大満足の最終回!無職転生23話!

23話視聴しました。

大満足です!制作陣には感謝しかありません!

見た直後の感想をまとめます。

 

喪失の22話に対して、再生の23話という感じでした。

喪失のあとにはちゃんと再生を描いてくれるのが良いですよね。

フィットア領が再建しようとしているのを描いてくれました。

ルディーのおかげで一歩を踏み出せたキャラクター達を描くことで、

ルディーが生み出したものを描いてくれました。

 

また、原作既読勢だけがニヤニヤできる描写が多くて大満足です。

特に、夢に出てきたゼニスの表現が面白かったです。

ここは、別の記事で熱く語りたいところです。

 

ルディーは「異世界」で本気で生きていくための一歩を踏み出しました。

「現実」に踏み出すことができなかった男が、

自分の足で一歩を踏み出せるまでに成長しました。

小さな一歩かもしれません。

しかし、とても大切な一歩だと思います。

いやー本当に良かった!

無職転生22話「現実(ユメ)」感想後半~「現実(ユメ)」とは何か?~

この記事は、どうせユメ物語。妄想に決まっています。

一人間が考えたくだらない解釈を楽しんでくれ!

23話を見た後だと、自信がない!

 

まだ、言語化されていなかったり、

自分の中でしっくりこない部分があるので、

分かりづらいかもしれません。

メモみたいなものなので、悪しからず。

この記事とは別に、分かりやすくまとめた記事をアップする予定です。

 

ED解釈は間に合いませんでした。

まとまったら、別の記事に書きます。

 

目次です→

 

公式サイト→

 

 

 

現実とユメとスクリーン

こちらをご覧ください!→

kanuokun.hatenablog.jp

 

 

現実(ユメ)とは?

 

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問題をややこしくしているのが、

「ユメ」と「現実」の多層構造である。

「ユメ」と「現実」が複雑に絡み合っているために、

どっちが「現実」で、どっちが「ユメ」なのか分からなくなるのが、

22話の難しい所である。

特に冒頭のシーンは、解釈しようとすればするほど混乱してくる。

まさに、悪夢である。

 


ルーデウスの身体にとっての「ユメ」はただの「悪夢」である。

ルーデウスの身体にとっての「現実」は「異世界」である。

前世の男、つまりルーデウスの精神にとっての「ユメ」は「異世界」であった。

ルーデウスの精神にとっての「現実」は「前世の世界」であった。

視聴者にとって、「ユメ」は「前世の世界」を含む「アニメ」全体である。

視聴者にとっての「現実」は「アニメ」の外にある。

 


異世界」はルーデウスの身体にとっては「現実」であり、

ルーデウスの精神にとっては「ユメ」である。

「アニメ」はルーデウスにとっては「現実」であり、

視聴者にとっては「ユメ」である。

このように「現実」と「ユメ」が複雑に重なり合っている。

これこそ「現実(ユメ)」が表すものである。

 


「アニメ」を考えると複雑なので、

いったん「ユメ」としての「アニメ」は考えないことにする。

メタという章で語る。

 

 

「現実(ユメ)」とは、

ルディーが求めていた(我々視聴者も求めていた)

理想の幸せ、理想の異世界像を表していると思う。

 

解釈1

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悪夢で描かれたこと

二通り解釈できると思った。

 

一通り目は、死へのトラウマである。

悪夢の前半、ルディーはボレアス家のパーティー会場にいた。

窓がスクリーン代わりになっている。

窓の内側は「ユメ」であり、窓の外側が「現実」である。

窓の内側は、ルディーが(我々視聴者が)求めていた、理想の「異世界」であり、

ルディーが必死に積み上げてきたものである。

窓の外側は、死と隣り合わせの危険な「現実」だと思う。

 

死への恐怖とは、積み上げてきたものを一瞬で喪失することへの恐怖である。

この恐怖は、「異世界」を「現実」だと認識し始めたから生まれるものである。

異世界」を「現実」だと認識し始めて成長したともとれるし、

異世界」の少年時代の思い出に、執着しているともとれる。

 

二通り目は、ルディーの転生者としての葛藤である。

夢の内容は全てルディーの内面である。

悪夢はルーデウスの後ろめたさが見せたものだと思う。

悪夢の冒頭シーンでは、ユメの世界に居るルーデウスを、

現実の世界からオルステッドや視聴者が見つめているという描写になっている。

また、悪夢の後半のシーンでは、ユメを求めて手を伸ばす前世の男が、

後ろから自分に刺されて胸に穴ができる。

その穴から、オルステッド。つまり、死や現実が覗いているという表現であった。

これは、何を示しいているのか。

異世界という現実でみんなと一緒に生きたい!」と考えるルディーと、

異世界はユメであって、そこで生きる資格はお前にはない!」と考えるルディーの、

無意識による葛藤を端的に描いているとも捉えられる。

 

解釈2

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22話で描れたこと

無職転生が苦手な人も結構いる。

Amazonのレビュー、ブログ、ヨウツベの感想動画、2chなどを見て、

苦手な理由は大きく二点あることが分かった。

 

一点目は、主人公に感情移入できないからという理由である。

元ヒキニートであり、セクハラや屑な行動が目立つ。

よって、感情移入できないため嫌いであるらしい。

 

 

二点目は、結局は「なろう作品」じゃないかという理由である。

確かに、魔術や文字を習得できたのは転生者であるが故である。

転生者の特典と言えなくもない。

努力をしているが、才能があるのも事実である。

ちゃんと、理由があるにせよ結局みんなにモテモテのハーレム状態だし。

彼の周りには良い人たちばかり。

結局、前世よりも環境が良いし、二度目の人生だから、

上手く行っている節もある。

それよりも、現実を本気で生きる物語を見たい。

という考えである。

 

「現実(ユメ)」というタイトルには、

これらの疑問が隠れている。

転生者の歪みと、

異世界で生きる」=「逃げ」かもしれない、

という部分に真っ向から向き合っている。

 

なぜ、現実とユメの対比に拘ったのか?

身体と精神体で「異世界」の捉え方が違うことを示したいからだと思う。

精神体は「異世界」をどこか「ユメ」だと思っている節があった。

ルディーがどこかゲーム感覚で達観しているなーと感じたことはないだろうか?

