかし、精密に想像することは難しいから、体系立てているのである。
もしかしたら、HUNTER×HUNTERの制約も同じ原理ではないか。
「何でも切れる刀」を具現化不可能なのは、人間が想像し得ない能力だから。
人間の能力の限界を超えているから、具現化不可能である。
ただし、人間を超えた上位種であれば、それは可能なのではないか。
制約と誓約とは言葉遊びのような「祈り」である。
「祈り」によって上位種の能力の断片を、想像し得る形に降ろしてくることができるのではないか。
今後は、「何でも叶える」人智を超えた存在を、信仰の対象やアイテムとして外部に置いて、「祈り」を行うことで、その力を得ることができるという設定にしていくのではないか、と考える。
ネテロの能力が開花したのは、常軌を逸した「感謝」が「祈り」として上位種に届いたからではないか。
ゴンがゴンさんになれたのは、常軌を逸した「強い意思」が「祈り」として上位種に届いたからではないか。
さらに、「祈り」の形態によって体系化していくのではないかと思う。
それが、「呪い」「祟り」「イニシエーション」などではないか。
現在、民俗学的な設定が数多出てくるのは、「呪い」「祟り」や「イニシエーション」のルールを説明して、それを使って念能力を再定義するためだと思う。
操作系の本質は、条件を満たした対象を確実に攻撃できる「呪い」である。
具現化系の本質は、場にルールを設けて、相手に無理やり参加させる「イニシエーション」だと思う。本来姿なき神様にたいして、偶像や経典を与えて、人間に想像しうる形におとしめることができる人々だと思う。
強化系の本質は、「癒し」だと思う。
特質系の本質はまだ分からないが、神様をそのまま降ろせる「巫女」のような人達ではないかと考えている。
変化系や放出系は全く分からない。
具体的に、暗黒大陸の厄災について考えてみる。
五大厄災は「兵器 ブリオン」「ガス生命体 アイ」「双尾のヘビ ヘルベル」「人飼いの獣 パブ」「不死の病 ゾバエ病」の5つである。
五大厄災は、それぞれ人間の違った側面を表していると予想する。
例えば、「不死の病 ゾバエ病」とは、人間の「生命」そのものを表している気がする。
ネテロが長命だったのは、「不死の病 ゾバエ」によるものではないか。
大切なのは「人飼いの獣 パブ」である。
これは、まさに制約と誓約の説明になっていると思う。
説明をしている絵の中で、人間が何者かに生気を吸い取られているような描写になっている。
「人飼いの獣 パブ」は、人間の「人間性」=「念能力」の性質を表していると思う。
人間は自らの人間性を費やしながら、その結果としての能力を得る。
その能力を形として表すのが、念獣ではないか。
念獣は人間性を吸い取ることで、一つの形を得るスタンドのようになる。
百式観音はネテロの常軌を逸した鍛錬、ドクターブライスはカイトとの戦いといったような、何かしらのイニシエーションを経て、能力を開花させたため、通常の念とは異なるルールで動いているのではないかと思う。
蟲虫卵の儀も、そのようなイニシエーションを目指している。
その果ては、「何でも叶えることのできる能力」ではないか。
「大天使の息吹」もこれに近い。
「大天使の息吹」は暗黒大陸から持ち帰った祝福である可能性も考える。
「イニシエーション」こそが「人飼いの獣 パブ」のルールではないか。
では、「ガス生命体 アイ」は何か。
「ナニカ」はおそらく「ガス生命体 アイ」である。
アイはアルカの中に宿った別人格のように描かれている。
「生まれ変わり、肉体に寄生することで生きながらえる生き物ではないか。
人間の中の、受け継がれる「魂(意志)」を表している気がする。
残りの三つの厄災も、人間の何かしらの側面を表しているのではないかと思う。
特質系とされた能力も、厄災によって体系化できるのではないか、と考えている。
どのアイテムがどの厄災由来のものであるかを考えていく必要があるだろう。
蟲虫卵の壺は、パブのものだと考える。
壺のデザインがパブに吸い取られている人間の顔に似ている気がする。
蟲虫卵の儀の「制約」を司っていると思う。
御神体は継承戦のルールを守るものと予想している。
ルールを守るというのが番人っぽいので、ブリオン由来のアイテムではないか。
蟲虫卵の儀の「誓約」を担っていると思う。
