無職転生20話「妹侍女の生まれた日」感想

無職転生19話「ルート選択」視聴しました。

今回も面白かったです!

 

原作WEB版のみ既読です。

ニコニコで視聴しました。

コメントで気がついたことも一緒にまとめます。

 

基本はネタバレなしで感想を書きます。

最後の「OPの歌詞について」だけはネタバレありです。

 

目次です→

 

 

公式サイトはこちら→

ONAIR | TVアニメ「無職転生 ~異世界行ったら本気だす」公式サイト

 

 

ネタバレなし感想

 

ザノバ

ザノバキターーーーーーーーーー!

ザノバが大好きなので、マジで嬉しい。

やっぱ、いいキャラしてる。

今時、これだけ純粋で熱く語れるオタクって珍しい。

変に空気を読んじゃうから、

自分の話ばかりしていたら、嫌われるんじゃないかと考えて、

自分の好きな話をしなくなっちゃうんだよね。

一概に悪いとは言えないが、ちょっと寂しいよね。

 

アイシャ

やはり、聡い子である。

どこから、ルディーが兄だと気づいていたのだろうか。

気づけるタイミングはいくつかあった。

無詠唱魔術を使える少年という時点で、

かなり限定される。

かまをかける意味で、

兄を変態だと言ってみたり、

名前を聞いて反応を確かめたのかもしれない。

「カイヌシ」が本名でないことくらい、

賢いアイシャなら分かっていたはずである。

本当に兄なのか確証が無かったのもあると思うが、

あえて、ルディーの思惑に乗ってあげることで、

兄が自分の仕えるべき人間なのかを判断していたのだと思う。

中国戦国時代の、王を値踏みする軍師のようである。

ジンジャーが起こしに来た時、

「ルーデウス殿!」という言葉にルディーが反応してしまっている。

エリスも「ルーデウス」と言ってしまった。

アイシャは寝ているように見える。

しかし、お別れのシーンであれだけの役者っぷりを発揮したアイシャである。

このシーンも、狸寝入りに見えてしまう。

パックスを脅すときに、ザノバも「ルーデウス殿」と名前で呼んでいるのだが、

ここで、アイシャはそんなに驚いた顔をしていない。

この時点で、もう「カイヌシ」が兄だという確証を得ていたのだと思う。

お別れのシーンでもう一度、かまをかけて、

ルディーは、母が言う様な素晴らしい人間であるのか確認していた。

母が隣にいることを分かったうえで、

わざわざ母がいる方を向きながら大声で、

「母はこう言うんです!でも嫌なんです!」

と言っているのも面白い。

ここで、ルディーが回答を間違えていたら、

アイシャはルディーを見限っていたのだろうか。

怖いよ笑。

合理的すぎる人間って怖いよね。

アイシャ……恐ろしい子

 

 

順番を間違える

助言を聞き間違えて、手紙を出してからアイシャを助けてしまった。

アイシャを助けたことで、二人の門兵が裏で動き始めた。

手紙を出すのがあとちょっとでも遅ければ、

ルディーは捕らわれることなく、エリスやルイジェルドと共に、

家族救出作戦に参加できたのである。

まあ、ルディーは捕らわれたおかげで、ザノバと仲良くなれた訳だが。

 

 

パンツをごまかす

夜明けとともに、朝陽をバックに家族が再開して抱き合うシーン。

「いいBGMでごまかすな!」とか

「いいシーン風にして、ごまかすな!」

というコメントがあって面白かった。

ルーデウスがアイシャにはちがねを渡すシーンで、

「パンツをごまかすな!」「洗脳中」

というコメントが沢山流れてきて笑ってしまった。

 

 

ゴキブリ

コメントを見て気がついた。

OP終了後冒頭のゴキブリの画角と、

CM後のザノバが這って歩いているときの画角が、

完全に一緒だった笑

悪意があるよね笑

たまに、悪意のある演出があって面白い。

15話の3匹のカエルが交尾している図とか。

スタッフの悪意と遊び心が面白い。

 

 

21話の予告が劇場版レベル

ついに次回。

「ターニングポイント2」である!