 

例えば、第5話の人攫いのシーン。

「もしかしたら、本当に人攫いにあったのかもしれない。」

そう考えた時点で、エリスを改心させる作戦は捨てるはずである。

しかし、どこかゲーム感覚が抜けないルディーは、

作戦を続行し、死にかける。

 

例えば、第11話でのルイジェルドとの衝突。

同様に、ゲーム感覚で作戦を考えており、

子供のキャラクターが一人が死んでしまう。

それを、ルイジェルドに責められる。

 

 

大切なものがどんどん増え、死による喪失の恐怖を知るにつれて、

異世界」が「ユメ」から「現実」に変わりつつある

同時に、精神体と身体が徐々にシンクロして行っている。

精神体の瞳がルディーと同じ緑色になっている。

これは、徐々に精神と身体が同化していると解釈できる。

22話の悪夢の後半、ルディーは前世の世界に戻る。

この時、部屋の外が「ユメ」である。

今まで前世の部屋のシーンでは外が「現実」の象徴であったのに、

22話では外が「ユメ」の象徴になっている。

これが、1話から21話にかけて、ルディーの変化した部分である。

ルディーがだんだんと、異世界を受け入れ出しているという事だと思う。

ちょっとずつ体と精神体が融合しつつあるという示唆でもあると思う。

杯とワインは色々な象徴になっていた。

杯が心、ワイン=血=身体と考えると、

最後に杯がワインに入っていったのは、

身体と心の融合を表していると解釈できるかもしれない。

また、ラストでルディーは初めて心の底から泣く。

ロキシーとの別れでも、

パウロとの再会でも、

ルイジェルドとの別れでも、

どこか達観していて泣かなかった。

それは、ルディーが転生者でどこか他人事であったからである。

しかし、22話のラストでルディーは泣いた。

こじつけかもしれないが、泣くというのは身体性を感じさせる行為だと思う。

ルディーの少年時代というのは、常にエリスと共にあった。

エリスに捨てられるというのは、

ルディーの少年時代全てを喪失したことと同義である。

積み上げてきたものが一気に崩れるような喪失感を経て、

初めてルディーは異世界の人間になれるのかもしれない。

 

 

ちなみに、成長したとは言っても、

「現実(ユメ)」に立ち向かっているのではなく、

「現実(ユメ)」にしがみついているような印象を受ける。

「現実(ユメ)」で生きたいという思いの裏側に、

「現実」から逃げたいという思いがあるのかもしれない。

「現実(ユメ)」で生きていく決心を固めるのは、まだ先の物語なのかもしれない。

 

解釈3

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解釈4

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メタ

無職転生」は他の「なろう作品」と同じく、

「現実」から逃げたいとう願望から作られた、「ユメ」であると言われることもある。

22話ではその疑問に真っ向から取り上げて演出に昇華していると思う。

 

22話で語られたことは、そのまま視聴者にも当てはまらないだろうか。

現実を一時忘れるためにアニメを見ている視聴者もいるのではないだろうか。

 

22話で語られて、「異世界」への疑問は、

そのまま、「アニメ」やへの疑問でもある。

 

無職転生は日曜日の24時(月曜日の0時)から始まる。

ちょうど、休日と平日の境目である。

無職転生という「アニメ」そのものが、

「ユメ」と「現実」の境目に放送されるのも面白い。

 

無職転生はルディーに感情移入させるのではなく、

ルディーを通して、視聴者が様々な感情や解釈ができるように作られている。

ルディーというキャラクターを通して、何かを見せようとしている。

スクリーンの表現にこだわるのも、そこに理由があるのかもしれない。

 

「アニメ」で語られていることは、作り物なのに。

それでも、「アニメ」に憧れる我々はどう生きれば良いのか?

無職転生はルディーを通して教えようとしているのだと思う。

 

我々は、ルディーという小さな窓から「アニメ」を見る。

その先にあるのは、暗闇かそれとも美しい青空か。

それは、まだ我々には分からない。

 

この部分はED解釈で詳しく語ろうと思う。

「情熱」と「読みやすさ」は反比例する!

ちょっと時間が空いたので、自分のブログを読み返してみた。

冷静に見返してみたら、かなり酷い笑。

こんなものを人様に見せてもいいのだろうか笑

 

「てにをは」がおかしい。

誤字脱字が多い。

内容が整理されていない。

主語がねじれている。

主語が分かりづらい。

修飾語がどこにかかっているのか分かりづらい。

タイトルのパンチが弱い。

冒頭のつかみが下手くそ。

表現がくどい。

二重表現も多い。

文と文の因果関係が曖昧。

読みづらいブログのお手本のようであった。

 

なぜ、こんな読みづらい文章になってしまったのか?

理由は二点ある。

 

一点目は、純粋に文章が下手くそである点である。

読みやすい文章を書くのは技術である。

読みやすいと思ったブログや本を真似て、

ちょっとずつ技術を習得したい。

 

二点目は、「情熱」がありすぎるという点である。

「情熱」があればあるほど、自分の世界に入ってしまう。

他人の目からどう見えるのかについては二の次になってしまう。

推敲することの大切さを実感した。

ちょっと時間を開けてから、推敲する癖をつけたい。

純粋を求める。毒を求める。

漫画やアニメ、小説に欠かせない要素の一つがキャラクターである。

我々はキャラクターに何を求めるのか?

キャラクターのどのような部分に心惹かれるのかで、

人間は二種類に分けられると思う。

「純粋を求めるタイプ」と「毒を求めるタイプ」の二種類である。

 

「純粋を求めるタイプ」は、

高潔、一途、美しさ、美徳をキャラクターに求める。

自分自身が淀んだ存在であるからこそ、

淀みなき美しさに憧れる人達である。

人間の淀みなき美しさが、

人間の本当であって欲しいという祈りがある。

 

 

「毒を求めるタイプ」は、

人間臭さ、複雑、醜さ、欠点をキャラクターに求める。

人間の淀みを見て、リアリティーを感じ、

人間の本当を見た気になって、満足する人達である。

どちらかというと、私は毒を求めるタイプである。

 

 

こっからはグダグダと書くので、

そういうの読みたくない人はここまで。

読んでくれてありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

具体的に、ありがちな物語を挙げて考えてみようと思う。

魔王を討伐する勇者の物語を考えてみた。

シチュエーションを説明するのに前置きが長くなってしまった。

悪しからず。

 

怒号。嗚咽。燃える家屋。鉄の味。

魚が腐ったような死臭が全身に纏わりつく。

正義も悪もない。ただひたすら敵を切ってきた。

 

勇者は何のために戦っているのか分からなくなった。

勇者は、久しぶりに故郷に帰りたくなる。

故郷に帰り、旧交を温める。

大きくなった幼馴染のヒロインとも再開する。

勇者はこの人たちの幸せのために戦っているのだと再認識する。

 

翌日早朝、勇者は誰にも気づかれないように、静かに故郷を出て行こうとする。

それに気づいた幼馴染のヒロインが追ってくる。

幼いころ、勇者はヒロインをこの村に一人残して旅立っていった。

前回の旅立ちでは、ヒロインは勇者が好きであったが、

思春期であったため、恥ずかしくて告白できなかった。

ヒロインは何らかの事情により勇者を追うことができない。

(ヒロインは戦争で夫を亡くしており、幼い子供が一人いる。

勇者と再会して、勇者を未だに愛していることを再確認する。

という展開を考えたかが、この時点で毒寄りなので止めた。)

 

ここで、勇者を見送るヒロインに何を言わせたいか?