この船から脱出できないのは、この御神体の作用だろう。
ブリオンのルールを考えるうえで大事かもしれない。
脱出を考えるならば、御神体を探し出し、壊す必要がある。
壊し方に注視すれば、ブリオンのルールが分かるかもしれない。
根拠は全くない。
宝剣は継承されて行くものであるから、アイ要素ではないか。
ゴンがゴンさんになったような、能力アップのための何かが、この宝剣に隠されていると思う。
クロロが盗むべきはこの宝剣だと思うが、果たして。
今まで念能力とは自分の中から生み出される生命エネルギーという設定だった。
そのルールを逆転させ、実は暗黒大陸からの祝福だったとするのではないか。
アイテムや念獣、謎の生き物や、能力の貸与という形で、人間の外部から来るものによって体系化していくのではないか、と予想した。
人間が自分たちの能力だと思っていたものが、実は人間の上位種が眷属として与えた能力だったのではないか、という説である。
第二章の「大いなる脅威」として挙げられるのは、暗黒大陸とパリストンだと思う。暗黒大陸編では、五大厄災のルールを使いながら、パリストンとぶつかり合うに違いない。
ハンターたちは、暗黒大陸にどう対処していくのか、具体的な方法はまだ見えない。
暗黒大陸由来の能力は、ナニカや蟲虫卵のような、ぶっ壊れ能力ばかりかもしれない。
スペルカードのように、条件さえ満たせばかわすことのできない「呪い」や、
ナニカの能力のように、無関係な人間まで贄とする理不尽な「祟り」や、
蟲虫卵の儀のように、場にルールが設けられて、強制的に参加させられる「イニシエーション」、
などの脅威に対して、人間たちはどのように対抗していくのか。
また、「資格」というのもよく分からない。
暗黒大陸の攻略方法や「資格」について考えつつ、続きを待とうと思う。
追記:王妃と子供たち
各王妃の中でも、個人的に一番謎が多いのは、ドゥアズルである。
そもそも、何のためにハルケンブルグの母親を入れ替えているのか。
ハルケンブルグが実の子でないことを知らずに育てていたのだろうか。
知っていたなら、どういう気持ちで育てていたのか。
ドゥアズルは謎の多い御人である。
キャラデザを見ても、他の王妃と王子は似ているのだが、第二王妃は誰とも似ていない。
唯一カーミラとは似ている気がするが、ドゥアズルはカーミラに対して冷たい印象を受けた。放任主義と言われれは、それまでなのだが。
実は、ドゥアズルの子供は一人もいないのではないか。
不可持民の子供を王子と偽って育てていたとか。
もしそうなら、ドゥアズルはどういう気持ちで子供を育てていたんだろう。
カーミラもうすうす気がついてて、だからこそ反発して余計に驕った態度をとるという説はどうだろうか。ないか。
カーミラが、不可持民に優しいのも、自分が不可持民の子供だと気がついているからなど、妄想がふくらむ。
ルズールスのキャラデザは、マフィアのボスに似ているので、そことの親子関係があるのかもしれない。
ツベッパの血縁関係は見えてこない。
チョウライ陣営、ツベッパ陣営、オイト陣営の動きは一見似ているが、その実全然違う。
オイト陣営は、とにかく生き残ろうと、必死に膠着状態を狙っている。
チョウライ陣営は、自分が王になったあと、将来の政治も見据えて、下位の王子も保護しているという立場だと思う。
その中で、ツベッパだけがよく分からない。
ツェリ―ドリニヒに近づいて、上の三王子を粛清すべきよと言う。
王になるためではなく、上位三人を王にさせてはいけないから、共闘を申し込む。
また、クラピカが優秀だから引き抜けとまで言っている。
それも、政治のためというよりは、自らの研究のためという風に見える。
さらに、彼の念獣は政治的でなく、研究向きの能力である。
本人の性向を表したものだろう。
操作系の念獣ばかりの中で、ツベッパの念獣だけが異質である。
本質的に政治に興味がない人なのだと思う。
彼の行動を追っていると、継承戦の中で殺しあわずとも、継承戦に生き残る可能性があることを理解しているのではないかと思えてくる。
そして、継承戦で生き残った後のために、ヘッドハンティングまでしている。
分からない。
セヴァンチがモモゼに冷たかった理由は何だろう。
もしかしたら、モモゼも実子じゃない可能性もあるのかもしれない。
あるいは、実はマラムーヤがビヨンドの息子であるから、大事にしているとか?
