怒りの本質。付き合い方。

今日は怒りの本質について考えます。ダラダラ思ったことを書いていきます。

 

怒りとは、理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずるのではないか

私は、このように考えています。

いくつか、例を挙げてみましょう。

 

子供の癇癪について考えてみましょう。

子供の癇癪は怒りのプロトタイプだと思います。

子供はなぜ癇癪を起すのか?

期待していた要望と違うリアクションが帰ってきたからじゃないでしょうか。

自分の思い描いていた理想と現実が違った。

それを、受け入れられないから子供は癇癪を起すのだと思います。

 

Amazon Primeの映画やアニメにはレビューと言うものを書き込めます。

試しに、☆1レビューを見てみましょう。

みんな、何かに落胆しています。

自分の思い描いていたイメージと、実際の映像に差異があって、

それを受け入れられないから、感情的に☆1にしてしまうのでしょう。

 

このように、

怒りとは、理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずる負の感情だと思います。

 

(理想と現実の差異を受け入れらる時に生ずる負の感情は、呆れだと思います。

 理想と現実の差異を受け入れらる時に生ずる正の感情は、克己だと思います。

 まだ、仮説段階です。)

 

では、受け入れられるか、受け入れられないか、その違いはどこから来るのか?

現実にどれだけ期待しているのか、だと思います。

 

理想と現実に差異があっても、

現実に何も期待していなければ、その差異を認められるでしょう。

現実に期待しているから、その差異を認められない。

故に、怒りを感じてしまう。

 

怒りは、「こうあって欲しい」という期待の裏返しだと推測できます。

 

学校で先生に怒られたとき。

親に怒られたとき。

バイトで店長に怒られたとき。

会社で上司に怒られたとき。

 

彼らは自分に期待しているんだ。

そう考えると、幾分か気持ちが楽なのではないでしょうか?

 

また、自分が怒ってしまったとき。

コントロールするためには、どうすべきか?

怒りというものは、こういうものだと知っておくべきだと思います。

怒りを感じたときに、

「今、私は期待を裏切られたんだな。これが、私の理想像なのか。これが、現実か。な

るほどね。じゃあ、このギャップを埋めるにはどうしたら良いんだろう。」

と、冷静に問題に対処することができるんじゃないでしょうか。

 

ただ、この方法だとせっかく感じた怒りというエネルギーがもったいない気もします。

自分の理想に比べて、現実はなんてくだらないんだと怒るのではなく、

現実を自分の理想に近づけるよう、克己するのが良いのかもしれません。

 

ただ、この方法だと空回りする可能性があるんじゃないかな。

 

うーむ、、、。

何か、啓発本みたいになってきちゃいました(笑)

こういう、一方向から見た説教みたいなのあんまり好きじゃないんだよなー。

こういうの読むと、お前は俺の何を知ってるんだ!勝手に枠にはめるな!

って思いません?

ここまでにしときますか。

 

まとめると、怒りとは

理想と現実の差異を受け入れられない時に生ずる感情である。

現実に期待していると、差異を受け入れられない。

怒りというものを知ったら、怒る人を許せるかもしれない。

怒りをコントロールするには、怒りの本質を知り、客観的に分析すること。

もしくは、怒りをばねに克己心を持つこと。

 

こんな感じですかね?

 

私も感情に飲まれてしまうことが良くあります。

感性を保ったまま、感情に飲まれない方法はただ一つ。

その感情について深く知ることだと思います。他にもあるかもしれませんが。

知ることで、自分を客観的に見ることができるし、自分を許すことだってできる。

 

よって、感情の本質を探るというのは有意義だと思います。

今後、その他の感情についても考えて行きたいです。

もし、他の感情についても考えがまとまったら記事にしたいと思います。

今度は、説教にならないように、多面的に書きたい。

 

以上。