 

純粋を求めるタイプだったら、

「わたくしは、ずっとあなたをお慕い申し上げておりました。」

「お体には気を付けて。」

「風邪を引かないようにマフラーを編んで来ました。」

「いつまでも、お待ちしております。」

「待つことが私の戦いです!」

的なことを言わせたいだろう。

自分の身を顧みない一途さが好みなのだと思う。

おそらく、勇者は自分の決心を周りに伝えずにいた、

にもかかわらず、それに気づいて、マフラーを編んでくれたのもポイントが高い。

(マフラーって一日で編めるものなのか……?)

 

毒を求めるタイプだったら、

「どうして、私はあなたを愛してしまったの!」

「愛さなければ、あなたが居ない時間を悲しむことも無かったのに!」

「それでも、私はあなたを愛してしまうのだわ!」

「だから絶対に帰って来て!」

的なことを言わせたいだろう。

出発する勇者を差し置いて、

自分のことばかりであるヒロインに人間味を感じる。

毒を求める人間にとってはセリフの言い方も良い。

愛への疑問と、苦しみながらも愛そうとする強い意思。

この二つをを感じさせてくれるのでポイントが高い。

 

 

 

勇者一行はついに魔王に戦いを挑む。

次々と、魔王の凶刃に死んでいく仲間たち。

残るは、勇者と戦士だけになった。

ちなみに、戦士はヒロインの父親であるという設定。

ラストで、戦士は勇者を庇って死ぬという展開になるとする。

 

 

戦士をどういう風に死なせるだろうか?

 

 

純粋を求めるタイプは、

キャラクターが、高潔に死んでいくのが好きである。

 

純粋を求めるタイプはこんな感じになるのかなーと思う↓

 

戦士の胸には穴が空いていた。

鎧は血だらけである。

「ここまでお前の為にと思って頑張ってきたが、ダメみたいだな。」

戦士は、そのギラギラと光った眼を勇者に向けた。

「この国を頼んだ……!」

血まみれの手が虚空に伸びる。

勇者はその手をぎゅっと握り返してやる。

「お前の命は絶対に無駄にしない!」

戦士はにやりと笑ったかと思うと、ごぼっと血を吐いた。

戦士の手がするりと勇者の手から零れ落ち、瞳から光が消えた。

 

 

毒を求めるタイプは、

死にゆく瞬間に、

人間の本当が見えるのが好きである。

 

毒を求めるタイプはこんな感じになるのかなーと思う↓

 

戦士の胸には穴が空いていた。

「俺はもうダメだ。」

戦士はぎゅっと目をつぶったかと思うと、

鬼気迫る顔で勇者を睨みつけた。

「お前の為に、俺たちは死ぬんだよ!」

血まみれの手で勇者の肩を万力の様な力でぐいっと引き寄せた。

「だから、お前にはこの国を治める責任がある!俺たちの為に!」

勇者は戦士の手の上に自分の手をかざした。

「後のことは俺に任せろ。お前の娘も俺が面倒を見る。安心しろ。」

戦士ははっと何かに気づき、遠くを見つめて、自嘲気味な笑みを浮かべた。

「ああ、嫌だな。もう少し生きていたいと思ってしまうよ。」

その瞬間、瞳から光が消えた。

 

 

私はバランスが大事かなーと思っている。

純粋と毒どちらかが欠けても嘘になる。

また、どちらかの濃度が高すぎても嘘になる。

 

現実に高潔な人間などほとんどいない。

むしろ、人間という存在が高潔ではないからこそ、

高潔なキャラクターを描いた作品が売れるのである。

 

また、現実の人間に複雑もくそもない。

殆どの人間は、刹那的に行動している。

国語の授業でやるような、

こういう心情だったからこういう行動をとったという因果関係が成立するのは、

現実世界では稀である。

また、相手や場によって、いくつもの顔を持つのが普通の人間である。

人間はとても不確かな存在だと思う。

人間に本当などというものはないかもしれない。

 

普通の人間は、並外れた高潔さも複雑さも持ち合わせていない。

だから、純粋も毒も濃すぎると嘘に見えてしまう。

 

純粋と毒の配分をしっかりと制御すべきである。

純粋も毒も少なめにして、あっさりめに仕上げるのか。

あえて純粋や毒の濃くして、こってりめに仕上げるのか。

私はラーメンもキャラクターもあっさりめが好きである。

こってりしたキャラクターを見ると、疲れる。

 

個人的には、読者や視聴者がしっかり考えないと、

純粋と毒が見えないようなつくりにしてある作品が好きである。

刹那に一瞬現れる本当が好きである。

無職転生22話「現実(ユメ)」感想前半~表現中心~

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無職転生19話「ルート選択」視聴しました。

原作WEB版のみ既読です。

 

「現実(ユメ)」というタイトルやED、悪夢の解釈は、

もう少し時間がかかりそうなので、別の記事に書きます。

 

「それぞれのキャラクターにとって、この旅がどういうものだったのか?」

という部分に関しては、23話の感想ブログにてまとめます。

 

この記事では、表現方法を中心に感想をまとめます。

ニコニコで視聴しました。

コメントで気づいたことも一緒にまとめます。

 

 

目次です→

 

 

公式サイトはこちら→

ONAIR | TVアニメ「無職転生 ~異世界行ったら本気だす」公式サイト

 

 

 

