ひぐらしのなく頃に卒 14話感想

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14話見ました。いやー色々な意味ですごかった(笑)

衝撃的過ぎて、普段書かない感想記事を書いています。

なんか、ヤンキー漫画みたいな展開でした。

加えて、千〇女優 か、 シン・〇ヴァみたいな演出でした。

笑っていいのか分からなかったけど、なんか滅茶苦茶面白くて、

夜中に一人で爆笑していました。

始めて、エウアに感情移入ができました。

番組表見たら次回が最終回らしい。

 

最終回の予想に関しては別の記事に書いています。

よければ、こちらもどうぞ!

kanuokun.hatenablog.jp

 

業ED2と卒EDで示唆している展開が、最終回の展開だと考えます。

心中するのかしないのか、ひぐらしユニバースの再構築などを考察しています。

冗談半分で書きましたが、案外当たってるかもしれません(笑)

 

15話はシン・〇ヴァか、少〇革命ウテナのような感じかなーと勝手に思ってます。

 

怒りの本質。付き合い方。

今日は怒りの本質について考えて見ます。ダラダラ思ったことを書いていきます。

 

怒りとは、理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずるのではないか

私は、このように考えています。

いくつか、例を挙げてみましょう。

 

子供の癇癪について考えてみましょう。

子供の癇癪は怒りのプロトタイプだと思います。

子供はなぜ癇癪を起すのか?

期待していた要望と違うリアクションが帰ってきたからじゃないでしょうか。

自分の思い描いていた理想と現実が違った。

それを、受け入れられないから子供は癇癪を起すのだと思います。

 

Amazon Primeの映画やアニメにはレビューと言うものを書き込めます。

試しに、☆1レビューを見てみましょう。

みんな、何かに落胆しています。

自分の思い描いていたイメージと、実際の映像に差異があって、

それを受け入れられないから、感情的に☆1にしてしまうのでしょう。

 

このように、

怒りとは、理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずる負の感情だと思います。

 

(理想と現実の差異を受け入れらる時に生ずる負の感情は、呆れだと思います。

 理想と現実の差異を受け入れらる時に生ずる正の感情は、克己だと思います。

 まだ、仮説段階です。)

 

では、受け入れられるか、受け入れられないか、その違いはどこから来るのか?

現実にどれだけ期待しているのか、だと思います。

 

理想と現実に差異があっても、

現実に何も期待していなければ、その差異を認められるでしょう。

現実に期待しているから、その差異を認められない。

故に、怒りを感じてしまう。

 

怒りは、「こうあって欲しい」という期待の裏返しだと推測できます。

 

学校で先生に怒られたとき。

親に怒られたとき。

バイトで店長に怒られたとき。

会社で上司に怒られたとき。

 

彼らは自分に期待しているんだ。

そう考えると、幾分か気持ちが楽なのではないでしょうか?

 

また、自分が怒ってしまったとき。

コントロールするためには、どうすべきか?

怒りというものは、こういうものだと知っておくべきだと思います。

怒りを感じたときに、

「今、私は期待を裏切られたんだな。これが、私の理想像なのか。これが、現実か。な

るほどね。じゃあ、このギャップを埋めるにはどうしたら良いんだろう。」

と、冷静に問題に対処することができるんじゃないでしょうか。

 

ただ、この方法だとせっかく感じた怒りというエネルギーがもったいない気もします。

自分の理想に比べて、現実はなんてくだらないんだと怒るのではなく、

現実を自分の理想に近づけるよう、克己するのが良いのかもしれません。

 

ただ、この方法だと空回りする可能性があるんじゃないかな。

 

うーむ、、、。

何か、啓発本みたいになってきちゃいました(笑)

こういう、一方向から見た説教みたいなのあんまり好きじゃないんだよなー。

こういうの読むと、お前は俺の何を知ってるんだ!勝手に枠にはめるな!

って思いません?

ここまでにしときますか。

 

まとめると、怒りとは

理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずる感情である。

現実に期待していると、差異を受け入れられない。

怒りというものを知ったら、怒る人を許せるかもしれない。

怒りをコントロールするには、怒りの本質を知り、客観的に分析すること。

もしくは、怒りをばねに克己心を持つこと。

 

こんな感じですかね?

 

私も感情に飲まれてしまうことが良くあります。

感性を保ったまま、感情に飲まれない方法はただ一つ。

その感情について深く知ることだと思います。他にもあるかもしれませんが。

知ることで、自分を客観的に見ることができるし、自分を許すことだってできる。

 

よって、感情の本質を探るというのは有意義だと思います。

今後、その他の感情についても考えて行きたいです。

もし、他の感情についても考えがまとまったら記事にしたいと思います。

今度は、説教にならないように、多面的に書きたい。

 

以上。

猫。絵巻物。

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落書きしてたら、可愛いのができた。何か良くないすか?

 

工夫した点は3点。

 

一点目。

一番右端真っ黒い塊。

なんだこれ?と思って、左を見ると顔がちょこんと起きる。

純粋な驚きを感じて欲しいです。

 

二点目。

一番左端。

今まで、猫視点で見ていた蝶は

実は、人が操っているおもちゃでした。

ここでも、純粋な驚きを感じて欲しいなーと。

 

三点目。

猫のしなやかさや躍動感を表現してみました。

 

問題点は2点。

一点目は、見た人は初めに一番右端を見てくれるのか?

という点です。どーなんだろー。

おそらく、最初は左端を見ちゃうんじゃないかな。

この中で一番目立つから。

逆に、おちから見てもらうことで、安心して絵を見てもらえるのかも。

 

二点目は、左端とそれ以外で意味が違う点です。

左端以外は、猫が空間を移動していますよね。

これに対して、左端だけ、同じ場所で猫が動く絵になっています。

不自然になってないでしょうか。

 

絵って難しいですねー。

 

取り合えず、この猫の絵が気に入ったので、

LINEスタンプにしてみたいです。

8月。本当の話。

勢いで書いた。悔いはない。

ひどい茶番ですがお付き合いください。

推敲はしてません。

 

後で読み返したらすごい恥ずかしいです(笑)

 

カヌ吉:20歳。文系の大学に通う学生。男。(私とは関係ありません。)

??????:カヌ吉が部屋でくつろいでいる所に、突然現れる。

 

 

