無職転生22話「現実(ユメ)」感想前半~表現中心~

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無職転生19話「ルート選択」視聴しました。

原作WEB版のみ既読です。

 

「現実(ユメ)」というタイトルやED、悪夢の解釈は、

もう少し時間がかかりそうなので、別の記事に書きます。

 

「それぞれのキャラクターにとって、この旅がどういうものだったのか?」

という部分に関しては、23話の感想ブログにてまとめます。

 

この記事では、表現方法を中心に感想をまとめます。

ニコニコで視聴しました。

コメントで気づいたことも一緒にまとめます。

 

 

目次です→

 

 

公式サイトはこちら→

ONAIR | TVアニメ「無職転生 ~異世界行ったら本気だす」公式サイト

 

 

 

シーンによってシンボルが象徴するものが変化するのが面白い。

例えば、ワインの表すものがシーンによって全然違う。

悪夢におけるワインの沁みは死を思わせる。

また、流れるもの、つまり時間の流れを思わせる。

ルディーが杯を落としたシーンでワインが零れるシーンは破瓜を思わせる。

エリスとルディーが一つになるシーンでは、包容力や癒し、温かみを感じさせる。

 

杯もまたシーンによって見え方が全然違う。

穴が空いた心を思わせるし、

生命や身体を思わせることもある。

理性の象徴にも見えるし、

性の象徴にも見える。

 

 

今回は、これらの表現方法を中心に感想を書く。

 

 

時間の表現

悪夢のシーンで、時間が巻き戻っていく描写が面白かった。

 

血が杯に帰っていくことで時間が巻き戻っていることを伝えた。

 

また、秒針の音と共に画面全体が時計回りに回転する。

画面が時計回りに回転するということは、

アニメを見ている視聴者が反時計回りに回っているということである。

視聴者が反時計回りに回ることで、

時間が巻き戻ったことを伝えていた。

 

悪夢から覚めた後、画面が反時計回りに、

つまり、視聴者が時計回りに戻ることで、

「現実(ユメ)」に帰ってきた。

 

 

手にする愛……

OPが「旅人の唄」に戻った!

第一話にも出てきた変な鳥が飛んでる。

帰ってきたんだ!

しかし、空は厚い雲に覆われている。

情景描写により不穏さが醸し出されている。

OPの曲調はアレンジされており、不気味である。

「手にする愛」という歌詞のあと、曲がぶつっと切れて終わる。

しかも、「あい↘」と音程が下がって終わる。

不穏さがより醸し出されている。

 

 

無表情

今までも、無表情を利用した演出は多かった。

今回もルディーが無表情であることが多かった。

ラストの号泣を活かすためだと思う。

ラストでルディーが初めて泣くシーンがある。

このシーンを強調するために、無表情を多めにしたのかなーと思う。

 

今回、ルディーはほとんど無表情であった。

にもかかわらず、感情があるように見えるのはなぜだろう?

情景描写やシチュエーションに秘密がある。

例えば、故郷に帰ってきた後の回想シーン。

このシーンにおいて、ルディーはずっと無表情である。

どんよりと曇った天気はルディーの心象風景にであり、

ルディーがネガティブな感情を抱いているように見える。

また、ルディーは馴染みの場所と記憶を関連付けてゆく。

 

パウロロキシーに訓練してもらった庭だ。」

「シルフィーとの待ち合わせの目印にしていた木だ。」

 

思い出が、馴染みの場所と共にリプレイされる。

ルディーが通り過ぎるとリプレイが終了して、幻が消える。

 

これらの工夫によって、

故郷の現実をこの目で見た苦しみを、

ルディーが感じているように見えるのである。

 

ルイジェルドとの別れのシーンでも、

ルディーは無表情である。

どんよりと曇った天気はルディーの心象風景に見える。

隣にいるエリスは、泣きじゃくっている。

エリスは感情をストレートに表に出すキャラクターとして描かれてきた。

対して、ルディーは内に抱え込むタイプである。

隣にエリスがいることで、

ルディーはエリスと同じくらい悲しいのに、

ぐっと我慢しているように見える。

ルディーが大人びて見える。

 

「見える」というのが大事である。

ルディーはおそらく若干の達観と諦めをもって接している。

対して、視聴者はルディーが壮絶な苦しみを背負ったキャラクターに「見える」。

演出のあるべき姿だと思う。

 

これは、20話に出てきた、

ロキシー人形の設計思想に似ている。

ロキシー人形も、表情は同じであるにも関わらず、

しぐさとシチュエーションによって、

表情を変えるという部分が似ている。

 

他の回でも、情景描写や無表情を上手く使った演出がある。

例えば、21話の冒頭でも心象風景を使っていると思う。

19話のOPでは無表情によって、ルディーが何か思い悩んでいる風に見せている。

例を挙げたらきりがないので、

是非、探して見て欲しい!

 

(このように、見る人の感情や解釈を制御する効果を、

 専門用語で「クレショフ効果」というらしい。

 「クレショフ効果」を利用して、

 カット同士の相互作用や衝突によって

 見る人の感情や解釈を制御する理論を

 専門用語で「モンタージュ理論」というらしい。

 ただ、私は名前なんてどうでも良い。

 名前を知っただけで、分かったつもりになりたくない。

 まだ理解できたかあやふやなので、ちゃんと理解したい。)

 

ゼニスと燭台

やっとの思いで帰ってきた故郷は、

転位災害によって跡形もなく消し飛んでいた。

ルディーは故郷での日々を回想する。

ゼニスの回想の後、幻が消えて現実に戻ってくる。

記憶の中のゼニスが居たテーブルの上には、

火の消えた燭台が横たわっている。不穏である。

 

 

ロキシーとのお別れと、ルイジェルドとのお別れ

ロキシーのお別れシーンと、

ルイジェルドのお別れシーン。

後ろを振り返らず去っていくシーンが似ている。

 

ロキシーからもらったミグルド族のお守りを、

ルイジェルドに渡したところに関係性がある。

どちらも、ルディーにとっては大事な人である。

それ以外に何か関連性があるのだろうか?