公式から21話の予告が出ている。

劇場版の予告レベルのクオリティーであった。凄い。

(未読はネタバレがあるので、あまり見ない方が良いかもしれない。)

次回も期待大である!

 

 

 

表現について考える

 

感想はここまでです。

ここからは、表現について考察します。

私は全くの素人です。

間違っているかもしれませんが、そこはご容赦ください。

あくまで、アニメに対するリテラシーを上げるための訓練です。

 

鳥肌OP

アイシャを咄嗟に守ったリーリャ。

リーリャとアイシャは水の中に転位させられる。

ボロボロになって、なんとかたどり着いたのはシーローン王国。

ロキシーを頼って、王宮に向かう。

しかし、パックスの奸計にはまり捕らわれてしまう。

この流れをOPで表現していた。

 

OPの表現で良いなーと思ったのは5点。

 

1点目は、冒頭。

咄嗟に、アイシャを庇うリーリャ。

二人は転位災害の眩い光に包まれる。

リーリャが目を開ける。

魚と気泡が見える。

「何だこれ?何が起きたんだ!」

突然のことでリーリャは混乱したことだろう。

「あれ、息ができない!やばい!」

焦りながら、片手で懸命に泳いだのだろう。

リーリャの主観視点で、我々視聴者も一緒に水の中に放り込まれる。

リーリャが感じた焦りと恐ろしさを分かりやすく伝えている。

 

水の中に急に放り込まれたら、おぼれ死んでもおかしくない。

そんな究極の状況で、咄嗟にアイシャを掴んで水上まで泳ぐ。

頭が切れる部分も表現されていた。

 

 

2点目は、水上に顔を出した後の表現。

まず、呆然と辺りを見渡す。

アイシャがせき込んで、ようやく自分が母親であったことを思い出す。

17話OPの草原を呆然と見回すパウロに似ている。

凄いリアルだなーと思った。

その後、アイシャが息を吹き返したときに、

リーリャが見せた、母の顔も良かった。

 

3点目は、汚れでどろどろになっている二人である。

何でこんなにどろどろなんだろうかと不思議に思った。

自分なりに考えてみた。

息を吹き返したアイシャ。

しかし、このままだと危ないかもしれない。

「とにかく、人が居る所に行って安静にしないと!」

そう考えたに違いない。

水の中に転位した後、濡れたままアイシャを担いで、

シーローン王国まで夜通し歩いてきたに違いない。

濡れたままで歩いたものだから、

どろどろに汚れてしまったのだと思う。

リーリャがアイシャを守るために、

どんなに必死だったかというのが伝わってくる。

 

4点目は、リーリャとアイシャが捕らわれたときの表現である。

リーリャとアイシャの不安そうな顔の上に、檻の様な格子の影が映る。

これによって、二人が捕らわれたことを表現していた。

俯瞰で顔を映して、そこに檻の影を映す。

そうすると、檻の影はそのキャラクターより大きく見える。

まるで、上から覆いかぶさるように見える。

捕らわれることの恐ろしさがより強調されていた。

また、リーリャの顔に檻の様な影が映った後に、

アイシャが顔を挙げてその顔にも檻の影が映る。

アイシャが転位後に初めて見たのがこの光景であった。

「え?何?どうしたの?」という不安そうな顔に、

胸が締め付けられる。

 

5点目は、歌詞との相乗効果である。

前半は、数多の命の中であなたに出会えた、

みたいな歌詞である。

リーリャがただアイシャの為に必死であることが描写される。

相乗効果で凄い感動的だった。

 

ここからは考えすぎかもしれない。

よくよく歌詞を聞いてみると、

OPで使われている1番は、母の愛に触れられなかった子供の歌である。

ちなみに、ラストのサビは母の純粋な愛(皮肉ともとれる)の歌である。

シーンに合致するのは、ラストのサビの方である。

しかし、あえて1番を使っている。

「愛に触れられーずー」と歌詞では言いながら、

リーリャがひたすらアイシャを思っているシーンが描写される。

歌詞と描写の衝突によって深みが増しているのかなーと思った。

前にも似たような感覚に襲われたことがあるような気がする。

そう思って、無職転生の他の話を見返していたら、見つけた。

17話のOPである。

「祈りをー」の部分で、

ノルンのあげた首飾りと蝋燭が消えるさまを描いている。

ノルンの祈りにも似た思いとは裏腹に、精神が腐っていくパウロを描写している。

「祈り」と「祈りが届かないどうしようもない苦しみ」。

この二つの衝突が良かったのかもしれない。

 

ロキシー像から分かる無職転生の魅力

フィギュアの構造に感心した。

原作を読んだ時も感心したが、

絵が付いて、より分かりやすくなった。

フィギュアに詳しくないが、実際にこういうフィギュアってあるの?