カヌ吉 「今年の夏はコロナであまり出歩けなかった。」

    「その代わり、インドアでできる限り楽しんだぞー!」

    「本をたくさん読めたし、映画やアニメもたくさん見れた。」

    「もう思い残すことは何もない!」

    「さあ来たれ!9月!」

 

??????  「.......カヌ吉君........カヌ吉君........」

 

カヌ吉 「む?どこからか声が聞こえる、、、」

 

??????  「kanuo君、あなた、本当にこれで良いの?」

 

カヌ吉 「何だお前!!どこから入ってきた!!」

 

??????  「私は、いつもあなたのそばにいるのよ。」

 

カヌ吉 「どういうことだ!なんだお前!」

 

??????  「私はあなた、あなたは私なのよ。」

 

カヌ吉 「何を言っているんだ!」

 

??????  「私はあなたの良心よ。」

    「ほら心の中で天使と悪魔が言い争ってー、みたいなのあるじゃない?」

    「そういうもんだと思ってちょうだい。」

 

カヌ吉 「何しに来たんだよ!!せっかく、くつろいでたのに。」

 

天使  「あなたに忠告をしようと思って。」

    「ほんとに8月が終わってしまって良いの?」

 

カヌ吉 「え?何を忠告することがあるんだ!俺は忠告されるような覚えはない!」

    「毎日運動した。読書をした。絵を描いた。アニメを見た。映画を見た。」

    「これ以上有意義な時間がどこにあるってんだ。」

 

天使  「それは逃げじゃないかしら。お遊びでしょう。」

 

カヌ吉 「は?俺は毎日体幹を鍛えた。ほら、見てみろ!腹筋がバキバキだ!」

    「本を読み続けた。ラノベじゃないぞ。高尚な奴だ。歴史とか科学の本だ!」

    「絵を描いた。絵具で色を付けたりもしてみた!」

    「映画やアニメを見た。前よりも見る目が養われてきたと思ってる!」

    「本気で取り組んだんだ!遊びなんかじゃない!」

 

天使  「本当にそう思ってるの?」

 

カヌ吉 「そうだ。」

 

天使  「じゃあ聞くけど、あなた昨日何時に寝たの?」

 

カヌ吉 「確か、2時だ。午前2時だ。」

 

天使  「今日は何時に起きたの?」

 

カヌ吉 「......14時だ。」

 

天使  「はぁー、、、なんて自堕落なの。」

 

カヌ吉 「何だと!」

 

天使 「筋トレも、読書も、絵も、映画も、アニメも、真面目にやっていたと思えない

   わ。毎日2時に寝て、14時に起きる生活をしていたと仮定しましょう。あなたが

   活動できる時間は12時間よね。まあ、仮に学業、サークル、バイトがないと仮定

   しましょう。それでも、ご飯、お風呂、歯磨き、お手洗い。ああ、あとYoutube

   見る時間もあるわね。活動していない時間を引いてみなさいよ。残された時間

   は、6時間くらいしかないんじゃないかしら。5等分してみなさい。一つ辺り、1

   時間ちょっと。そんな時間で何ができるってのよ。ばかにしないでよ。あなたは

   色々やって有意義だったんじゃないわ。一つのことにかける情熱も集中力もない 

   だけ。そんなんじゃ、何も成し遂げられないわ。さっき、あなた本気で取り組ん

   でいるって言ったわよね?世の中にはね、自分の気力と命を削って、本気で取り

   組んでいる人もいるのよ。その人たちにに失礼だと思わないの?恥ずかしくない

   の?」

 

カヌ吉 「うわーーーー!聞きたくない!」

 

天使  「はっきり言うわ!あなたはやらねばならない事から目を背けているだけ。」

    「言い訳として色々やってみているけど、そんなのはただのお遊びだわ。」

 

カヌ吉 「ぎゃーーーー!何も聞こえない!何も聞こえない!」

 

天使  「あなたは生きていないわ。生きた屍よ。って聞いているの?」

    「聞く耳を持たないのは結構だけれどね。損をするのはあなたなのよ。あなた

    は今20代の大学生。まだ、やり直しが効くはずよ。」

    「でもね、今聞く耳を持たないなら、きっとあなたは来年も再来年も同じ生活  

    を続けていくことになると思うわ。10年20年たってもあなたは変わらないの。   

    40代50代になっても、あなたは気が付かない。よぼよぼのおじいちゃんにな

    って、今際の際になって過去を振り返るわ。その時、あなたは何を思うのかし

    ら?あの時、もっと真面目に取り組んでいたら、私の人生はもっと楽し

    かったんじゃないかって考えるんじゃないかしら。」

 

カヌ吉 「それは、嫌だ!ダメだ!」

 

天使  「なら、今変わるしかないわ!8月がこのまま終わって良いの?」

    「やり残したことがあるんじゃないの?」

 

カヌ吉 「確かに、どこか満たされないような虚しさがある。」

    「でも、何だろう。何が足りなかったんだろう。8月。何か大切なことを忘れ   

    ている気がする。」

 

天使  「私は知っているわ。あなたも知っているはずよ。だって私はあなたの良心な

    んだもの。」

 

カヌ吉  「何が、、、、何が足りないんだ!教えてください!何が足りなかったんで  

     すか?」

 

天使  「ほら、あなたが開いている、パソコンの画面をごらんなさい。」

    「ブログのトップページが開かれているわ。」

 

カヌ吉 「これが何だって言うんですか。」

 

天使  「投稿本数を御覧なさい。そっちじゃない、こっちよ。」

 

カヌ吉 「月別の本数のことですね。」

 

天使  「読み上げてみなさい。」

 

カヌ吉 「7月は6本。8月は1本........。」

 

天使  「あなたが目をそらし続けてきた真実よ。」

    「8月にあれだけ時間があったのに、アップしたのは一本だけ。」

    「7月に作った記事のアクセスが全く伸びなかった。記事を見てもらえるとい

    う喜びに対して、記事を作る面倒くささが勝ってしまった。そして、ブログを

    アップしない口実を、他の趣味に求めたのよ。」

 

カヌ吉 「くっ....そうかもしれない....。」

 

天使  「あなたが9月の世界に行くためには、8月に書こうとしていたすべての記事を

    アップする必要がある!」

 

カヌ吉 「そんな、あと●●日しかないですよ。」

 

天使  「だまらっしゃい!!今後の人生もそうやって生きてくつもり?」

 

カヌ吉 「でも、●●日じゃ記事書ききれません。」

 