シーンによってシンボルが象徴するものが変化するのが面白い。

例えば、ワインの表すものがシーンによって全然違う。

悪夢におけるワインの沁みは死を思わせる。

また、流れるもの、つまり時間の流れを思わせる。

ルディーが杯を落としたシーンでワインが零れるシーンは破瓜を思わせる。

エリスとルディーが一つになるシーンでは、包容力や癒し、温かみを感じさせる。

 

杯もまたシーンによって見え方が全然違う。

穴が空いた心を思わせるし、

生命や身体を思わせることもある。

理性の象徴にも見えるし、

性の象徴にも見える。

 

 

今回は、これらの表現方法を中心に感想を書く。

 

 

時間の表現

悪夢のシーンで、時間が巻き戻っていく描写が面白かった。

 

血が杯に帰っていくことで時間が巻き戻っていることを伝えた。

 

また、秒針の音と共に画面全体が時計回りに回転する。

画面が時計回りに回転するということは、

アニメを見ている視聴者が反時計回りに回っているということである。

視聴者が反時計回りに回ることで、

時間が巻き戻ったことを伝えていた。

 

悪夢から覚めた後、画面が反時計回りに、

つまり、視聴者が時計回りに戻ることで、

「現実(ユメ)」に帰ってきた。

 

 

手にする愛……

OPが「旅人の唄」に戻った!

第一話にも出てきた変な鳥が飛んでる。

帰ってきたんだ!

しかし、空は厚い雲に覆われている。

情景描写により不穏さが醸し出されている。

OPの曲調はアレンジされており、不気味である。

「手にする愛」という歌詞のあと、曲がぶつっと切れて終わる。

しかも、「あい↘」と音程が下がって終わる。

不穏さがより醸し出されている。

 

 

無表情

今までも、無表情を利用した演出は多かった。

今回もルディーが無表情であることが多かった。

ラストの号泣を活かすためだと思う。

ラストでルディーが初めて泣くシーンがある。

このシーンを強調するために、無表情を多めにしたのかなーと思う。

 

今回、ルディーはほとんど無表情であった。

にもかかわらず、感情があるように見えるのはなぜだろう?

情景描写やシチュエーションに秘密がある。

例えば、故郷に帰ってきた後の回想シーン。

このシーンにおいて、ルディーはずっと無表情である。

どんよりと曇った天気はルディーの心象風景にであり、

ルディーがネガティブな感情を抱いているように見える。

また、ルディーは馴染みの場所と記憶を関連付けてゆく。

 

パウロロキシーに訓練してもらった庭だ。」

「シルフィーとの待ち合わせの目印にしていた木だ。」

 

思い出が、馴染みの場所と共にリプレイされる。

ルディーが通り過ぎるとリプレイが終了して、幻が消える。

 

これらの工夫によって、

故郷の現実をこの目で見た苦しみを、

ルディーが感じているように見えるのである。

 

ルイジェルドとの別れのシーンでも、

ルディーは無表情である。

どんよりと曇った天気はルディーの心象風景に見える。

隣にいるエリスは、泣きじゃくっている。

エリスは感情をストレートに表に出すキャラクターとして描かれてきた。

対して、ルディーは内に抱え込むタイプである。

隣にエリスがいることで、

ルディーはエリスと同じくらい悲しいのに、

ぐっと我慢しているように見える。

ルディーが大人びて見える。

 

「見える」というのが大事である。

ルディーはおそらく若干の達観と諦めをもって接している。

対して、視聴者はルディーが壮絶な苦しみを背負ったキャラクターに「見える」。

演出のあるべき姿だと思う。

 

これは、20話に出てきた、

ロキシー人形の設計思想に似ている。

ロキシー人形も、表情は同じであるにも関わらず、

しぐさとシチュエーションによって、

表情を変えるという部分が似ている。

 

他の回でも、情景描写や無表情を上手く使った演出がある。

例えば、21話の冒頭でも心象風景を使っていると思う。

19話のOPでは無表情によって、ルディーが何か思い悩んでいる風に見せている。

例を挙げたらきりがないので、

是非、探して見て欲しい!

 

(このように、見る人の感情や解釈を制御する効果を、

 専門用語で「クレショフ効果」というらしい。

 「クレショフ効果」を利用して、

 カット同士の相互作用や衝突によって

 見る人の感情や解釈を制御する理論を

 専門用語で「モンタージュ理論」というらしい。

 ただ、私は名前なんてどうでも良い。

 名前を知っただけで、分かったつもりになりたくない。

 まだ理解できたかあやふやなので、ちゃんと理解したい。)

 

ゼニスと燭台

やっとの思いで帰ってきた故郷は、

転位災害によって跡形もなく消し飛んでいた。

ルディーは故郷での日々を回想する。

ゼニスの回想の後、幻が消えて現実に戻ってくる。

記憶の中のゼニスが居たテーブルの上には、

火の消えた燭台が横たわっている。不穏である。

 

 

ロキシーとのお別れと、ルイジェルドとのお別れ

ロキシーのお別れシーンと、

ルイジェルドのお別れシーン。

後ろを振り返らず去っていくシーンが似ている。

 

ロキシーからもらったミグルド族のお守りを、

ルイジェルドに渡したところに関係性がある。

どちらも、ルディーにとっては大事な人である。

それ以外に何か関連性があるのだろうか?

考えてみたが、分からなかった。

 

 

揺れる心と杯

杯は、思慮分別を象徴することがある。

杯がゆらゆらと揺れるのは、

自分の良心が揺れ動いている様を描いていると思う。

杯が傾むいて、ワインが零れるのは、

理性が欲望を上回りかけた様を描いていると思う。

杯が落ちるのは、

欲望に身を任せた様を描いていると思う。

 

 

杯とワイン

ルディーとエリスが一つになるシーンでは、

杯とワインはそれぞれの性を表しているように見えた。

 

途中で杯が飛び跳ねている表現があった。

下世話な妄想で申し訳ないのだが、あのシーンで、

 

「ここ?」

「違うわ!もうちょっと上よ!」

 

みたいなのを想像してしまった笑

そして最後はすぽっと入って、ゴールイン!

二つの魂はは一つに溶け合って、幸せな夜を過ごしましたとさ。

めでたしめでたし。

 

個人的には、ここで蝋燭の火を入れてこなかったのは意外だった。

蝋燭の火を使った色々な表現があるんじゃないかと思っていた。

しかし、蝋燭を入れてしまうと明るくなってしまう。

そうすると、現実にぶち当たった苦しみとか、

後ろめたさが表現できないのかなーと思った。

また、現実の暗さと過去の明るさを対比する意図もあったのかなーと思っている。

 

どうやったら、蝋燭の表現を入れられただろうか?