こういうフィギュアがあるのなら欲しい。

 

このフィギュアの面白さは二つあると思う。

 

1つ目は「意外性」である。

二本だと思っていた腕が、実は三本あった。

意外性のあるフィギュアであった。

 

2つ目は「リアリティー」である。

「ちょっと待ってよ!三本の手があるのは寧ろリアリティーが無いんじゃない?」

そう思う人がいるかもしれない。

しかし、それは間違いだと思う。

肉体の「リアルさ」や「詳細さ」ではない。

シチュエーションや我々の認識における「リアリティー」である。

もし仮に、このフィギュアが生きていたらどうだろうか?

服を脱がしたら恥ずかしくなって、胸を隠すんじゃないだろうか?

そういう発想でこのフィギュアは作られている。

キャラクターの「リアルさ」「詳細さ」ではなくて、

「リアリティー」を感じさせることを大切にしている。

 

フィギュアの構造から、原作者や監督の「創作論」が見えた気がした

小さな工夫によって、時間的な幅とキャラクターの厚みを持たせる。

それによって、見ている人間がリアリティーを感じるように仕向ける。

それこそが作品のあるべき姿ではないだろうか?

そう問いかけているような気がする。

無職転生も同じような魅力があると思う。

悪意のある演出も、情景描写も、

ノローグや変態描写などによって、主観と客観を分けているのも、

ここに集約されるのではないかと思う。

 

 

アニメは理屈から作っている(再録)

18話で書いた内容と同じことをもう一度書く。

 

アニメは理屈で作っている印象を受ける。

アニメ版は、脚本をテーマがより強調される方向に変えていたりする。

その回のテーマを考えて、そのテーマをどうやったら伝わるのか考える。

そのために、キャラクターの関係性をこうすべきだ。

キャラクターのこういう部分を描くべきだ。

そのためには、このようにシーンや動きで構築すべきだ。

このようなセリフを言わせるべきだ。

理屈で作っているのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

OPの歌詞について※ネタバレ注意

19話で同じようなことを書いたが、もう一度書く。

ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神子(みこ)」「呪子(読み方が分からない)」「普通の子」

を比較した歌である。

一番は「呪子」と母の歌だと思う。

「天からの授かりもの」によって、母の愛に触れられなかった

「呪子」の歌だと思う。

 

二番は「神子」と母の歌だと思う。

「天からの授かりもの」によって、母の愛から遠ざけられ、

結局幽閉されてしまった「神子」の歌だと思う。

 

Cメロはこの二者とも力が強いゆえに不幸であることを示したと解釈した。

 

ラストのサビは「普通の子」と母の歌だと思う。

「天からの授かりもの」を持たない非力な子供だからこそ、

母の愛に触れて成長できると解釈した。

 

この歌をリーリャとアイシャの回想に被せた意味は何だろうか?

リーリャがアイシャを愛せるのは、

アイシャが賢いとは言え、普通の子供の範疇にあるからと伝えたいのだろうか?

現に、リーリャはルディーを悪魔付きだと考えて愛せなかった過去がある。

母と子の関係はそれ自体が「天からの授かりもの」であって、

否応なしに母は子を愛してしまい、重荷を背負う。

それは、「呪い」のようなものである。

しかし、その「呪い」こそが真に美しいのである。

もしくは、「天」のせいで人は「呪い」を美しいと感じて、

重荷を自ら背負うようにプログラムされてしまった哀れな存在である。

みたいな感じのことを伝えているのだろうか。

いやー、さすがにそれは無いかー。

間違った方向に解釈が進んでしまっている気がする笑

ここまでで、止めておこう。

私の力量ではこれが精一杯である。

 

 

以上。

次回も楽しみ。