天使  「気合で乗り切りなさい!!」

    「こうしましょう。あなたが記事を全て書き終わるまで、それは8月よ。」

    「あなたが書き終わらないなら、8月はずっと続いていくの。」

    「8月32日、33日、39日、52日、78日、、、という具合にね。」

    「セミが鳴き止んでも、鈴虫が鳴いても、木の葉が落ち始めても。」

    「あなたが全て終わらせない限り、夏は終わらないわ。」

 

カヌ吉 「よし、私も覚悟を決めました。」

 

天使  「約束よ!絶対終わらせるのよ!」

 

カヌ吉 「約束です。絶対終わらせてみせます。命をかけます!」

 

カヌ吉 「ネタは沢山あるんだ。これをまとめればいいんだ!」

    「頑張るぞー!」

 

 

~数時間後~

 

 

カヌ吉 「フ―!やっと一つ目の記事が終わった。やる気が出たからなのかな、なんか

    いつもより調子が良いです。これも天使さんのおかげですかね?」

   「ねー天使さん、ってあれ?」

 

そこに、天使の姿はなかった。

 

異形のものに出会ったときには、

無暗に約束事をしてはいけないというものです。

無暗に約束事をして大変なことになってしまう

というような、逸話がたくさんございます。

 

彼は今も、終わらない8月をさまよっているらしいのです。

 

落ちがいまいちw

 

私が、アップしなかった理由は面倒だったからです。

別に私は、命がけでブログを書いている訳ではありません。

たまに、こういう変なブログをアップできたら良いなー、と思っています。

ひぐらしのなく頃に卒考察「業ED2と卒EDの繋がり&ラスト予想」

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OPについて考えている人は多いですが、EDについて考えている人は少ないようです。

 意義があるかなと思って、EDについてだらだら考察を書きました。

 具体的には「ひぐらしのなく頃に業」のed2と

 「ひぐらしのなく頃に卒」のed1の繋がりを考察します。

 ついでに、ラストを予想してみます。

 

 私の妄想が多分に含まれています。

苦手な人は注意が必要です。

 

※アニメの画像を貼ってもいいか分からないんで、手作り感あふれる記事になってます。

 

 

まず、業EDを考察します。

つづいて、業ED後の沙都子と梨花の動きをニーチェの哲学を用いて3つ考えます。

さらに、卒EDのラスト1カットと関連付けます。

最後に、ラストはこうなって欲しいと主張します。

 

 

では、真実のその先へ

 

レッツゴー!!!

 

1.業EDのAメロBメロ

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まずは、業ed2から考えていきます。

上図のように半球状に絵がつながっているように見せています。

カメラは半球の中心で固定されています。

また、視点がくるくると回ります。

 

①昭和58年から昭和61年までの梨花と沙都子の関係を、時系列順に並べています。

半球の頂点から水平線まで視点が動きます。

 

②昭和61年から昭和63年までの梨花と沙都子の関係を、時系列順に並べています。

水平線上でくるくると視点が回ります。

 

大切なのは、頂点は過去として視点が下に行くにつれて現在に近づくということです。

時間は未来に進んでいます。

 

③Bメロが終わると、後ろに紫の帯状のものが見えます。

私は、紫の帯の世界を「紫の世界」または「エウアのカケラ世界」と呼んでいます。

昭和63年までの惨劇を記憶する世界だと思っています。

 

2.業EDサビ

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続いて、業ed2のサビです。

ここからは、私の空間把握能力によって左右されるので、あまり自信ないです。

紫の帯がクルンと回って世界が反転しているように見えました。

上図のような状態です。

 

④小学生の体に戻った梨花が頂点に向かって落ちて行きます。

頂点を過去だとすると、過去に堕ちていく比喩だと思います。

 

⑤沙都子と梨花の二人が手を伸ばしあっています。

ここでポイントなのはお互いが手を伸ばしあっている点です。

私は郷壊し編で沙都子が業の惨劇を起こすまでの比喩だと思っていました。

しかし、猫騙し編に至るまで、二人が手を伸ばしあうシーンなどありませんでした。

つまり、このシーンはこれから起こることを暗示していると思われます。

どこかで和解するシーンがあるのだと思います。

また、これ以降の映像は二人が手を伸ばしあった後のシーンという事になります

 

⑥指パッチンが映ります。

沙都子と梨花が手を伸ばしあった後の指パッチンです。

梨花を追い詰めるための指パッチンではないという事です。

私は⑦以降、物語が3つに分岐するのではないかと思っています。

沙都子と梨花の選択によって変化します。

指パッチンによって、このシーン戻ってくるという暗示なのではないでしょうか。

3つの分岐については、後で詳しく説明します。

 

それと同時に、紫の帯が黄色い帯と繋がっているようなシーンが入ります。

私は、黄色い帯の世界を「黄色い世界」または「羽入のカケラ世界」と呼んでいます。

昭和58年までの惨劇を記憶する世界だと思っています。

 

⑦「黄色い世界」へ落ちていく沙都子が真正面から映ります。

これが梨花視点だと考え、梨花の位置は図のように配置しました。

 

 

 3.業EDの後の動き

⑦の後の動きとして、3つに分岐していると考えます。

何の根拠もありません。

 ニーチェの哲学を下敷きに3つ考えてみました。

 哲学ニワカなんで合ってるか分かりません。

 

⑴二人で過去を肯定して永劫回帰へ落ちる

 

⑵二人で心中して賽殺し編へ落ちて虚無となる

 

⑶二人で手を取り合い上昇、世界を再構築して未来へ(卒ED)

 

まず⑴または⑵を経て、⑶に移行するのではないかと思います。

それぞれ、見て行きましょう。

 

⑴二人で過去を肯定して永劫回帰へ落ちる

沙都子が黄色い世界に落ちて行きます。

黄色い世界に落ちるとはどういうことか?