これも、分からない。今後考えてみる。
追記:ゴンの能力について
ゴンの能力が「特質系」に変わったのではないかという説を、たまたま流れて来たYoutubeの考察スレまとめで知った。
ゴンの能力=特質系説をベースに、さらに予想を膨らませてみる。
ゴンが能力を失ったきっかけは、ピトーとの戦いである。
「もうこれで終わってもいい」という覚悟で、
ピトーを倒せる年齢に無理やり成長する。
その間の鍛錬をすっとばして、最強の自分という「結果」だけを手に入れ、ピトーを一撃で倒してしまう。
その代償としてボロボロに干からびて意識不明の重体になったゴン。
そんなゴンを救うため、キルアが頑張る物語がアルカ編である。
ククル―マウンテンに囚われている、キルアの弟(妹?)であるアルカ。
アルカにはナニカという別の人格のようなものが憑いている。
アルカとナニカには人智を超えた能力が備わっている。
アルカの「おねだり」を三つ叶えると、ナニカに変身する。
ナニカに「お願い」をすると、「お願い」を叶えて、アルカに変身する。
願えば何でも叶えてくれる。
しかも、願った本人に何の代償もなく叶えてくれる。
しかし、その「お願い」が難しいほどに次のおねだりの難易度が高くなる。
お願いを叶えるという「結果」を手にして、過程の難しさは次の「おねだり」の難易度に転嫁され、別の人間に代償を支払わせるシステムである。
ゴンは、最短距離で「結果」を求めて破滅した。
また、ナニカによって代償なしで治癒するという「結果」を得ている。
さらに、「ジンを見つける」という「結果」も手に入れてしまう。
それに対して、ジンは「道草を楽しめ」というアンチテーゼで返している。
「結果」だけを得たペナルティとして、ゴンにオーラが見えなくなったのだと思う。
これからのゴンの物語は、「結果」と「過程」の問題に対するアンサーが見つけていくことだと思う。
例えば、私は絵日記を書くのが大好きで、毎日書く。
コピー用紙に描いた下手な絵と文章をスクラップにペタペタ貼る瞬間が楽しい。
別にネットで共有することもないし、他人に見せもしない。
社会とか、なりたい自分とか、そういうものから解放され、出来上がったスクラップを見て、ひとり悦にひたる。
ただ気が休まるからやっている。
わたしは、衣食住とあとは紙と鉛筆さえあれば、生きていける。
また、他にやらなくちゃいけないことがあっても、ついやってしまう。
本当に好きで享楽していることというのは、「ついやってしまうこと」だ。
良い言い換えがあった。「時間を忘れて没頭する」。
「時間を忘れて没頭する」ものは人によって違う。
それぞれの偏りの中から個性が生まれてくる。
ゴンはどうだろうか。
一見すると、ゴンは好きなように行動している。
しかしそれは、ジンの作った枠の中で行動しているに過ぎない。
それ以外は、友人たちのために動く。
・ジンを追ってハンター試験に向かう。
・キルアのためにククル―マウンテンへ。
・ジンを追ってG.I.を探す。
・クラピカと幻影旅団を止めるために人質交換へ。
・ジンの作ったG.I.をプレイする。
・ジンを追ってアカンパニーでニッグに向かう。
・ジンの試練だと思ってカイトについてNGLへ。
・カイトを治してもらうためと、ピトーへの怒りを胸に東ゴルドーへ。
ゴンは、意外と流されるキャラクターであるし、
行動を他人に依存しているキャラクターである。
確かに、ゴンはルールの決まった場においては、そこから抜け出す発想力を見せる。
しかし、平場では実は動いて行かないキャラクターである。
向うから困難が来てくれなければ、何もしないキャラクターだ。
つまり、「好きなこと」がないのだ。
享楽する何かがない。人生を捧ぐに足るものがない。
だから、思いついたことを試すためだけに、簡単に命を捧げてしまう。