例えば、一線を越えようとするシーンで、

ふっと蝋燭が消えるという表現はどうだろうか。

ただ、それだと象徴することの意味が変わってしまうのか……。

うーむ、上手く行かんもんだな。

こうゆうの考えるのって難しいんだなー。

制作陣に感謝しかない。

 

 

男女逆転

杯は、男性よりも女性の象徴だと思う。

普通、女性が杯を落とすという表現になるんじゃないかと思う。

ルディーとエリスの関係が、

普通の恋愛関係とは違うことを表しているのかもしれない。

ちょっと分からない。

 

 

心を満たす

杯がワインに入っていった。

これは、男女が一つになるという意味だけではない。

色々な解釈があると思う。

 

杯を、満たされないルディーの胸の穴だと捉えることもできる。

 

杯がワインだまりに入っていった。

この場合、心が満たされたと解釈することができると思う。

 

また、杯の中にワインが入るのではなく、

ワインの中に杯が抱擁される状態となったと考えることもできる。

この場合、身体による慰められたが、

心の穴を完全に満たされたわけではないと捉えることもできると思う。

 

他にも、ワイン=血=身体の象徴、杯=心の象徴という風に捉えることもできる。

つまり、体と心が一体化したと解釈することもできる。

この解釈は、次回にもつながってきそうで面白い。

こじつけすぎたかな。

 

 

「一線」を越える

ルディーとエリスの濡れ場シーンで、

エリスと、ルディーの間に柱が一本立っていた。

この柱は、理性の象徴では無いかと思う。

柱とキャラクターの距離感で、

どれくらい理性が働いているのか表していた。

最後は、柱を超えてエリスを押し倒し、

「一線」を越えた。

 

 

ルーデウスが捨てられたと思い、

とぼとぼと歩くシーンで、紫の花が映る。

有識者がコメントで説明してくれていた。

ありがたい!

花の形状は「ミヤコワスレ」、

それ以外は「ワスレナグサ」の特徴に似ているんだとか。

花言葉については、それぞれで調べてみて欲しい!

 

 

初めてちゃんと泣く

ルディーは、

ロキシーとの別れのシーンでも、

パウロとの再会シーンでも、

ルイジェルドとの別れのシーンでも、

泣かないキャラクターであった。

 

今まで、ルディーは絶対に泣かないキャラクターであるという部分を

対比によって表現してきた。

ロキシーとのお別れシーンでは、

隣に号泣するパウロとゼニスを描くことで対比させた。

パウロとの再会は、ロキシーの再会にて、

ロキシーの号泣シーンを丁寧に描くことで対比させた。

ルイジェルドとのお別れシーンでも、

隣に号泣しているエリスを描くことで対比させた。

このように、ルディーは泣かないキャラクターとして描かれていた。

 

ルディーは、21話のラストで初めてちゃんと泣いた。

転生者であったため、ルディーは大人びていた。

それが、21話のラストでは子供のように声を出して泣いている。

前世の男という心と、ルディーという体が、

シンクロしたことを表しているのかもしれない。

ルディーという人間がこの世界に産声を上げた瞬間である。

喪失という通過儀礼を経験することではじめて、

ルディーはこの世界の人間になれたのかもしれない。

この辺の描写は第4クールでまた語ることになると思う。

 

 

余談

なんだ、この感覚は!

遥かな高みから私を見下ろしているような感覚。

 

「このシーンはこれくらい分かったんだね。及第点だ。」

「このシーンの解釈は間違えているね。もうちょっと頑張り給え。」

そう言われているような感覚に襲われます。

 

一つ一つの描写に意味が詰め込まれすぎていて、

どれだけ考えても、アニメ制作者の手のひらの上であるかのような感覚に陥ります。

 

初めて、進藤ヒカルと手合わせした塔矢アキラの感覚に似ているのかもしれません。

今の自分では絶対に敵わないという絶望感と、

「こんな強敵がいたのか!」という興奮と憧れを感じます。

 

 

22話の感想前半はここまでです。

23話が始まる前に、なんとか感想後半を書き終えたいです。

無職転生22話「現実(ユメ)」を見て、氷菓の「未完成ストライド」を思い出した!

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無職転生22話を視聴しました。

いやー、難解ですね。

現在、頑張って解読中です。

詳しいことは、別の記事に書こうと思っています。

無職転生22話の表現方法を見て、

氷菓のOP2「未完成ストライド」を思い出したので共有します。

 

 

無職転生22話と、

あと、無職転生のEDもそうだと思うんですが、

窓ガラスや天幕をスクリーン代わりにしていますよね。

(22話がそのままEDと同じことを示しているので、

 EDが無かったのだと思う。)

スクリーンの片側は我々視聴者のいる「現実」の世界を表していると思います。

そして、スクリーンのもう片側は「ユメ」の世界を表していると思います。

 

 

これを見て思い出したのは、

京アニ作「氷菓」のOPである「未完成ストライド」です。

未完成ストライド」では、まず主人公が眠るところから始まります。

夢の中で主人公は「アニメの世界」からはじき出されて、

黒板や窓ガラスなどの2次元の世界に閉じ込められます。

Aメロでキャラを紹介して行くのですが、

主人公とも、画面の向こうの視聴者とも目が合いません。

目が合いそうな方向から歩いてきているのに、

キャラはスクリーンや主人公から目を背けるように視線を動かします。

多分、故意でこのような演出にしてますね。

Bメロで、どんどん孤独になって行く主人公。

サビと同時に、突然風が吹きます。

主人公は、ヒロイン含めた主要キャラ3人がいる部室に吸い寄せられます。

主要キャラ達が、ばっと一斉に主人公の方を向きます。

主観視点でこれを見せているので、視聴者とも目が合います。

今まで目が合わなくて孤独を感じていた我々は、ドキッとしちゃうわけです。

主人公(視聴者)にヒロインが手を差し伸べます。

ゆっくりと、主人公(視聴者)を「ガラスの内側」つまり「現実」から、

「ガラスの外側」つまり「ユメ」の世界に引っ張ってあげます。

ここで、ヒロインの目のアップが映って、

また、我々はドキッとするわけです。

その後、主人公が夢から覚めてちゃんちゃんで終わりです。

 

未完成ストライド」で「表現されたもの」に関してはあまり好きではありません。

京アニの考え方に賛成できないからです。

しかし、「表現方法」は物凄く印象に残りました。

 