 

無限ループに落ちるという解釈はどうでしょうか。

 

 

黄色世界では、無印、解、業'、卒'が無限ループしていると考えます。

根拠はなく、そう考えた方が面白いからです。

 

卒'で沙都子が「鬼狩柳桜」により毎回記憶を失うとします。

記憶を失って、無印、解、業'、卒'を繰り返します。

 

その度に、沙都子が闇落ちします。

その度に、沙都子はエウアと出会います。

だから、エウアは「久しぶりであるな。」という発言をしたのかもしれません。

 (別作品とのつながりの可能性もあります。)

黄色い世界に落ちていくとは、

終わらない無限ループに落ちていくということではないでしょうか。

 

思えば、紫や黄色の帯は円を描いているように見えます。

これは終わらない無限ループを表しているのかもしれません。

 

彼女らには記憶が残っていません。

しかし、黄色い世界は紫の世界に包含されています。

よって、「紫の世界」にはメモリーが残っていると思います。

モリーの蓄積は不可逆です。

世界を繰り返せば、繰り返すほど無数の並列世界が生まれます。

モリーは加速度的に増え続けます。

徐々に彼女らは今の世界に違和感を感じ始めます。

 これを契機に記憶を取り戻して、無限ループを脱出し、

⑵または⑶に向かう展開になったら面白いと思います。

 

 

「何もかも無意味だ!作り物の世界だ!」という展開になったとしたら⑵行くだろうし

「現在、過去、未来、全てを肯定する!!!」という展開になったら⑶に行くだろうな

と思います。

 

「キコニアのなく頃に」のOPには、

 

繰り返していた永遠を 終わらせよう…

 

という歌詞があります。

ひぐらしのなく頃に卒」は永遠を終わらせる物語なのかもしれません

 

ひぐらしのなく頃に卒」は「キコニアのなく頃に」の前から温めていたとしたら、

ひぐらしのなく頃に卒」の結論のカウンターとして、

「キコニアのなく頃に」を作ったという可能性もあります。

 

ひぐらしのなく頃に卒」は、繰り返す永遠に捕らわれる結末で、

「キコニアのなく頃に」で繰り返す永遠を終わらせる、

という流れかもしれません、、、。

 

 

卒EDの歌詞を見ると、

 

解いて結び直すように 

とか

 

また手を振りあえたら 君ともう一度約束を

とか

 

世界のやり直しを肯定するようなフレーズも多いです。

正直どうなるか分かりません。

 

⑵二人で心中して賽殺し編へ落ちて虚無となる

二人が黄色い世界に落ちて行きます。

黄色い世界に落ちるとはどういうことか?

 

賽殺し編に落ちるという解釈はどうでしょうか。

 

ひぐらしのなく頃に礼」OPの歌詞を見てみましょう。

OPの題名は「Super scription of data」。

「情報の上書き」を意味します。

歌詞の中に次のような一説があります。

 

めくるめく輪廻は プリズムの剣で断ち切られて

悲しみのカケラは もうどこにも無い

Super scription of data

 

 

卒で「鬼狩柳桜」で断ち切られて、悲しみのカケラがなくなったと解釈してみます。

根拠はありません。そう考えると面白いからです。

 

沙都子と梨花はお互いに「鬼狩柳桜」を突き刺しあい、心中します。

 沙都子と梨花は無限ループの記憶を「鬼狩柳桜」によって断ち切られます。

この場合、二人とも記憶を失った状態です。

 二人は最も静かで慈悲深い賽殺し編の世界に落ちて行きます。

 

賽殺し編は悲しみのカケラはどこにも無く、優しく無垢な世界です。

沙都子は純粋だった"あの頃"を目指して奮闘しています。

沙都子の最終的なゴールは賽殺し編かもしれません。

これに、梨花が同調して賽殺し編に落ちて行きます。

 

しかし、賽殺し編は解を終えた梨花によって上書きされてしまいます。

その後、賽殺しというカケラが消滅したのか、残っているのか分かりません。

 

 結局、梨花と沙都子は優しいまどろみと共に消滅するか、忘却の海に消えて行きます。

ひぐらし」世界も静かに消えていきます。

虚無エンドです。

 

記憶を取り戻して、賽殺し編を脱出し、⑶に向かう展開になったら面白いと思います。

 

二人で抱き合って落ちていく。沙都子は満ち足りた顔で目を閉じます。

沙都子は賽殺し編を夢に見ます。

すごく優しいんだけど、どこか違和感のあるハリボテの世界。

梨花にとってはつらい世界でもあります。

ふと、沙都子が立ち止まる。悟志と両親が前方で沙都子を呼んでいます。

「私が望んでいたのは、私の幸せではないはずだ!」

「私が望んでいたのは、、、!」

沙都子の後ろに高校生梨花のシルエットが浮かび上がります。

梨花の幸せだったはずだ!!!」

その瞬間、賽殺しの世界がバリンと割れます。

気づけば、梨花と沙都子が抱き合ったまま落下している最中でした。

沙都子がばっと目を開け、梨花の手をがっと掴みます。

そして⑶へ。

 

ここまで来たら、予想じゃなくて妄想ですね(笑)

自分の中では結構面白い筋書きだと思ってます。

沙都子が現在と未来を強く肯定するために必要だと思うんですけど、どうでしょう?

 

⑶二人で手を取り合い上昇、世界を再構築して未来へ(卒ED)

違和感を感じた沙都子が梨花を掴みます。

 

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さて、ここから卒EDとの繋がりを考えてみます。

卒EDの中で、紫世界の描写はラストの1カットだけ。

この時、沙都子と梨花は下から黄色い光に照らされています。

また、紫の帯よりちょっと上にいます。

図の⑩の位置です。

しかし、業ed2で二人がいる位置は⑦です。

つまり、ラストでは⑦から⑩の位置に根性で上昇して行くのではないかと思います。

 

 

 

⑨-1は⑴、⑵の分岐に入った場合です。

⑨-2は⑶の分岐に入った場合です。

⑴、⑵で違和感を感じた沙都子が梨花とともに中心に向けて上昇して行きます。

 

紫世界の下、つまり半球の頂点が過去、虚無、無限ループの象徴なのだとしたら

上昇するとはつまり、無限を断ち切り、永劫回帰から脱出して、未来に行くこと。

自らの現在、過去、未来全てを肯定することを意味します。

 

卒EDでは水平線よりちょっとだけ上にいるというのがポイントだと思います。

水平線より下側が過去だとしたら、水平線より上側は未来の世界だと思います。

未来の世界に向かっているという事です。

希望がある展開だとは思いませんか。

 

4.ラストはこうなって欲しい!!!