リスクを全く恐れずに、スリルを感じる方に行動してしまう。
ゴンというキャラクターの強さと危うさはここにある。
「あんたはフローレス。傷のない原石。」
何者にでもなり得るが、何者にもなっていない。
それが、現在のゴンだと思う。
享楽するものを見つければ、「過程」がすなわち「結果」である。
それが「これからずっとこれしかないという生き方」だと思う。
キルアにとっては、それはアルカを守ることだった。
キルアの「一生かけて守る覚悟」のように、
ライフワークや生き様を見つけ出すことが、
これからのゴンの物語だと思う。
念能力とは本来その人の「個性」を表すものである。
例えば、キルアは電撃の拷問を受けていたという過去から、電気を能力にしている。
カンムルを会得したことで、アルカを抱えて守ることができるようになる。
「過去」によって生み出された「個性」。
その「個性」を使って、アルカを守るというライフワーク、「未来」につなげた。
それに比べると、ゴンというのは、やはりよく分からない。
序盤に使っていた釣り竿はどこかに消えてしまった。
何となくの思い付きで決めた、邪ジャンケンで戦う。
自分の個性と関係なく、後から決めている点では、クラピカに似ている。
クラピカは理性で能力を決めているのに対して、ゴンはフィーリングで決めているのが違いだと思う。
今回は、ゴンがゴンさんになったという「過去」を捨ててはいけないと思う。
邪ジャンケンの性質も捨ててはいけないと思う。(釣り竿は分からない。)
その「過去」と「個性」を捨てずに、「未来」につながる能力を考えねばならない。
ゴンはどういう「未来」を思い描くのか。
一生かけても倒したい奴ができるのでは、ヒソカやピトー戦と変わらない。
一生かけて強くなりたいとか、達成したいことがあるとかは、はじめからその目的で動いていないことから、難しいと思う。
助けたい人ができるというのはいいと思う。
その場合、「助ける能力」が必要になって来る。
守りたい人ができるのもいいのかもしれない。
その場合、「守る能力」が必要になって来る。
邪ジャンケンには「助ける能力」も「守る能力」もない。
ただ「助ける能力」「守る能力」の難しい所は、物語に絡めることだ。
一応、HUNTER×HUNTERはバトル要素もある漫画である。
その中で、ヒーラーというのはかなり立場がない。
しかし、アルカ編以降、王位継承戦では、戦いの性質が変わった。
「呪い」や「イニシエーション」から脱出する戦いである。
敵を倒しても、死後強まる念によって、脱出が難しくなるだけである。
いわば、固有結界や領域展開のような空間から脱する能力が必要だ。
操作系能力の効果を祓う能力、具現化系能力のルールを破る能力。
そういう能力が必要になってくる。
ここで、ハンター試験編に話を戻す。
クラピカとゴンの会話を見てみる。
3次試験の「クロックタワーの多数決ゲーム」では、ギリギリの二択の中で、ゴンは、長く困難な道から入って、壁に穴を開け、短く簡単な道に入るという荒業を思いつき、結果5人全員で三次試験をクリアする。
そんなゴンにたいしてクラピカはこんなことを言う。
「極限の精神状態で二択を迫られてなお、それをぶち壊す発想ができる。そこがお前のすごいところだ」(HUNTER×HUNTER 3巻)
この「脱出力(発想力)」がゴンの「個性」である。
4次試験の「プレートの奪い合い」では、ヒソカに屈辱を与えられたゴンが、クラピカとレオリオを見つけ出し、クラピカとレオリオのために頑張ったおかげで、3人とも4次試験に合格する。
ゴンは後にクラピカにこんなことを言う。
「だから誰かのそばにいて、誰かの役に立ちたくなった……のかな」(HUNTER×HUNTER 4巻)
それに対して、クラピカはお前のおかげで私たちはここにいると言い、感謝を伝える。