何かをスクリーンに見立てて、現実とユメを分けている点で、

無職転生22話「現実(ユメ)」と「未完成ストライド」は、

似ているな―と思いました。

 

ただ、違う部分も結構あると思います。

未完成ストライド」では、だんだんと主人公の主観視点で、

視聴者と同化させます。

それに対して、「無職転生22話」は逆です。

最初、夢の中ではルーデウスと一緒に、

アニメの世界にカメラがあります。

しかし、後半はどんどん枠の外から撮ることが多くなっていきます。

特に、面白かったのがアルフォンスが天幕をピシャッと閉じるところです。

天幕の内側がユメ、外側が現実の比喩だったのかなーと思っています。

視聴者が現実世界に締め出されたという解釈をしました。

視聴者の心をルディーから離そうとしている気がします。

 

今回はここまでです。

まだ、全然解読できていないです。

22話はもっと複雑な構造になっているかもしれません。

また、これらの表現が何を意味するのかについても、まとまっていません。

ちゃんと検証して、感想ブログの方にてまとめます。

無職転生21話「ターニングポイント2」感想。

無職転生19話「ルート選択」視聴しました。

原作WEB版のみ既読です。

映像への落とし込みが半端なかった!

 

目次です→

 

ニコニコで視聴しました。

コメントで気がついたことも一緒にまとめます。

 

公式サイトはこちら→

ONAIR | TVアニメ「無職転生 ~異世界行ったら本気だす」公式サイト

 

 

 

アニメ版無職転生の魅力

21話のEDクレジットを見たら、作画監督15人以上という驚異の体制だった。

気合が入っている。その甲斐あってか、作画がぬるぬるだった。

さらに、これだけの人数をまとめると、摩擦もあるだろうに、

これだけのクオリティーを維持しているのが凄い。

制作陣に感謝しかない!

 

ただ、それだけではないと思う。

私は、動きの「意味」の追求が凄いなーと思った。

 

無職転生は全編通して、「意味」を追求しているような気がする。

作画技術により、ただ動きを良くするだけではなく、

「なぜ、その演技をさせなければならないのか?」

という部分にこだわっていると思う。

「より、センスが良く、短く、密度の高い演技ができないだろうか?」

と常に模索して追及しているのが伝わってくる。

これが、無職転生アニメ版の魅力の一つだと思う。

 

特に、21話ではその辺が顕著に現れていた。

本記事では、動きの良さではなく、動きの意味を中心に、

感想を書けたら良いなーと思う。

 

ネタバレなし感想

 

冒頭描写が凄い!

寒々しい雪山。

竜の様に鋭い眼光が我々を見つめている。

ルイジェルドが雪をかぶって倒れている。

エリスは崖に横たわって気を失っている。

目の前には、恐ろしい龍神の影。

ルディーのお腹には穴が空いている。

そして、手から力が抜けて死を表現する。

まさに絶望。唐突な幕引きを冒頭に持ってきた。

我々視聴者も唐突に絶望に叩き込まれる。

 

冒頭描写について、いくつかおかしい部分があることに気づいただろうか?

ルイジェルドはなんで雪をかぶっているの?

本編ではルイジェルドが倒れてから、

ルディーが死ぬまで雪が積もるほどの時間は経ってないはずだよね?

それに、なんでエリスは気を失っているの?

本編では気を失わずにルディーに這いよって来たはずじゃ?

冒頭では、ルディーは腹を刺された即死したという表現だったけど、

本編とちょっと違くない?

本編よりも冒頭の方が明らかに吹雪いているのはなぜだろう?

冒頭と本編で齟齬がある。引っ掛かる。

また、今までは、時系列で内容を語ってきた無職転生である。

この描写の仕方は無職転生らしからぬ演出と思った。

小説を書く上で、冒頭の一行というのはとても骨が折れるらしい。

その一行で、現実世界と小説世界の境を取っ払ってやらないといけないからである。

普通は読者が小説世界に自然と入れるように工夫する。

アニメでも同じことが言えると思う。

冒頭で突き放すようなシーンを持ってくるのはかなり挑戦的だと思った。

絶望感を演出するためというのも勿論あると思うが、

他にも理由があるのではないか。

 

「視聴者を呪いにかけた」というコメントを見つけた。

その解釈は滅茶苦茶面白い!

つまり、冒頭の眼光によって、我々は呪いにかけられ、

本編の方で、ルディーの異物感を強調しているという解釈である!

解釈として正しいような気がする。

なるほどなーと思った。

このシーンを作った人達も凄いが、それを見破ってコメントした人達も凄い!

 

あれ?ちょっと待てよ?

視聴者に呪いをかけただけだと、

冒頭と本編で辻褄が合わない理由にはならなくない?

 

何度も見返してもう一つの仕掛けがようやく分かった。

冒頭のシーンは、ルディーの心象風景を見せているのだ!

つまり、ルディーにとってはそのように見えているのだ、

という表現である。

要は、ヤムチャ視点である。

ルディーの絶望感と唐突に起こった出来事に対する驚愕、

生のあっけなさを表現している。

寒々しい景色は、視聴者を騙すとともに、ルディーの心象を表す風景でもある。

また、死にゆくルディーが徐々に体温を奪われて行く恐怖を、

ルディーと一緒に体感してほしかったのだと思う。

 

冒頭で、エリスやルイジェルドが死んでいるのは、

意識が朦朧としており、周りが見えなくなっていて、

ルディーの認識では二人とも死んでしまったことを伝える役割があるのではないか。

さらに冒頭の、ルディーが胸に穴が空いた直後死んだような描写は、

つまり、それ以降のルディーはほとんど意識が朦朧としていて覚えていないことを、

表現しているのかもしれない。

この辺の描写は、意識が朦朧とする中、

辺りかまわず強い火の魔術を撃つ伏線にもなっている。

 

本編では、オルステッドとの邂逅はあるがままを客観的に描いている。

その証拠に、オルステッドとの邂逅シーンではルディーのモノローグが一切無い。

(モノローグがあるのは、ルディーが死にゆく瞬間だけである。

 周りの世界がどんどんと薄れて行って、

 自分の声だけが頭の中に木霊している状態になる。

 この辺の死の描写も生々しくて良い。)

本編を客観的に描いたことによって、冒頭のシーンが効いてきて、

本編のルディーの異物感が強調されるのである。

このようにして視聴者を操っていたのである。

 