この後は、紫の世界を壊す展開になって欲しいと思います。

 

鬼狩柳桜」を使って、紫の世界の記憶を消去します。

今まで繰り返していた無限ループを消し去ります。

 

記憶を消去する際に、世界のエントロピーが急激に増大して

結果紫の世界は崩壊します。

 

紫の世界を「鬼狩柳桜」で壊す=エウアを「鬼狩柳桜」で倒すということです。

 

 

エウアを倒す展開になって欲しいと思っています。

それも、できるだけ散りざまを無様に描くべきだと思っています。

 

 

同時にエウアが持つひぐらし」への純粋で歪んだ愛を見せるべきです

これが、現状一番良い落としどころだと思います。

 

 

しかし、竜騎士07作品的には、エウアは無傷で終わる可能性があります。

竜騎士07先生の他作品でも「エウア」のような存在が出てくることがあります。

「エウア」のような存在は、人間には敵わない存在として描かれます。

最終的に「エウア」は無傷で、沙都子と梨花が仲直りして終わる可能性もあります。

あまり、このようなラストにして欲しくないなと思っています。 

 

紫の世界を壊した後は世界を再構築する展開になって欲しいと思います。

 

(エウアを作者と捉えるか、2次創作のファンと捉えるかで変わってくると思います。2次創作のファンと捉える場合、エウアを殺す=読者を殺す、という意味になってしまう。よって、エウアは殺されないかも。変わりに羽入を倒すのかも。分かりません。)

 

EDの歌詞を見ると、

結び直すというフレーズが多いことに気が付きます。

 

紫の世界をぶっ壊して、今までの永遠をなかったことにしたら、

それは、今までのひぐらしシリーズを否定することなるかもしれません。

 

よって、紫の世界の無限ループを断ち切った後は、

もう一度ひぐらし世界を再構築する流れなのではないかと思います。

 

しかし、これをやってしまうと結局また⑴になるのではないかという懸念もあります。

 

正直分かりません。

 

5.Q.なぜニーチェが出てきた?  A.キコニアとの関連

ここからは余談になります。

 

 ラストの分岐に関してはニーチェ哲学を下敷きに考えてみました。

ニーチェ哲学が突然出てきたのには驚かれたと思います。

 

 ニーチェの哲学は「生の肯定」です。

 

永劫回帰の中で、世界を無意味と考えずに、

自らの生きる意味を自覚して、意思を持ってに生きるべき」

 

という考えだと思っています。

 

しかし、これは今を生きる人間の哲学でもあります。

生まれてきてしまったから、意志が必要になってしまったという風にも考えられます。

それでも肯定するのがニーチェなのかもしれません。

 

この辺の議論が「キコニアのなく頃に」のテーマではないかと考えています。

「キコニア」とはコウノトリの一種です。

コウノトリが赤ん坊を運んでくるという方便もあります。

「キコニアのなく頃に」のテーマは「生」だと思います。

キコニアOPの歌詞を見ても、「生」への言及が多いことが分かります。

 ハリボテノ世界、誰かの手のひらの上で転がされ、それでも生きる物語だと思います

 

「キコニアのなく頃に」のテーマが「生」だと思っていたので、

ひぐらしのなく頃に卒」についてもニーチェ哲学を用いて考察してみました。

 

以上、余談でした。

 

 

 

 

次回は卒の感想かSF設定の考察をしようと思います。未定です。

ひぐらしのなく頃に解説 phase 3「繰り返す世界の真実と雛見沢症候群」※卒考察も(少し)あり

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みなさんは「ひぐらしのなく頃に」という作品をご存じでしょうか?

現在、「ひぐらしのなく頃に」の新作が絶賛放送中です。

 

公式サイト→

TVアニメ「ひぐらしのなく頃に 卒」公式サイト | TVアニメ7月放送開始!

 

「新作を見る前に旧作を見たんだが、ストーリーがよく分からない…」

 

 「旧作の内容忘れてしまった…」

 

そんな方のために!!!

 

この記事では、「ひぐらしのなく頃に」の全容をまとめています。

 

ちょっと長いので、三つに分けようかと考えています。

 

phase 3では、「繰り返す世界の真実」と「雛見沢症候群」について説明します。

→本記事

phase 4では、「東京」関連と「雛見沢連続怪死事件」について説明します。

→(工事中)

phase 5では、「ゲーム盤を支配するルール」について説明します。

→(工事中)

 

卒の考察も少しだけあります。

 

旧作・原作のネタバレ要素が多分に含まれています。

 

未視聴、未読の方はご注意ください!!!

 

間違っている所があったら、ご指摘ください。

 

それでは、「ひぐらしのなく頃に」の「ハラワタ」を、引きずり出していきましょう!

 

以下ネタバレありです!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①繰り返す世界の真実と分岐点

編を跨ぐたびに、時系列やキャラクターの関係がリセットされます。

 

これは、「古出梨花」が昭和58年6月を何度もループしていたからでした。

 

「古出梨花」の望みは、仲間たちと楽しく日々を過ごしたいというものでした。

 

しかし、「古出梨花」は必ず昭和58年6月に殺されてしまいます。

 

殺されるたびに、村の守り神「羽入」の力によって、ループさせられます。

 

 

 

ひぐらしのなく頃に」の原作はノベルゲームです。

 

しかし、一般的なノベルゲームと違い選択肢がありません。

 

ただし、分岐点がある体で作られています。

 

 

 

例えば、綿流し編目明し編

 

分岐点は部活大会の有無だと思います。

 

部活大会で圭一が魅音ではなくレナに人形を渡します。

 

これによって、運命の歯車が狂い惨劇が起きます。

 

このルートに入る確率が最も高いので、

 

「最多の可能性」という副題がついています。

 

 

 

祟殺し編の分岐点は、間宮リナが園崎家のお金に手を出すか否かだと思います。

 

手を出した場合、間宮リナは園崎家に殺されます。

 

間宮リナが死ぬと、間宮リナのヒモであった北条鉄平の寄生相手がいなくなります。

 

北条鉄平は遺産目当てで、北条家に帰ってきます。

 

分岐が最も早いので、「最短のシナリオ」という副題がついています。

 

 

 

間宮リナというキャラクターは

 

鉄平というヒモの存在のせいで、お金に困っているのでしょう。

 

よって、園崎家のお金に手を出さなくても、

 

レナの父親から美人局によってお金をせびろうとします。

 

レナがリナを殺し、その死体を部活メンバーに発見されることで、

 

罪滅し編が始まります。

 

 

 

 

このように、多様な分岐点があります。

 

しかし、これらの分岐点は古出梨花の選択とは無関係に決定されます。

 

世界のランダム性が分岐点を決定します。

 

