「ごんぎつね」を読んだ

部屋の掃除をしていたら、

タンスと壁の小さな隙間に、何やら本が挟まっているのが見えた。

30センチ定規を使って、なんとかほじくりだす。

埃を払って題名を読んだ。

 

「ごんぎつね」

 

ああ!ごんぎつねだ!懐かしい!

さいころ、母親にねだって寝る前に読んでもらっていたっけ。

掃除の途中だったので、立ったままパラパラと読んでみた。

 

思いのほか面白い。

いつの間にか、掃除そっちのけで熱中してしまった。

椅子に座ってじっくりと読んだ。

 

面白いと思った部分は2点ある。

 

一点目は、ごんの人間らしさである。

この物語は、ごんが罪を償うお話である。

贖罪をしようとする時点で、物凄く人間らしい。

しかし、それだけではない。

ラストで「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」という問いに対して、

ごんはうなずいてしまう。

引っ掛かるのはこの部分である。

ここで頷いてしまうと、兵十は死ぬまで殺した罪を背負って苦しまなければならない。

つまり、兵十よりも自分の感情を優先したのである。

「俺がお前の為に栗を持って来ていたんだ!」

ということを伝えたい、ごんのエゴである。

最後に自分のエゴが出る部分が、

ごんというキャラクターを、より人間らしくしていうるような気がした。

 

※後で調べたら、「うなずきました」の部分は原文では、

「うれしそうでした」らしい。

今後、兵十が苦しむであろうことに思いもよらず、

嬉しそうに死んでいく。

それはそれで、人間らしいなーと思う。

 

2点目は、ラストの描写の仕方である。

「ごんぎつね」は終盤まで、ごん視点で物語が進む。

ラストになって急に兵十視点になる。

この視点変更にどきっとする。

今まで、ごんという山の獣視点で物語を見てきた。

急に、兵十と言う村の人間視点に切り替わる。

視点が変わって、物語に厚みが生まれている気がする。

また、視点変更したことで、

ごんの最期を客観的に描いているように思う。

「ごん(と兵十)は何を思ったのか?」

という部分に想像の余地を残して、考えてもらう構成になっている。

これが面白いと思った。

 

以上二点である。

 

子供の頃に読んだ作品をもう一回見返すと、新たな発見があって面白い。