自分が見つけた、ルディーの心象風景説はこのシーンの表層的な理解で、

視聴者への呪いであるというのはさらに深い解釈である。

表層的な理解があるからこそ、

視聴者への呪いであるという深い解釈に繋がったのだと思う。

コメントに敗北感を感じる。悔しい。自分で見つけたかった。

 

また、色々な人の視線の動きや、瞳の表現、モノローグ、情景描写などによって、

誰が何をどう見たのかを端的に表現している。

これらを応用して、このシーンでは視点が素早くコロコロ変わっているのも凄い。

 

また、この演出は今後さらに化けるんじゃないかと期待している。

例えば18話は16話や2話とセットで見ることで、

深みが増すように作られていた。

1話単位で見るよりも、複数の話を比較して見ることで、

より深みが増す作品である。

「現実(ユメ)」というタイトル的に次回とも関係がありそうな気がする。

具体的にどのような演出になるのか考えてみたが、思いつかない。悔しい。

次回を見たうえで、またこのシーンを見返すことになるかもしれない。

このシーンを考えた人は、一つのシーンに二重三重の罠を仕掛ける天才である。

 

 

無職転生アニメ版は主観と客観によって、

視聴者の感情を操る、悪意のある演出が滅茶苦茶上手い。

ブログの辺境で叫んでいるだけなので世間に伝わらないのがもどかしい。

ノローグ、情景描写、異化。

瞳の表現や視線の丁寧な描写。

これらの手練手札を用いて、主観と客観を明確に分けているのだと思う。

また、誰が何をどのように感じたのかを端的に我々に伝える。

さらに、視聴者に魔法をかける。

悪意のある演出である。

私はこれを、無職転生の監督の名前を讃えて、

「岡本マジック」と呼ぶことにした。

まさに、「岡本マジック」が炸裂した回だった。

「岡本マジック」を念頭に置いて、

もう一回始めから見直して欲しい。

滅茶苦茶面白いと思う。

 

無職転生は一見「ん?」と思う様な引っ掛かりを与えてくることがある。

その時は、是非考えてみて欲しい。

より多くのことに気づけるチャンスかもしれない。

 

 

OP

山道を進むルーデウスたちが描写される。

相変わらず、背景や民俗描写が面白い。

中央大陸はアジアっぽいし、

この山脈はアジアのどっかの山脈を基にしているんだろうか?

調べてみたが、分からなかった。

 

 

オルステッドとの対決シーンを直前のシーンと比較させる

オルステッドとルイジェルドの戦いのシーンと、

エリスとルイジェルドとの組手シーンを比較させ、

オルステッドの恐ろしさを強調している。

まずは、エリスとルイジェルドの組手シーンについて。

エリスは剣を使って必死にルイジェルドの攻撃を受け流している。

ルイジェルドは涼しい顔でエリスを鍛えている。

対して、オルステッドとルイジェルドの戦いのシーンについて。

オルステッドはルイジェルドの攻撃を素手で楽々受け流す。

ルイジェルドの槍さばきは、エリスの時よりも格段に速い。

ルイジェルドの表情もエリスの時よりも格段に険しい。

ルイジェルドは的確に急所をつかれて昏倒する。

 

オルステッドがルイジェルドを殴るシーンと、

エリスがルディーを殴るシーンを比較させて、

オルステッドの恐ろしさを強調している。

オルステッドとルイジェルドの力量差は、

エリスとルディーの力量差以上ある、

ということを伝える目的があるのだと思う。

絶望感が凄い。

 

 

魔眼の表現が凄い

ルイジェルドやエリスが緊張している。

それを、察してかルディーも魔眼を発動させてオルステッドを見る。

オルステッドは何重にもぶれて見えた。

複数の未来を同時に見てしまったため、

ルディーは「うっ」と目を抑える。

オルステッドの強さが一発で分かる描写である。

 

ルディーがヒトガミについて喋った瞬間、

オルステッドに腹を刺されるビジョンを見る。

未来を変えるように、ルイジェルドが割り込む。

この表現も凄い。

 

魔眼によってルディーは、

オルステッドにあらゆる個所を攻撃されて死ぬ未来を見た、

というのを、未来視の一瞬の血しぶきと、ルディーの動きだけで表現している。

凄いなーと思った。

 

ディスタブマジックと結界を比較させる

20話で、結界に捕らわれたルディーは魔術を使えなくなる。

火魔術がふっと空気中に霧散するような表現であった。

21話で、ディスタブマジックが出てくる。

ディスタブマジックによってルディーの魔術が打ち消される。

20話と同様に、火魔術がふっと空気中に霧散するような表現であった。

20話の描写を連想させることで、説明が無くても、

ディスタブマジックとはどういう魔法なのか分かるのが凄い!

 

 

ディスタブマジックに対応したルディーの動き

ディスタブマジックによって火魔術が使えなくなったこと。

ディスタブマジックには有効範囲があること。

ルディーは咄嗟の機転で、オルステッドに気づかれないように、

上半身で腕を隠しながら、風魔術で有効範囲から逃げ出したこと。

この様子を見て、オルステッドは「器用な奴だ。」と言う。

オルステッドは、有効範囲外でも相手の出方を見れるように、

ゼンリュウモンを開いたこと。

これらを、ほんの数分で表現している。

アニメーションの強みを生かした演出が凄い。

こういうセンスのある表現ができてしまうのは、嫉妬してしまう。

 

 

土魔術で状態を起こす

ルディーは肺を潰されている。

腹圧がないと、力が入らないので、

自力で起き上がることはできない。

よって、土魔術で状態を起こしている。

普通の作品なら、主人公の必死さとカッコよさを表現するために、

腕の力で何とか起き上がるという描写をしてしまうだろう。

細かい部分まで考え抜かれていて、物凄く興奮する。

 

 

今のはメラゾーマではない、メラだ。

苦し紛れにルーデウスが放った、火の魔術の描写が凄かった。

普通の火の魔術を空気を送り込んで圧縮することで凄まじい威力にしている。

 

まず、色に着目してみよう。

赤→黄→緑→青→紫

という感じで遷移している。

炎の色は温度によって変わる。

炎の温度がどんどんと高まっていることが色で分かる。

 

次に、周りの様子を見てみよう。

熱により、一瞬で周りの氷が蒸発する描写がある。

ルディーがやけどしない理由はちょっと分からない。

電磁力バリアーでもはっていたのかなー。

 