そこに、古出梨花の意思が介在する余地がありません。

(と、古出梨花は考えています。)

 

「世界のランダム性」と戦うというのは、今をもってしても新しいです。

 

 

 

ちなみに、、、、

 

 

 

プレイヤーに選択肢が無いにも関わらず、必ずバッドエンドになるのは、

 

古出梨花の意思に関係なく、世界がバッドエンドに収束していくのに似ています。

 

原作において選択肢がほぼ無いのは、

 

我々視点と古出梨花や羽入との視点を同期させるための演出だったのです。

 

 

 

以下、業、卒要素ありの余談です。

 

物理ニワカの廚二病の戯言だと思って軽く流しながら見てもらえると助かります。

 

ループものは基本的には、という「因果」との対峙が多いです。

 

これに対して「ひぐらしのなく頃に」では「世界のランダム性」と対峙してます。

 

世界のランダム性は、「量子論」などと密接にかかわっていると思われます。

 

 

 

ちなみに、「ひぐらしのなく頃に業」、「ひぐらしのなく頃に卒」では

 

マクスウェルの悪魔」というSF設定が顕著に表れていると思います

 

 

 

エントロピー増大とか。世界の不可逆性とか。

 

「角」や「カケラ」と言ったメモリーの存在とか。 

 

鬼狩柳桜」という「メモリー消去のキー」の存在など。

 

 「時間」や「宇宙」の概念と、密接にかかわっているそうです。

 

量子論」も関わってくるかもしれません。

 

(まとまったら記事にするかも、、、現在、勉強中!!)

 

主題がぶれてしまうので、ここまでにしておきます。

 

考察勢はこの辺考えてみるのも良いのでは?

 

 

 

 ②雛見沢症候群

ひぐらしのなく頃にでは雛見沢症候群という伝染病が出てきます。

 

この辺ふわふわしているので、間違いがあったらご指摘ください!

 

⑴〜⑹は事実だと思います。

 

 

⑴雛見沢由来の伝染病である。

 

⑵ストレスなどによって症状が出る。

 

⑶重度の疑心暗鬼を引き起こす。

 

⑷リンパ腺に異常な痒みを及ぼす。

 

⑸予防薬と雛見沢症候群を引き起こす薬の二つが開発された。

 

⑹L1〜L5までの段階がある。

 

 

 

➊〜➒は作中で言及されている、または推測できる仮説です。

 

 

雛見沢症候群寄生虫による伝染病である。

 

➋伝染病は鬼ヶ淵沼から湧き出す。

 

➌古出家には寄生虫の親玉が感染しており「女王感染者」と呼ばれる。

 

➍「女王感染者」から離れると雛見沢症候群を引き起こしやすい。

 

➎「村から出るな」という古い因習は雛見沢症候群を引き起こさないためである。

 

➏「女王感染者」が死ぬと、村人全員が雛見沢症候群の末期症状に陥る。

 

➐綿流しの日には、末期症状の人間を喰うことで抗体を作っていた。

 

➑雛見沢由来の寄生虫と村人が自然淘汰によって親和性を深めていったことが鬼と人が融和したという真実である。

 

 

 

仮説➊〜➑の真偽についてまとめます。

ひぐらしのなく頃に奉について考えていません。あくまで無印と解のみから分かる部分を書いています)

 

雛見沢症候群寄生虫による伝染病である。

 

→1年目のバラバラ殺人の犯人を解剖することで発見した。

 

➋伝染病は鬼ヶ淵沼から湧き出す。

 

→「終末作戦」後に鬼ヶ淵沼が埋め立てられたことから、そのような仮説があったのではないかと予想。鬼ヶ淵沼から鬼が湧き出したという伝説も説明できる。真偽不明。

 

➌古出家には寄生虫の親玉が感染しており「女王感染者」と呼ばれる。

 

→古出梨花の体調が悪いと、村人の患者が増えるということが、統計的に分かっているとのこと。鎮静効果もあるらしい。古出梨花のモニターは雛見沢症候群の治療薬に役立った。古出梨花が特別であることは分かるが、寄生虫の親玉が感染しているから、とは限らない。

 

➍「女王感染者」から離れると雛見沢症候群を引き起こしやすい。

 

→都会に出たことで、圭一は雛見沢症候群を発症したということになっている。これによって、鬼隠し編が起こる。しかし、雛見沢を離れたからなのか、女王感染者から離れたからなのか、久しぶりの都会に出てストレスを感じたからなのかよく分からない。真偽不明。

 

➎「村から出るな」という古い因習は雛見沢症候群を引き起こさないためである。

 

→真偽不明。

 

➏「女王感染者」になると、村人全員が雛見沢症候群の末期症状に陥る。

 

→明確に誤りであることが作中で示された。目明し編では、古出梨花が死んでいるにも関わらず、集団末期発症は起きていない。

 

➐綿流しの日には、末期症状の人間を喰うことで抗体を作っていた。

 

→鷹野がレナに渡したスクラップ帳に書かれていた。真偽不明。

 

➑雛見沢由来の寄生虫と村人が自然淘汰によって親和性を深めていったことが鬼と人が融和したことの真実である。

 

→鷹野がレナに渡したスクラップ帳に書かれていた。真偽不明。

 

 

 

 

古い民俗的な掟や風習がSFと融合して行くのが面白いポイントですね。

 

 

 

 

次回は、「東京」「入江機関」「野村」「雛見沢連続怪死事件」について説明します。

 

phaseが上がるごとに作品のより深い部分を解説して行こうと思っています。

 

良ければこちらもご覧ください↓

 

phase 1:「これから見る人向けの基本情報まとめ」

kanuokun.hatenablog.jp

 

 

phase 2:「ホラーとしての魅力と恐怖の本質」

kanuokun.hatenablog.jp

 

phase 3:「繰り返す世界の真実と雛見沢症候群

→(本記事)

 

 

 

TVアニメ版「進撃の巨人」復習 5〜8話 ~「現実」と「強い肯定」とその否定~

2021年冬、TVアニメ「進撃の巨人 The Final Season」の後半戦がスタートします。

 

shingeki.tv

 

 冬に、「進撃の巨人」を見るにあたって、1話から見返そうと思った次第です。

 

切り所がありませんでした。

滅茶苦茶長いです。

 

今回の内容はかなり重たいです。

特に後半は毒です。

注意して見てください。

 

