「ネガティブ」と「ポジティブ」と「あるがまま」
問題が起きたときに、それをどう捉えるのか。
3つに分類してみた。
具体例を挙げながら説明する。
ここに、100ml入る器がある。
そこに、30mlのジュースが入っている。
このジュースを見て何を感じるだろうか?
「もう、これだけしかないじゃないか!」
「あと、30mlしかジュースが無い。」
「もう、これだけしか楽しめない!」
と考えるだろうか。
ネガティブな見方である。
「まだ、こんなにあるじゃないか!」
「50mlの器に入れ替えたら、まだ半分以上あるじゃないか。」
「これで十分だよ。」
と考えるだろうか。
これがポジティブな見方である。
ネガティブ思考に悩まされる人間は大勢いるらしい。
私も強すぎるネガティブ思考に悩まされた時期もあった。
しかし、訓練次第でネガティブにもポジティブにもなれると思う。
要は解釈の問題だからである。
ポジティブになりたい人は、何かを見たときにポジティブに変換する練習をしよう。
誰にでもできるとは言わないが、そんなに難しいことじゃないと思う。
さて、大抵の人間はポジティブな人間になりたいと考えるようだ。
果たしてポジティブとはそんなに良いものだろうか?
ネガティブもポジティブも本質的には同じものだと思う。
どちらも、問題の根本的な解決に結びつかない。
どちらも、一時的に自分の心を満たしてくれるだけである。
ネガティブは、不幸に酔うことで自分の心を癒しているだけだ。
ポジティブは、問題から目を背けることで平静を保っているだけだ。
ポジティブやネガティブに浸るのは、
家族の死などの、どうしようもない場合だけで良いと思う。
沈みゆく船の中、大丈夫だと言って踊り狂うポジティブ人間も、
もう駄目だと言って遺書を書き始めるネガティブ人間も、
どちらも愚かに思える。
冷静に今の状況を判断して、
問題解決に向けて適切に動ける人間でありたいと思う。
そのためには、「あるがまま」を見つめることが大切だと思う。
「ここに、100mlの器がある」
「そこには、20mlのジュースが入っている」
これが、「あるがまま」だと思う。
もちろん、人間は主観的な人間である。
完全にポジティブやネガティブから脱却することはできない。
完全に脱却した人間を、
仏教では「悟り」を開いた人間と言うのかもしれない。
別に、そこまで行く必要はない。
できるだけ問題を「あるがまま」にとらえることが大切である。
「あるがまま」に捉えられたら、
「なぜ問題が起こっているのか?考えられる原因をいくつか列挙してみよう。」
「どうやったら、この原因を排除できるだろうか?」
「こうやったら、問題を解決できるんじゃないか?」
「よし、実際にやってみよう!」
こんな感じで、
自然と問題解決に心を向けられるようになるのではないかと思う。
以上。
説教臭くなってきちゃったんで、ここまで。