さらに、ガスの送り込みに注目してみよう。

始め、内炎と外炎に色のむらがあった。

空気を送り込みつつ、くるくる回転させることで、

内部に空気を送り込むことで、一様な色に変化して行く。

 

最後に、大きさに注目してみよう。

空気を送り込みつつ、圧縮することで高温にしている。

凄まじい圧力と温度になっていると思う。

炎が紫になった時点で内部から爆発して膨張する。

ぐわっと火の魔術が大きくなる。

おそらく、その爆発を魔術で保って、ある程度の大きさにとどめている。

 

ここまでの描写から、

この火魔術は核融合を意識して作っていることが分かる。

要はプロトン砲みたいなものだと思う。

(砲と言ってしまうと、語弊があるかもしれない)

ルディーが作った火の魔術は、

エネルギーを魔力によって内部に閉じ込めている描写が凄いと思う。

魔術によって磁力を発生し、

プラズマを閉じ込めて、紫の火を制御していたのかなーと思っている。

そこまで詳しくないが、周りでピカピカしている光も何か意味があると思う。

これをやすやすと受け止めるオルステッドの恐ろしさよ。

 

物理・SFニワカなんで間違っているかもしれない。

もし間違ってたら、教えてください!

 

ちなみに、風魔術でガスを送り込む発想は、

ギュムロニンバスで、上昇気流を発生させる部分が基礎になっていると思う。

また、魔術を圧縮する発想は、

土魔術でフィギュアを作るために圧縮した発想が基礎になっていると思う。

 

この作品はファンタジー作品である。

同時に、この作品はSF作品でもあると思う。

細かい過程や仕組みを分かるように描写する所が、

SFっぽいなーと思う部分である。

 

 

ゼンリュウモン

「凄まじい魔力量だ。」という言葉と、魔術が消える描写だけで、

ゼンリュウモンとは繰り出された魔術を吸い取る呪文であることを表現している。

 

 

エリスにとって火の魔術とは?

エリスにとって、火の魔術はどういうものなのだろうか?

第5話で、ルディーが夜空に打ち出した火の魔術にあこがれを持つ。

第6話で、エリスは魔術が苦手だったが、ルディーに教わって、

初めて苦手なことに挑戦して、火の初級魔術を習得した。

このように、火の魔術とはルディーとの絆を表している。

ルディーへの憧れ、畏敬、恋、愛を象徴している気がする。

EDのラストで、火の魔術が空にぱっと美しく光って消えていくのは意味深である。

 

また、火はよく生命の象徴として描かれている。

夜空にぱっと美しく光って消えて行く火の魔術は、

生命の儚さを思わせる。

ずっと一緒に生きていくと思っていたルディーが、

突然死にかけたというのは、エリスにとって物凄い衝撃だったに違いない。

 

この辺のお話は、第二クールが終わった後に詳しく書くと思う。

 

 

コメントで気がついた。

ルディーが死にゆく間際のシーン。

第1話冒頭を意識して作られている。

光を失った瞳をドアップにしたカットも、

徐々に薄れていく意識も、

心残りがあることも、

第1話に似ている。

第1話から、どう成長したのか比べてもらうための演出だと思う。

これは次回「現実(ユメ)」にも効いてきそうな描写である。

 

 

胸に空いた穴

実は、背中からのカットでは、穴が空いていない。

つまり、胸に穴が空いている描写は、

前世の男の主観的な自己のイメージであることが分かる。

未練は無いと口では言いつつも、

どこかに心残りがあることを示していると思う。

これは次回「現実(ユメ)」にも効いてきそうな描写である。

 

 

本気を出せない

無職転生では、沢山のキャラクターが必死に今を生きていることが描写される。

それに対して、オルステッドは本気を出せないらしい。

世界最強の男が、本気を出せず、誰からも嫌われるとは皮肉である。

 

 

瞳の表現

ニコニコのコメントで気づいた。

第1話に出てくる前世の男と、

第21話に出てくる前世の男を比べると、

明らかに瞳の色が違う。

第1話に出てくる前世の男の瞳の色は、

日本人的な黒である。

それに対して、第21話に出てくる前世の男の瞳の色は、

ルディーと同じ緑色である。

つまり、ヒトガミとの夢に出てくる自分の体は、

自分に対する認識を具現化したものであることが分かる。

そして、自分に対する認識がちょっとずつ変わってきていることを示している。

 

無職転生アニメ版では、瞳の表現に物凄くこだわっている。

その人が見た光景だという事を強調するためだけに、

左右反対の鏡像をわざわざ描いたりする。

21話でも瞳に映る鏡像描写があったと思う。

また、瞳の色や視線の動きにも並々ならぬこだわりがある。

瞳の表現にこだわる意味は何だろうか?

誰が何をどう見たのかというのを強調するためだと思っている。

他にも、何か意図があるのだろうか?

 

 

超絶ネタバレあり感想

 

ここからは、超絶ネタバレ注意。

未読は読んじゃダメ!

原作既読者向けに書いている↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい

ナナホシが登場したよー!やったね!

私は理系三人衆のザノバ、クリフ、ナナホシが大好きである。

いやー嬉しい!

 

ナナホシの小ささの強調が面白かった。

ナナホシの背丈をあえてルーデウスと同じにすることで、

ナナホシの小ささを表現している。

この世界に転生し、成長して馴染んできているルーデウスと、

この世界に転位し、成長が止まって、早く戻りたいと考えるナナホシの対比である。

 

この世界に転生し、成長して馴染んできているルーデウスというのは、

次回のタイトル「現実(ユメ)」ともリンクしそうな気がする。

 

原作では、ナナホシの方が気になって呼び止めたという描写だったと思う。

アニメ版では、ナナホシの黒髪が強調されており、

ちゃんと、アニメで描写されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

次回は、「現実(ユメ)」というタイトルらしいです。

どんな、内容になるのでしょうか?

ルディーにとっての旅、エリスにとっての旅、ルイジェルドにとっての旅。

それぞれの総括の様なお話になるのかなーと思っています。

特に、エリスにとっての旅の総括がどのような表現になるか注目です。

また、これまでアニメ版無職転生では、

ルディーの転生者であるがゆえの歪みや、

ルディーとそれ以外で見えている世界の違いを描いてきました。

その辺をからめて描いてくれたらなお嬉しいです。

ED映像とも関連がありそうです。

EDについては、まだ自分の中で言語化できていないので、

第二クールが終わって、まとまったらまた記事に書こうと思います。

楽しみです!