※注意 

・原作未読

・アニメ版75話までのネタバレ要素があり。

 

 

①「絶望」

未来永劫語り継がれるであろう、衝撃の第五話。

 

「今の人類ならやれる!」と理想を掲げるエレン。

 

「俺たちもやれるかも知れない」と希望を持つ104期メンバー。

 

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

 

エレン含め104期34班は、アルミンを残して壊滅。

 

原因はエレンが感情に飲まれて単独行動をとったからだと思います。

 

トーマスを喰われ感情に飲まれて単騎で行動した結果、

 

エレンは片足と両腕を嚙みちぎられます。

 

これ以降は、私の妄想なんで興味ない人は②に飛んでください。

 

自由を掴むために頑張っていたエレンの両腕が、

 

噛み千切られるというのも皮肉が効いていると思いました。

 

自由を奪われるメタファーにも見えます。

 

視聴者はこれをアルミン視点で見ることになります。

 

アルミンと共にどん底に叩き落され、

 

アルミンの視点を借りて自分の無力感に絶望します。

 

アルミンを視聴者側とすると、アルミンの身代わりになって、

 

主役であるエレンが喰われるというのも皮肉が効いていると思いました。

 

視聴者は主役に共感しながらアニメや映画を見ます。

 

主役は数々の逆境を跳ね除けて成長します。

 

視聴者は逆境を経ずに、まるで自分たちも成長したかのように感じます。

 

その結果、視聴者はカタルシスを感じます。

 

主役を人柱にして、初めて感動できるわけです。

 

アルミンの代わりにエレンが喰われるシーンは同じ構図に見えました。

 

エレンが口の中にいるシーン、完全に我々視点に助けを乞うてますよね。

 

まるで、シアターの向こうから手を伸ばしているように見えます。

 

そして、腕を噛み千切られ完全に自由を奪われる。

 

「お前たちがやってることは、つまりはそういう事だぞ」

 

とエレンに言われているように感じました。

 

「主人公の視点を追っかけて行けば、感動できると思った?ざまぁwwwwwww」

 

と作者に言われたような気がします。

 

強烈なメタファーです。

 

以上、こじつけでした。

 

 ②「現実」

「人類は巨人に勝てる」という言葉に夢を持っていた104期メンバーたち。

 

しかし、この世界は力あるものが力無きものから奪う理不尽で残酷な世界でした。

 

エレンの班は壊滅、ガスも残り少なく、補給兵は籠城。

 

このまま巨人に喰われて死ぬんだ、と意気消沈する104期メンバーたち。

 

そこに「ミカサ」が現れます。

 

「世界は残酷である」ということを本能的に理解していたミカサは

 

他の104期ほど動揺することなく、104期達に向けて演説を始めます。

 

③吠える兵士たち

私は強いから巨人に立ち向かう。

お前たちは「力」が無いからと言い訳して、

巨人に立ち向かう事すらしない腰抜けだ。

 

私はミカサの演説をこのように解釈しました。

 

ミカサに呼応して、ジャンがさらに104期達に向けて発破をかけます。

 

それに、答えるようにして104期達が次々と奮起し始めます。

 

ミカサではなくジャンによって兵士たちが奮起するのが良いですよね。

 

ジャンの「弱者に言葉が届く」という長所がよく表れていますね。

 

(ジャンについては別の記事で語ります。)

 

ミカサは感情や理性よりも先に体が動いてしまうタイプです。

 

(ミカサのキャラクター性に関しては⑤「ミカサ」と「安楽死計画」という章で詳しく語ります。)

 

「この世界は残酷だ」ということの意味は理解していましたが、

 

感情ではまだ理解できていなかったのでしょう。

 

よって、冷静な判断ができなくなります。

 

ガス切れを起こして、墜落してしまいます。

 

巨人に囲まれて絶体絶命のピンチです。

 

④「強い肯定」

 この世界は残酷だが美しい

 

私たちは残酷な世界に生きている。

 

されど、それも悪くない。

 

強者が弱者から奪う世界を受け入れます。

 

ここで死んで、美しい食物連鎖の一部になるならそれも良いだろう。

 

「いい人生だった」と諦めかけます。

 

しかし、巨人の腕がミカサを掴もうとした刹那、なぜか体が勝手に反撃してしまう。

 

諦めているのに…。なぜ、体が動くのか?

 

ーそれは、エレンを忘れないためだ!

 

その瞬間、自らの「生」を強く肯定して、自らの生きる目的を見出し、

 

小さな刃を構えます。

 

 

ここまでのトロスト区攻防戦の話を見ると分かる通り

 

ニーチェっぽいストーリですよね。

 

実存主義と言えるのでしょうか?

 

哲学にわかなので、そんなに詳しいわけではありません。

 

もし、詳しい人がいたら教えてください。

 

 にわかなりの説明です。ご容赦ください。

 

哲学的にまとめるのであれば、

 

巨人に立ち向かうのを諦めて、

 

怒りの矛先を補給兵に向けていた104期達は

 

ルサンチマン」に陥った人間ではないでしょうか。

 

美しい世界に同化して、死んでもいいじゃないと考えたミカサは

 

ニヒリズム」に陥った人間ではないでしょうか。

 

ニヒリズム」を乗り越えて、自らの生きる意味をみつけて生を肯定することで

 

ミカサは「超人」になったのです。

 

「力」や「力の行使」がどうのこうのと言う話は

 

全てこのシーンを見せるための前振りだったわけですね。

 

しかし、このシーンもまた前振りでしかありません。

 

今の説明はこのシーンの表面的な理解に過ぎません。

 

より詳しく説明するには、

「ミカサ」というキャラクターを説明しなければならないでしょう。

 

 ⑤「ミカサ」と「安楽死計画」

ここから先は私の思想ではないと先に断っておきます。

 

ただ、このシーンを見ての個人的な解釈を述べているまでです。

 

人によっては毒になる話なので、⑥に飛んでもらって構いません。

 

「ミカサ」は感情よりも先に体が動いてしまうタイプです。

 

これは、アッカーマンの血によるかもしれないと後に分かる訳です。

 

アッカーマン家の人間は宿主に服従するそうです。

 

「ミカサ」は「エレン」を宿主としていると説明されました。

 

ここでは、まだ自由意志がどうこうという話はしません。

 

この辺はまた、別の記事で説明することにします。

 

問題なのは、体が先に動いた=アッカーマンの血による本能ということです。

 

このことを念頭に置いて、④を見返してみると、このシーンの恐ろしさが分かります。

 

ミカサは感情としても理性としても諦めているわけです。

 

にもかかわらず、体が動いてしまう。

 

なぜ、体が動いたのか?