「仲間思い」で仲間のために行動するのかゴンの「個性」である
さらに、ゼパイルやビスケが看破した「危うさ」。
この「危うさ」もゴンの「個性」である。
「脱出力」「仲間思い」「危うさ」がゴンの本質だと思う。
一つ目は、「脱出力」という個性だ。
一見、脱出不可能に見える「呪い」や「イニシエーション」でも、ゴンにかかれば抜け道を見つけられるはずだ。
「脱出力」は「助ける能力」に象徴されると思う。
その「脱出力」という個性が形を変えて「助ける能力」に繋がるとする。
二つ目は、「仲間思い」という個性だ。
自分の目的とは別に、仲間の為に行動するのが本質だと思う。
「仲間思い」が形を変えて「守る能力」に象徴されると思う。
三つ目は「危うさ」という個性だ。
これは、リスクを省みずにスリルを求める性質である。
これがゴンの恐ろしさである。
何かしらの「攻撃能力」に象徴されるのではないかと思う。
この三つを邪ジャンケンのような形で出せる能力にするのではないかと思う。
「助ける能力」を特質系能力、
「守る能力」を具現化系能力、
「攻撃能力」を操作系能力として、
この3種類の能力を繰り出せる「念獣」をスタンドのように宿らせるのではないか。
スタンドのデザインはゴンさんにして、ゴンがピンチになったら登場するみたいな。
ピンチになったらスタンドが現れるというのは、少しハンターハンタ―に合わないだろうか。
(エンペラータイムは緋の目の間だけ発動する能力である。そんな感じで、条件や時間制限ありで使える能力にするのではないか。前々章で、特質系は「巫女」のように、上位種を身に宿らせる能力というのが本質ではないかと予想した。ある条件を満たせば、スタンドが表れるという設定にするのではないかとも思う。)
特質系は習得率などは関係ないので、具現化系や操作系能力はなしで、特質系を授かるだけで、基本は強化系のままなのかも分からない。
しかし、この3つがアルカ編以降の戦闘スタイルに合っている気がするのだ。
他作品の話になってしまって申し訳ないが、ジョジョを読んでいる時に、スタンドバトルをスタンド使い以外が見たらどう見えるのかを想像することがある。
SF小説のように、その世界の常識や理自体が変わってしまっていて、自分がスタンド攻撃を受けていること自体に気づかないに違いない。
もし「スタンド使いでない者」と「スタンド使い」が戦う場合はどうなるのか。
スタンド攻撃を受けたことに気づかづ、常識改変がされ、違う理の世界に閉じ込められるに違いない。
その中で、何かしらの違和感を見つけて、抜け出すための糸口を見つけ出し、イニシエーションをすることで、世界から抜け出すというところでお話を作ってくと思う。
それこそが、人智を超えたアイテムを持つに足る「資格」ではないかと思う。
令和のバトル漫画はこういう設定のものが多い印象がある。
現在、ゴンは念を見ることができない状態である。
この状態のまま、暗黒大陸に向かっても面白いと思う。
ただし、見ることはできなくとも、「念獣」がスタンドのように憑いている状態で。
はじめは日常に起こる怪奇現象みたいな感じで、追手たちとの戦闘が描かれ、
そこから、ラスボスのような存在が出て来て、そいつを倒すために仲間を集めて暗黒大陸に向かうという展開が熱いのではないか。
ゴンは念が使えないから、簡単に違う理に閉じ込められる。
しかし、同時に「念獣」が道しるべになり、何かしらの違和感を発見する。
持ち前の、「脱出力」と「危うさ」を武器に、敵の「念獣」が作り出した理を打ち破るという流れで物語を作っていくのではないか。
イメージで言うと、最近の能力バトルものではなくて、ハンター試験編のような雰囲気に戻るのではないかと思う。
一人一人との戦闘が、一つのハンター試験のようになっていくのではないか。