考えてみたが、分からなかった。

 

 

揺れる心と杯

杯は、思慮分別を象徴することがある。

杯がゆらゆらと揺れるのは、

自分の良心が揺れ動いている様を描いていると思う。

杯が傾むいて、ワインが零れるのは、

理性が欲望を上回りかけた様を描いていると思う。

杯が落ちるのは、

欲望に身を任せた様を描いていると思う。

 

 

杯とワイン

ルディーとエリスが一つになるシーンでは、

杯とワインはそれぞれの性を表しているように見えた。

 

途中で杯が飛び跳ねている表現があった。

下世話な妄想で申し訳ないのだが、あのシーンで、

 

「ここ?」

「違うわ!もうちょっと上よ!」

 

みたいなのを想像してしまった笑

そして最後はすぽっと入って、ゴールイン!

二つの魂はは一つに溶け合って、幸せな夜を過ごしましたとさ。

めでたしめでたし。

 

個人的には、ここで蝋燭の火を入れてこなかったのは意外だった。

蝋燭の火を使った色々な表現があるんじゃないかと思っていた。

しかし、蝋燭を入れてしまうと明るくなってしまう。

そうすると、現実にぶち当たった苦しみとか、

後ろめたさが表現できないのかなーと思った。

また、現実の暗さと過去の明るさを対比する意図もあったのかなーと思っている。

 

どうやったら、蝋燭の表現を入れられただろうか?

例えば、一線を越えようとするシーンで、

ふっと蝋燭が消えるという表現はどうだろうか。

ただ、それだと象徴することの意味が変わってしまうのか……。

うーむ、上手く行かんもんだな。

こうゆうの考えるのって難しいんだなー。

制作陣に感謝しかない。

 

 

男女逆転

杯は、男性よりも女性の象徴だと思う。

普通、女性が杯を落とすという表現になるんじゃないかと思う。

ルディーとエリスの関係が、

普通の恋愛関係とは違うことを表しているのかもしれない。

ちょっと分からない。

 

 

心を満たす

杯がワインに入っていった。

これは、男女が一つになるという意味だけではない。

色々な解釈があると思う。

 

杯を、満たされないルディーの胸の穴だと捉えることもできる。

 

杯がワインだまりに入っていった。

この場合、心が満たされたと解釈することができると思う。

 

また、杯の中にワインが入るのではなく、

ワインの中に杯が抱擁される状態となったと考えることもできる。

この場合、身体による慰められたが、

心の穴を完全に満たされたわけではないと捉えることもできると思う。

 

他にも、ワイン=血=身体の象徴、杯=心の象徴という風に捉えることもできる。

つまり、体と心が一体化したと解釈することもできる。

この解釈は、次回にもつながってきそうで面白い。

こじつけすぎたかな。

 

 

「一線」を越える

ルディーとエリスの濡れ場シーンで、

エリスと、ルディーの間に柱が一本立っていた。

この柱は、理性の象徴では無いかと思う。

柱とキャラクターの距離感で、

どれくらい理性が働いているのか表していた。

最後は、柱を超えてエリスを押し倒し、

「一線」を越えた。

 

 

ルーデウスが捨てられたと思い、

とぼとぼと歩くシーンで、紫の花が映る。

有識者がコメントで説明してくれていた。

ありがたい!

花の形状は「ミヤコワスレ」、

それ以外は「ワスレナグサ」の特徴に似ているんだとか。

花言葉については、それぞれで調べてみて欲しい!

 

 

初めてちゃんと泣く

ルディーは、

ロキシーとの別れのシーンでも、

パウロとの再会シーンでも、

ルイジェルドとの別れのシーンでも、

泣かないキャラクターであった。

 

今まで、ルディーは絶対に泣かないキャラクターであるという部分を

対比によって表現してきた。

ロキシーとのお別れシーンでは、

隣に号泣するパウロとゼニスを描くことで対比させた。

パウロとの再会は、ロキシーの再会にて、

ロキシーの号泣シーンを丁寧に描くことで対比させた。

ルイジェルドとのお別れシーンでも、

隣に号泣しているエリスを描くことで対比させた。

このように、ルディーは泣かないキャラクターとして描かれていた。

 

ルディーは、21話のラストで初めてちゃんと泣いた。

転生者であったため、ルディーは大人びていた。

それが、21話のラストでは子供のように声を出して泣いている。

前世の男という心と、ルディーという体が、

シンクロしたことを表しているのかもしれない。

ルディーという人間がこの世界に産声を上げた瞬間である。

喪失という通過儀礼を経験することではじめて、

ルディーはこの世界の人間になれたのかもしれない。

この辺の描写は第4クールでまた語ることになると思う。

 

 

余談

なんだ、この感覚は!

遥かな高みから私を見下ろしているような感覚。

 

「このシーンはこれくらい分かったんだね。及第点だ。」

「このシーンの解釈は間違えているね。もうちょっと頑張り給え。」

そう言われているような感覚に襲われます。

 

一つ一つの描写に意味が詰め込まれすぎていて、

どれだけ考えても、アニメ制作者の手のひらの上であるかのような感覚に陥ります。

 

初めて、進藤ヒカルと手合わせした塔矢アキラの感覚に似ているのかもしれません。

今の自分では絶対に敵わないという絶望感と、

「こんな強敵がいたのか!」という興奮と憧れを感じます。

 

 

22話の感想前半はここまでです。

23話が始まる前に、なんとか感想後半を書き終えたいです。