 

それは、エレンがまだ生きていたからです。

 

宿主であるエレンが生きていたから、

 

アッカーマンの本能が「ミカサ」を殺させなかったのです。

 

にも関わらず、ミカサはそれを自身の意思とらえます。

 

もう死んでもいいと思っているはずなのに、なぜ動くのか?と自身に問います。

 

そして、エレンを思い出す事が生きる目的であると「勘違い」するわけです。

 

「生きる目的」は生を肯定するための切なる願いです。

 

しかし、残酷な世界によって培われた「生きる目的」は生者の哲学です。

 

もし、残酷な世界から超越した存在がいると仮定したら、

 

その存在に「生きる目的」はあるのでしょうか?

 

無いでしょうね。

 

「生きる苦しみ」が「生きる目的」のスパイスであるという考えは生者の言い訳です。

 

自らの意志によって「生きる目的」を持ち「生きる苦しみ」を肯定しているのか?

 

そうではない、、、、

 

「生きる苦しみ」が「生きる目的」を生み出して、それを自らの意志と勘違いしている

 

とも言える!!

 

と、このシーンでは言っている訳です。

 

この部分が「安楽死計画」に繋がっていく訳です。

 

安楽死計画」とは

 

生きる喜びと悲しみは祝福ではなく、

 

生まれてこなければ感じなくて済んだはずの、

 

人類に課せられた原罪とか業みたいなものです。

 

だから、人間が生まれてこないようにしようという考えです。

 

キリスト教的な救済とか仏教の解脱の思想に近いんじゃないでしょうか。

 

 

ここがシーズン4後半の争点になるのかなと思います。

 

しかし、どんなに虚無に捕らわれそうになっても、

 

生を肯定し続けるために戦うのが、ニーチェの哲学だと思います。

 

「戦え」と言い続けていたのはエレンです。

 

シーズン4のエレンは生を無意味にしないために戦っているのかもしれません。

 

しかし、もしこの考えが正しいとするならば、

 

エレンが「安楽死計画」に加担している真意が分かりません。

 

アニメ版のみを追っているので何とも言えませんが。 

 

⑥「人類の怒りを体現した存在」

アニメの本筋に戻ります。

 

帰って来てください皆さん!

 

では、再開します!

 

小さな刃を構えて叫ぶ「ミカサ」

 

その瞬間、巨人が巨人に襲い掛かります。

 

ミカサはその巨人が「人類の怒りを体現している存在」に見えます。

 

この巨人、本当はエレンでした。

 

エレンを見て「人類の怒りを体現している存在」とは言い得て妙です。

 

エレンはミカサに比べて弱いです。

 

しかし、自分より大きくて強い人間にいつも歯向かっている存在でした。

 

エレンとミカサの出会いにしてもそうです。

 

一回り大きい、人攫いに向かって真正面から殺しに行きました。

 

エレンの本質は「理不尽への怒り」です。

 

この「理不尽への怒り」が「自由を阻害するものへの怒り」や「巨人への怒り」に

 

置き換わって行くというわけです。

 

 

⑦その他ピックアップシーン

・フランツの下半身

アルミンが絶望して、生きている人はいないかと周囲を探索します。

 

104期メンバーのハンナが恋人のフランツに人工呼吸している所に出くわします。

 

フランツが息をしていないのとアルミンに助けを求めます。

 

しかし、フランツには下半身がありません。

 

それでも、フランツの人工呼吸を続けるハンナ。

 

ハンナの目に涙が浮かびます。

 

ハンナも分かってて続けているんですよね…。

 

余計つらいです…。

 

アルミンとの会話シーンではずっと

 

アルミンとハンナ、そしてフランツの上半身だけが写されます。

 

下半身がないと示すカットも、切断面がハンナに隠れて見えないようになっています。

 

隠れているからこそ、我々は想像でその部分を補います。

 

しっかりと死を見せるよりも残酷な描写の仕方ですよね。

 

・「主人公」の異常性

ミカサの回想シーンをピックアップしてみました。

 

1〜4話まではとても主人公していましたよね。

 

エレンは「正義の味方」でとてもアニメ的なキャラクターです。

 

そのようなキャラクターの異常性が垣間見えるシーンです。

 

「お前たちの憧れている様なキャラクターは異常な奴らなんだぜwwww」

 

と作者に嘲笑われているような感覚に陥ります。

 

おのれ、作者め!!!!

 

 

⑧まとめ

進撃の巨人はやはり恐ろしいです。

 

グロや絶望展開が恐ろしいのも勿論ありますが、、、

 

裏に隠された毒みたいなものが恐ろしいです。

 

視聴者を毒によって蝕んでいく恐ろしさがあります。

 

しかし、この毒が魅力でもあるとます。

 

なぜ、このような毒が生ずるのか?

 

それは、人の内面の深い部分に干渉するからだと思います。

 

なぜ、人の内面の深いところに干渉するのか?

 

それは、作者が絶えず問い続ける人だからではないでしょうか。

 

自身の考えを否定して、疑問を投げかけて、

 

 どんどんと、深い内面の闇に向かって行く。

 

 これこそが「進み続ける」ことだ

 

と、作者は言いたいのかもしれません。

 

⑨余談

もう一つ恐ろしいのが作者です。

 

諌山先生、、、、あんた恐ろしいよ(笑)

 

何が恐ろしいって、描写を見るに

 

この時点で、「ミカサ」のキャラクター設定は決めていたってことですよ。

 

つまり、あのシーンの意味もすでに考えていたということになりますよね。

 

後付けじゃないんですよ。

 

さらに、恐ろしいことに感動的なシーンに昇華しているんですよ。

 

普通にエンタメとしても面白いです。

 

 

私も、今からでも凄い漫画が描けるかも!!!

 

いや、これ見せられたら絶望しちまいますよ(笑)

 

私は漫画家でも何でもないですが、すごい敗北感を感じています。

 

落ち込んだら、カラオケに行ってたんですけど、、、

 

このご時世ではそうも行きません。

 

取り合えず、私は寝ることにします。

 

寝ることが一番の薬になるはずです。

 

 

 

 次回はトロスト区攻防戦の後半戦をお届けします。

 

 

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