(ただし、これは滅茶苦茶難しいと思う。毎回、「クロックタワーの多数決ゲーム」のラストばりの発想力を見せなくちゃいけないし、そのお膳立ても考えなくちゃいけない。)
ゴンの能力を具体的に考えてみる。
わたしは、「糸」にまつわる能力になるのではないか、と考える。
「仲間思い」から来る「守る能力」、つまり仲間との絆である。
絆といえば糸をイメージする。
人と人をつなぐものである。
何千本もあつめることで、熱い装甲にもなり、人を守ることができる。
「守る能力」であると同時に、ゴンを導く力にもなりうる。
理の中で、ゴンを導くものが、この糸の能力であり、
外界にいる仲間との絆ならば、面白のではないかと思った。
こっちの世界と、あっちの世界を繋げられるものとして描かれるのではないか。
また、「助ける能力」にもなり得る。
「呪い」や「イニシエーション」に囚われている人間に垂らす一筋の蜘蛛の糸のような、そんな能力にもなり得る。
これを、ゴンの「危うさ」につなげるのは難しい。
例えば、ゴンは糸を繋げたり切ったりする能力だとする。
繋げる方にゴンの優しさ、切る方にゴンの怖さを乗っけたら面白いのではないか。
「糸」というのを、物理的なものに捉えずに、「繋がり」という象徴として捉える。
我々がこの世に存在するのは、あらゆる「繋がり」のおかげである。
今、自分が座っていると実感できるのは、椅子の反作用という、この世との「繋がり」があるからである。
関係性の中でしか、我々は自分の存在を実感できない。
その「繋がり」を切ったり貼ったりする能力とするならば、空恐ろしい。
「繋がり」というものを象徴するものとして、「糸」という形を与えられるのではないかと予想する。
ゴンには釣り竿のイメージもあるし、釣り竿復活の可能性もある。
ゴンの個性は「糸」で表現するとぴったりくる。
ただそうすると、マチと能力が被るのである。
例えば、「服」を纏う能力とかどうだろう。
わたしが、キルラキル大好きなのもあるが、
糸の能力も使えるし、マチとも被らない。
面白いのではないか。
うーん分からない。今後さらに考えてみる。
※さらに追記
ゴンの新能力は「糸」にまつわるものではないかと書いたが、しっくりこなかったので再び考える。
書いている内に、ゴンの本質は「炎」ではないかと思えてきた。
属性としての「炎」ではなく、「呪い」も「イニシエーション」も全てを焼き尽くすという意味での、言葉遊びとしての「炎」である。
古くより、炎には様々な意味合いがあった。
闇を照らして不浄を祓う一方で、危険で扱いの難しいものでもあるため、畏れられ、信仰の対象になることもあった。
使いこなすことができれば、利益をもたらす、ハイリスクハイリターンなものである。
ゴンにおける「脱出力」というのは、垂らされた糸を手繰り寄せるものではなくて、箱そのものを破壊してしまう性質である。
ゴンは何かをつくる能力よりも、破壊する能力の方が相応しいと思い直した。
何かをつくるのは、むしろジンの性質な気がしてきた。
したがって、ゴンの能力は「糸」ではなく「炎」の性質を持つものだと思う。
つまり、ゴンこそがクトゥグア枠ではないかと。
例えば、ゴンに「不死鳥」のような念獣が憑いたらどうだろう。
「呪い」も「イニシエーション」も「癒し」も全てを破壊していしまう能力。
バフもデバフも全てを打ち消してしまう能力。
上条当麻の幻想殺しのような、全てを無効化する能力。
全てを破壊したのち、虚無となった灰から、新たな価値を生み出す。
そんな、能力がゴンの性格にピッタリ合うのではないか。
これが、ファイナルアンサー!
妄想にお付き合いいただきありがとうございました。
次に書くことがあれば、根拠を明確にして、具体的に考察してみたいです!





